それは「日本社交舞踏教師協会」設立80周年記念行事
「80周年記念舞踏晩餐会」開催のお知らせだった。
ダンス教師になったのは33歳、主婦だった私が社会に出た。
教えるのは楽しかったが、当時のダンス界は私の感性に合わず、また自分
にそのセンスもないことも実感した。そのため、自分に合う仕事を見つけ
るため、絶えずアンテナを張っていた。
その何年か後には、梅丘駅北口前で「梅丘ヨーガ教室」,南口前で
「能里ダンススタジオ」を経営指導していた。ヨーガのものすごいブーム
続いてディスコダンス、ジャズダンス,、時代の先端をいつも走っていた。
ヨーガのスタッフも大勢育て、ダンススタジオでは、東京都公認社交ダンス教師
も3人育てた。その中には「劇団四季」の団員も一人いた。
二度目のビルには夫が私のために、外壁にお花を飾るプランターボックス
室内には鏡を二面にいっぱい張り、シャンデリアをたくさんの贅沢なスタジオ
を作ってくれた。楽しく懐かしいさまざまなことを、思い出させてくれた
お便りだった。