わが国の最高裁初の女性裁判官だった高橋久子さんが亡くなった。それまで男性ばかりだった最高裁に、高橋さんが入ったのは1994年。当時は15人中1人が女性枠という感じだったが、現在は3人。
労働省の官僚という前職にかかわらず、高橋さんはリベラルな見解が目立った。このブログでも取り上げた非嫡出子差別事件(1995年7月)においても、生まれによる差別は許されないという人権感覚に富んだ意見を述べておられる。
この共同反対意見の主語が「私たち」で、それまで「我々」だったのから変わり、女性が入ったことの影響かと話題になった。
謹んでご冥福をお祈りする。
追記 その後『法律時報』が裁判官としての高橋さんを取り上げている。経済学部卒だった高橋さんは最高裁なんか務まるわけがないと依頼を断ろうとしたそう。ところが一晩考えてみると、自分が多くに女性たちに、可能性はあるのだからチャレンジしてみなさいと言っていたことと矛盾するのではないかと思い引き受けたというエピソードには感動した。
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