ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

献体に際して感じたこと 後

2017-09-08 08:18:44 | エッセー
 娘が中学生の時から「ママみたいに神経が細かったら、絶対長生きで
きない」とよく言った。本当は15歳でこの世に存在しないはずだった命が、心理学、心理療法、ヨーガ、精神世界など長年学んだお陰で、精神的に
成長できたようだ。しかも同世代の人と比較したら、かなり健康だ。
 認知症と診断されすでに7年過ぎたが、お陰様で未だに要介護1の夫だが、私の介護なしでは生活できない。
 15年目の結婚記念日に「絶対悪妻になると思ったけど、どうしても結婚
したかった。まさかこんな良い女房になるなんて思ってもいなかったよ」
と言ってくれた夫。彼を見送るまでは、絶対元気でなければならない。
 私は比較的愛情深い性格で、また、誰にも迷惑をかけるのは嫌で、自分
の「死の準備」をできる限りやりたい。
 今日大学の解剖教室に問い合わせたら、棺での引き取りも可能だと分かり、「お別れのセレモニー」はできると思った。

 過去に海外へは仕事がらみ観光など、35カ国行ったし、ダンススタジオや、ヨーガ教室の経営と指導、執筆活動、全国レベルでの講演心理カウンセラー、ヒーラーなど、多岐にわたり活動した。
 それは包容力のあり理解がある夫(友人達は彼をちょっと神様と言った)に恵まれ、自由にのびのび生きて自分の人生をかなり満足しているし、やりたい事はほとんど実現できたラッキーな私。
 そのためいつ死んでも惜しくないのだ。前世療法なども学習しているので、あの世もありそうだし、また生まれ変わることも信じている。

 もしかしたら私を「エイジレス・ベービー」と呼んだ、亡くなったインドのお師匠様にもお会いできるかもなーんて、考えたら、「死ぬのも楽しそう」と思ってしまう!一体私は何歳まで生かされるか分からないが、こればかりは「神のみぞ知る」だ。生きている限り「できれば人様のお役に立ちたい」、これが私の願望だ。ここ二年間本の依頼がなく淋しい限りだが、これも時代の流れで仕方ない。でも、脳天気な私は、きっとまたチャンスが訪れ、現在41冊の著書が目標の50冊になると信じている。
  死はお別れだけれど、新しい未知(道)への旅立ちである事は確か。
死んでもお役に立てるのはとても幸せ、きっとその旅立ちはワクワク
しているかも知れない。

コメント
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