大久野島へ行ったさいに立ちよった、JR三原駅。この駅は城跡の上を
貫くように造られており、駅の中から天主台跡へ行けるようになっている。
駅構内に置かれていた備後国三原城の模型。沼田川の河口に位置するこの城は
満潮時になると海に浮かんだように見えていた事から、浮城と呼ばれていたそうだ。
![備後国三原城絵図](http://art1.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942299.v1456904607.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/a6/12fa9e70740467dc342b338f5d72bb37.jpg)
JR山陽本線・山陽新幹線は、この城跡を南北に分断する形で通っている。
駅より南側はもともと海だったが、埋め立てられて現在の街並みができた。
三原城の大半は消失してしまったが、その当時の名残りはいくつか存在しており
中でも三原駅の北側に接している天主台跡は、現在も公園としてその姿を残す。
![三原城天主台跡](http://art9.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942304.v1456904608.jpg)
天主台跡の開放時間は、06:30~22:00。入口の階段を上ると、すぐに到着した。
日本一の規模を誇る天主台というだけあり、残っている部分だけでもかなり広い。しかし三原城が建築された
1567年には、まだ天守閣を築く文化が無かったらしく、ある意味この広さも宝の持ち腐れのように感じてしまう。
![三原城の天主台から眺める堀](http://art17.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942313.v1456904608.jpg)
現在も天主台の周りは、水を湛えた堀でグルっと囲まれている。
東側を見下ろすと、堀の向こうに何かある。あちらへ行ってみよう。
バス停や、タクシー乗り場の中に小さな広場があった。ここは隆景広場だ。
![小早川隆景像](http://art1.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942321.v1456904608.jpg)
三原城の城主、小早川隆景の像が天主台を眺めるように建てられていた。
また石像に向かい合わせて隆景広場の石碑に、原爆死没者慰霊碑もある。
隆景が眺めている天主台の石垣。その高さは、およそ13m。
アブリ積みという、本来タブーとされている積み方で建てられた。
![天主台石垣説明板](http://art17.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942291.v1456904607.jpg)
余裕があれば、もっと三原城関連の探索もしてみたいところだけれど12時間も電車を
乗り継いできた後なので、翌日の島めぐりにも備えて今回は、このくらいにしておこう。
駅から徒歩0分の城跡、これほど巡りやすい場所もなかなか珍しいのではなかろうか?
大久野島目次 三原駅南へ進む
貫くように造られており、駅の中から天主台跡へ行けるようになっている。
駅構内に置かれていた備後国三原城の模型。沼田川の河口に位置するこの城は
満潮時になると海に浮かんだように見えていた事から、浮城と呼ばれていたそうだ。
![備後国三原城模型](http://art1.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942295.v1456904607.jpg)
![備後国三原城絵図](http://art1.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942299.v1456904607.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/a6/12fa9e70740467dc342b338f5d72bb37.jpg)
JR山陽本線・山陽新幹線は、この城跡を南北に分断する形で通っている。
駅より南側はもともと海だったが、埋め立てられて現在の街並みができた。
三原城の大半は消失してしまったが、その当時の名残りはいくつか存在しており
中でも三原駅の北側に接している天主台跡は、現在も公園としてその姿を残す。
![三原城天主台跡入口](http://art17.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942300.v1456904608.jpg)
![三原城天主台跡](http://art9.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942304.v1456904608.jpg)
天主台跡の開放時間は、06:30~22:00。入口の階段を上ると、すぐに到着した。
日本一の規模を誇る天主台というだけあり、残っている部分だけでもかなり広い。しかし三原城が建築された
1567年には、まだ天守閣を築く文化が無かったらしく、ある意味この広さも宝の持ち腐れのように感じてしまう。
![三原城天主台跡](http://art17.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942309.v1456904608.jpg)
![三原城の天主台から眺める堀](http://art17.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942313.v1456904608.jpg)
現在も天主台の周りは、水を湛えた堀でグルっと囲まれている。
東側を見下ろすと、堀の向こうに何かある。あちらへ行ってみよう。
バス停や、タクシー乗り場の中に小さな広場があった。ここは隆景広場だ。
![三原駅 隆景広場](http://art17.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942316.v1456904608.jpg)
![小早川隆景像](http://art1.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942321.v1456904608.jpg)
三原城の城主、小早川隆景の像が天主台を眺めるように建てられていた。
また石像に向かい合わせて隆景広場の石碑に、原爆死没者慰霊碑もある。
隆景が眺めている天主台の石垣。その高さは、およそ13m。
アブリ積みという、本来タブーとされている積み方で建てられた。
![三原城天主台の石垣と堀](http://art17.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942325.v1456904608.jpg)
![天主台石垣説明板](http://art17.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/233942291.v1456904607.jpg)
余裕があれば、もっと三原城関連の探索もしてみたいところだけれど12時間も電車を
乗り継いできた後なので、翌日の島めぐりにも備えて今回は、このくらいにしておこう。
駅から徒歩0分の城跡、これほど巡りやすい場所もなかなか珍しいのではなかろうか?
大久野島目次 三原駅南へ進む