2階建ての旧エンバーソン住宅は、上下の階ともに田の字型に4つの部屋が存在する。
まずは1階より。玄関を入ってすぐ右側に最初の部屋の入口があるのだが
こちらの部屋は管理人の事務所として使われていたため、スルーして先へ。
建物中央にある階段の前まで進むと、左側に応接室。正面に食堂の入口がある。
応接室には日本と、ロバート・エンバーソン氏の母国カナダの国旗が掲げられていた。
またこの応接室からは、先ほど通ってきた庭へ通じているテラスへも出る事ができる。
応接室と食堂の間にある部屋は居間。この建物の中で唯一、廊下に接していない部屋となる。
ここには、2台のアップライトピアノが。当時より、この部屋で演奏がされていたのだろうか。
食堂は、L字型に廊下で囲まれている事もあって、廊下との出入口が2つある。
さらに配膳窓や、居間への出入口。外へ通じる扉もあって、開放的な部屋だ。
食堂の配膳窓の外には、もう1つの階段があり、ここに黒電話も置かれていた。
(電話が普及した時代を考えると、エンバーソン氏が帰国した後に設置されたか)
また現在は取り壊されてしまい復元もされていないが、ここから奥には別棟も
存在したそうで、そちらには従者が使っていた和室や、食器庫があったらしい。
黒電話から階段の奥に見える扉は、トイレ。(位置的には事務所部屋の後ろにあたる)
さらにトイレの横には浴室もあるが、これらは移設されるさいに復元された物との事。
時代的に水道も下水もまだ整備されていないため、作りは非常にシンプル。
トイレの穴を覗き込むと、ボウルのような容器が置かれていたのだった。
あと、トイレの入口付近は床の軋みが凄かった。(そんな所まで再現したのか)
これで1階の部屋は一通り見て回れたので、次は2階へ。
黒電話前の階段を上り、配電盤のある廊下を過ぎてすぐ右の部屋にはベッドがあった。
2階は全ての部屋が寝室なのだが、ベッドが設置されているのは、この部屋だけとなる。
また、この部屋にある鏡台の上には、来館記念に貰えるポストカードも置かれている。
続いて、事務所やトイレの上の階となる部屋。2階の中では、一番小さい部屋だ。
この部屋は出入口の扉の正面に、もう一つ。納戸と思われる扉が設けられていた。
応接室の上に位置している部屋では、エンバーソン邸に関する様々な関連資料や
ジオラマ模型なども展示している。この部屋からは、サンルームへ出る事が可能。
1階のテラスの上に造られた、サンルーム。太陽の光を多く取り込む事ができる、明るい廊下だ。
外側の壁全てに窓があるので眺めが良い。が、ここから見えるのは動物園のウマ舎裏くらいだが。
そんな窓に気を取られて見逃したのだが、ここには屋根裏(立入禁止)へ続く階段もあったようだ。
そして、サンルーム伝いに最後の部屋へ。居間の上にあたる部屋は、子育て支援の部屋となっていた。
この部屋では、来館者が描いた絵が壁に貼り出されている。これで2階の部屋も全て見て回れただろう。
あとは玄関の上にバルコニーもあるが、こちらも立入禁止なので割愛。だいたい20分で館内を巡れた。
1904年(明治37年)に誕生してから、およそ120年の年月を経た、旧エンバーソン住宅。
(なおエンバーソン氏は1910年に帰国しているため、彼が住んでいたのは6年間のみ)
明治時代に建てられた貴重な西洋建築として、市指定文化財にも登録されているので
もし土日祝日に日本平へと訪れる機会があった際には、見学してみるのも良いだろう。
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まずは1階より。玄関を入ってすぐ右側に最初の部屋の入口があるのだが
こちらの部屋は管理人の事務所として使われていたため、スルーして先へ。
建物中央にある階段の前まで進むと、左側に応接室。正面に食堂の入口がある。
応接室には日本と、ロバート・エンバーソン氏の母国カナダの国旗が掲げられていた。
またこの応接室からは、先ほど通ってきた庭へ通じているテラスへも出る事ができる。
応接室と食堂の間にある部屋は居間。この建物の中で唯一、廊下に接していない部屋となる。
ここには、2台のアップライトピアノが。当時より、この部屋で演奏がされていたのだろうか。
食堂は、L字型に廊下で囲まれている事もあって、廊下との出入口が2つある。
さらに配膳窓や、居間への出入口。外へ通じる扉もあって、開放的な部屋だ。
食堂の配膳窓の外には、もう1つの階段があり、ここに黒電話も置かれていた。
(電話が普及した時代を考えると、エンバーソン氏が帰国した後に設置されたか)
また現在は取り壊されてしまい復元もされていないが、ここから奥には別棟も
存在したそうで、そちらには従者が使っていた和室や、食器庫があったらしい。
黒電話から階段の奥に見える扉は、トイレ。(位置的には事務所部屋の後ろにあたる)
さらにトイレの横には浴室もあるが、これらは移設されるさいに復元された物との事。
時代的に水道も下水もまだ整備されていないため、作りは非常にシンプル。
トイレの穴を覗き込むと、ボウルのような容器が置かれていたのだった。
あと、トイレの入口付近は床の軋みが凄かった。(そんな所まで再現したのか)
これで1階の部屋は一通り見て回れたので、次は2階へ。
黒電話前の階段を上り、配電盤のある廊下を過ぎてすぐ右の部屋にはベッドがあった。
2階は全ての部屋が寝室なのだが、ベッドが設置されているのは、この部屋だけとなる。
また、この部屋にある鏡台の上には、来館記念に貰えるポストカードも置かれている。
続いて、事務所やトイレの上の階となる部屋。2階の中では、一番小さい部屋だ。
この部屋は出入口の扉の正面に、もう一つ。納戸と思われる扉が設けられていた。
応接室の上に位置している部屋では、エンバーソン邸に関する様々な関連資料や
ジオラマ模型なども展示している。この部屋からは、サンルームへ出る事が可能。
1階のテラスの上に造られた、サンルーム。太陽の光を多く取り込む事ができる、明るい廊下だ。
外側の壁全てに窓があるので眺めが良い。が、ここから見えるのは動物園のウマ舎裏くらいだが。
そんな窓に気を取られて見逃したのだが、ここには屋根裏(立入禁止)へ続く階段もあったようだ。
そして、サンルーム伝いに最後の部屋へ。居間の上にあたる部屋は、子育て支援の部屋となっていた。
この部屋では、来館者が描いた絵が壁に貼り出されている。これで2階の部屋も全て見て回れただろう。
あとは玄関の上にバルコニーもあるが、こちらも立入禁止なので割愛。だいたい20分で館内を巡れた。
1904年(明治37年)に誕生してから、およそ120年の年月を経た、旧エンバーソン住宅。
(なおエンバーソン氏は1910年に帰国しているため、彼が住んでいたのは6年間のみ)
明治時代に建てられた貴重な西洋建築として、市指定文化財にも登録されているので
もし土日祝日に日本平へと訪れる機会があった際には、見学してみるのも良いだろう。
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