「やっぱりみんな信じるんだな。ニュースや映像で流れると」
最終回のドラマ「FINAL CUT」で、主人公「慶介」はそう呟いた。
慶介の母は、12年前メディアの過剰な報道により殺人犯の汚名を着せられて自殺した。
このドラマは、僅かな手掛かりにより「真犯人」にたどり着いた息子の、執念の復讐劇。
彼がつぶやいたのは、フェイクニュースを作って真犯人の家族ごと騙し、目の前に犯人を
おびき出した時だった。
彼は憎いはずのメディアのカメラの前で白を切る犯人と対峙し、犯人しか知らない事実を
その口から引き出してみせたのだ。
目の前で繰り広げられた逮捕劇に沸く(かつて彼を利用した)メディアに対して、12年前
の事件について謝罪しろと迫る彼に「間違ったことはしていない」と開き直るミスターメデ
ィアと呼ばれる百瀬。
「結局あんたらは『特別』だと思っている。『何を大声で騒いで、何を黙るか』自分たちが決
められる。そういう特別な力があると思っている。だけど傷つけられて黙っている人たちが
いるということを忘れるな!」
「もうみんな一方的にただ受け取る時代じゃない!情報は手に入る!それぞれが面白いことは
自分自身が見つける。せめて見せてみろ。あるべき姿を。
沈黙してる人の声を聴く。何か伝えることで人の心を動かす。そういうのが役目だろ。今のまま
で本当に胸を張れんのかよ。過去を正して未来を見せろ。使命を果たせ!」と慶介が叫ぶシーン。
・・・・図らずもここで涙が溢れてしまった。
もちろん亀梨君の(鼻水も構わずに流す涙の)熱演にも泣けたのだが、彼が放った言葉は、
2003年にマイケルが起こされた訴えから2年後、約13年前に「判決」が出た時に、
私たちファンがメディアに向かって叫びたかった言葉だったからだ。
あの判決の朝、某情報番組の「顔」だった人は、いかにも不正に無罪を勝ち取ったと言わんばかり
に「無実と無罪は違いますからねー」とコメントした。
毎日傍聴したファンたちや、細目にレポートしてくれる米ファンのお陰で、すっかり米国の司法制度
に詳しくなっていた私たちは、米国の陪審員制度の難点や厳しさを知るにつけ、この制度では有名人
ほど無実でも有罪になる可能性が高い実態を知り、恐怖が日々増していった。長い裁判の末、どんな
気持ちでこの判決の日を迎えたことか。実態を知らないとしても、その心無い言葉にどれほど傷つき
「唖然とした」ことか。
マイケル・ジャクソン裁判。あの語るのもばかばかしいくらいに何の証拠もなく起こされた裁判は、
まさに報道の過熱により、いつの間にか「あったこと」になった。
子供が大好きで、ツアーの合間にさえこども病院を慰問していた彼にとって、これ程の屈辱はな
かったと思う。彼が10の容疑全てにおいて無罪を勝ち取ったのは「奇跡」に近いことだった。
この結果は全くもって相手側の偽証にのみ支えられていた裁判だったからであり、それは後に少年
の素行の悪さや母親の詐欺罪での逮捕によって証明された。
彼は、まさに「メディア報道の犠牲者」だったと思う。「メディアに殺された」とさえ、古いファン
の多くが思っている。あのデタラメな裁判の後、衰弱しきった彼はしばらくの間人前に出ることもせ
ず、応援してくれたファンの前でさえ、これまでのように自らの声で「感謝の言葉」を述べることも
できなかった。そうして四年後、ようやく本来の活動を再開しようとした矢先の「死」。
My artwork 1 Michael Jackson
あの裁判さえなければ、今でも彼は生きていたかもしれない。
なぜなら、あんな無謀で無茶な50回ものコンサートを、あの「汚名」が無ければ彼が組むはずも
なかっただろうから・・。
このドラマを制作したのが、当時最もマイケルを有罪に見えるよう報道した局だったのは、ただの偶然?
最終回のドラマ「FINAL CUT」で、主人公「慶介」はそう呟いた。
慶介の母は、12年前メディアの過剰な報道により殺人犯の汚名を着せられて自殺した。
このドラマは、僅かな手掛かりにより「真犯人」にたどり着いた息子の、執念の復讐劇。
彼がつぶやいたのは、フェイクニュースを作って真犯人の家族ごと騙し、目の前に犯人を
おびき出した時だった。
彼は憎いはずのメディアのカメラの前で白を切る犯人と対峙し、犯人しか知らない事実を
その口から引き出してみせたのだ。
目の前で繰り広げられた逮捕劇に沸く(かつて彼を利用した)メディアに対して、12年前
の事件について謝罪しろと迫る彼に「間違ったことはしていない」と開き直るミスターメデ
ィアと呼ばれる百瀬。
「結局あんたらは『特別』だと思っている。『何を大声で騒いで、何を黙るか』自分たちが決
められる。そういう特別な力があると思っている。だけど傷つけられて黙っている人たちが
いるということを忘れるな!」
「もうみんな一方的にただ受け取る時代じゃない!情報は手に入る!それぞれが面白いことは
自分自身が見つける。せめて見せてみろ。あるべき姿を。
沈黙してる人の声を聴く。何か伝えることで人の心を動かす。そういうのが役目だろ。今のまま
で本当に胸を張れんのかよ。過去を正して未来を見せろ。使命を果たせ!」と慶介が叫ぶシーン。
・・・・図らずもここで涙が溢れてしまった。
もちろん亀梨君の(鼻水も構わずに流す涙の)熱演にも泣けたのだが、彼が放った言葉は、
2003年にマイケルが起こされた訴えから2年後、約13年前に「判決」が出た時に、
私たちファンがメディアに向かって叫びたかった言葉だったからだ。
あの判決の朝、某情報番組の「顔」だった人は、いかにも不正に無罪を勝ち取ったと言わんばかり
に「無実と無罪は違いますからねー」とコメントした。
毎日傍聴したファンたちや、細目にレポートしてくれる米ファンのお陰で、すっかり米国の司法制度
に詳しくなっていた私たちは、米国の陪審員制度の難点や厳しさを知るにつけ、この制度では有名人
ほど無実でも有罪になる可能性が高い実態を知り、恐怖が日々増していった。長い裁判の末、どんな
気持ちでこの判決の日を迎えたことか。実態を知らないとしても、その心無い言葉にどれほど傷つき
「唖然とした」ことか。
マイケル・ジャクソン裁判。あの語るのもばかばかしいくらいに何の証拠もなく起こされた裁判は、
まさに報道の過熱により、いつの間にか「あったこと」になった。
子供が大好きで、ツアーの合間にさえこども病院を慰問していた彼にとって、これ程の屈辱はな
かったと思う。彼が10の容疑全てにおいて無罪を勝ち取ったのは「奇跡」に近いことだった。
この結果は全くもって相手側の偽証にのみ支えられていた裁判だったからであり、それは後に少年
の素行の悪さや母親の詐欺罪での逮捕によって証明された。
彼は、まさに「メディア報道の犠牲者」だったと思う。「メディアに殺された」とさえ、古いファン
の多くが思っている。あのデタラメな裁判の後、衰弱しきった彼はしばらくの間人前に出ることもせ
ず、応援してくれたファンの前でさえ、これまでのように自らの声で「感謝の言葉」を述べることも
できなかった。そうして四年後、ようやく本来の活動を再開しようとした矢先の「死」。
My artwork 1 Michael Jackson
あの裁判さえなければ、今でも彼は生きていたかもしれない。
なぜなら、あんな無謀で無茶な50回ものコンサートを、あの「汚名」が無ければ彼が組むはずも
なかっただろうから・・。
このドラマを制作したのが、当時最もマイケルを有罪に見えるよう報道した局だったのは、ただの偶然?