残念ながらいくら努力をしても、年齢とともに少しずづつ記憶力や記銘力が
衰えてきます。でも、人間は学習をする動物ですので、長年生きていると
今まで経験したことや、学んだことなどで高まる能力があります。
それを「結晶性知能」と言いますが、判断力、理解力、洞察力、思考力
観察力などですが、過去の豊富な体験を統合的に活かし、取捨選択できる
ことです。また風雅な感性を培うこともでき、その他にも若い頃にはまったく
理解できなかったことも、「なるほど、そうだったんだ」と、知ることもあり
時折「齢を重ねるのもそう悪い事ばかりではないな」、と感じることもある
のです。※羽根木公園の林
高齢になると世間一般的な常識では、がんこ、利己的、保守的、猜疑心
が強い、諦観活動意欲が低下するなどと言われます。
でもそれが、それはすべての高齢者にあてはまることではありません。
まして最近の医学では「70歳過ぎても脳は発達する」と分かったのですか
ら・・・精神年齢はいたって若いと言うより、幼いという方が合っている
私は、それを知ったときは本当に嬉しかったです。
「高齢になったから,余生をのんびり過ごしたい」と思う人と、「生きて
いる限り社会の一員として働きたい」「人様のお役に立ちたい」「死ぬまで
向上したい」と思う人との落差は、大変大きなものでしょう。
私の希望は「死ぬまで現役」でいることですが、そのためには絶えず新しい
ことを学んで、そのための知識を得たり、またいろいろな人と知り合い
さまざまな情報を得たり、いろいろな本を読んで衰えつつある頭脳を刺激
しています。でも、コロナ禍のため私が関わっていた知的なものは、すべて
休会になりました。
「もう歳だから楽しく過ごせばそれで満足」と言う人が多いけれど、私は
元気でいれば、絶えず何かを吸収したいとアンテナを張っています。
34歳のとき子育てをしながら、ソシアルダンス教師として社会に出てから
それ以来今まで何も学ばない期間は、まったくありませんでした。
そのため、広く浅いのですが、色々なものを人様に指導できるように
なりました。「怠惰に生きるなら死んだ方がまし」と言う、価値観の持ち主
ですが、元気なうちはいつも燃えて生きていたいし、私自身は「死ぬまで勉強」
だと考えています。今の私の目標は「認知症の夫を幸せな状態で、長生き
させること」ですが、現在は認知症11年前になる夫ですが、記憶はできず
年月も、自分の年齢も、コロナが流行していることも、あまり理解はでき
ないようです。でも、その場では何でも判断でき、自分の事はすべて自分で
でき、穏やかで明るく、また日常会話もほとんどふつうにできる
「認知症優等生」です。私にはそれがとても嬉しいことです。
今ほとんど仕事がないので、夫の介護に支障がない限り、これからも
アンテナを張り、自分を高めるために生きたいと思っています