ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

「心の傷」成長後も消えず

2018-10-20 07:30:45 | エッセー
 これは読売昨日の新聞「平成の人生案内、親子編5」のタイトルだが、子供は虐待されて育つと
自分もまた自分の子供にそれをくり返すこと「虐待連鎖」が多いようだ。
 実は私も虐待ほどではないが、継母の感情のままに、怒られ過ぎと可愛がられ過ぎとで
育ててられた経験者だ。読み進めていて「不幸な経験を懸命に乗り越え立派な親になり、明るい
家庭を築いている人たちも少なくありません」と言う言葉を読んだら、突然涙が溢れた。
 子育てをしながら、「私なら絶対にこんなことはできない」と、自分が成育時にされたことを
思い出したことがよくあった。そのため、私は立派な親ではなかったが、「自分がされて辛かった
経験は絶対子供達はしない」と、心に決めて子供達を育てたつもりだ。
 大分昔のことだが、京都のPHP研究所から、執筆依頼のため編集者が来た。
内容は「考え方や行動を変えて、明るく楽しく、有意義に生きる」ためのノウハウだったはず
だった。ところが雑談の中から、編集者は、私の実際の子育てがユニークで、素晴らしいと
思ってくれたようだ。そのため、思いがけない子育ての本に変更し、その後出版された。

 生後7か月で母から離され、その原因となった人に育てられた私。
そのトラウマは今でもしっかり残っているので、それをコントロールしながら長年生き
てきた。東京で初めてできた「診療内科」は、東大病院だったが、その治療をなさっていた
「石川中助教授」はすでに有名だった。先生の研究所は神楽坂にあり、そこでは様々な心理療法や
ワークショップなどが行われていた。40代の頃私は勉強に通っていたが、そこには東大の心療内科の
患者さんが多く、石川先生は「小池さんのように明るい人がいてくれるととても助かるよ」とよく
おっしゃっていた。その日のワークショップは「子供の頃に悲しかったことを思い出して下さい」
と言うテーマだった。二人で組んで行ったが、最初に聴かれ役になった私は「幼い頃の記憶がまざまざと
次々思い出されて」慟哭し、とうとう一言も話せず、最後までずっと泣きじゃくっていた。
 石川先生は「明るい小池さんも色々あったのだね」と慰めてくれたが、心の奥にずっと埋没していた
悲しみがどっとあふれ出したのだ、と自己分析したが、それがもしかしたらカタルシスになったのかも
知れないと思っている。私は心療内科の患者さん達と一緒に勉強しながら、自分自身の屈折された内面
について随分気づいて、自分を変えるために努力できたと思っている。
 ※研究所の粘土のワーク 左奥 石川中助教授
  
昨年4月に子供達に思いがけないことを無断でされて、私は驚愕し大いに怒った。
そんな行為を子供達にさせたのは、「あまり言わな過ぎて、親としての権限が失墜した結果」で、私の
言動がその原因だとハッキリ気づいたが、この年齢になっても、そんな弊害はあるのだと思った。
 でも子供達はやった行為は、決して悪気ではなく、私達のためにやったのだと理解できたし、また
何時まで怒っているのは精神衛生上悪いことは、心理のプロとして熟知しているので忘れることにした。
 生後7か月で母と別れた淋しさは、潜在意識にしっかりとインプットされたているようで、「淋しさは
恐怖という、見捨てられ不安」もあった。子供の頃は継母の感情のままで育てられ、思春期には言葉の
暴力に傷ついたが、そんな屈折した私が、心理学を長年学習したお蔭で、比較的安定した気持ちをキープ
でき、まだ元気で生きていられるのだと思っている。
 それには「天性の性格」が随分有利に働いたと思っている。いずれにしても
「子育ては一人の人格を社会に送り出す大切な事業」だ。現在子育て中の方々には、「愛情をかけながら
大切に、できたら理性的に」と心して育てて頂きたいと心から思っている。
 その育てられ方によって、将来子供達は「天使」にもまた「悪魔」にもなれるのですから・・・
自分の経験、また心理カウンセラーとして、ぜひ、ぜひお伝えしたいと思っている。
コメント
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