小太郎は生まれてからおよそ10か月の間、過酷な野良生活をしていましたが、
震災直後に思うところあって、保護した子でした。
そのせいかとにかく早食いで、ご飯を数秒で噛まずに飲み込み度々吐くため、
少量を食事回数を増やして与えねばなりませんでした。(なので、福太郎も
2回の食事だったのですが、コタに合わせました)私の仕事も猫の生活時間に
合わせて時間帯を決めさせてもらいました。
最近は特に食いしん坊ぶりを発揮し、油断していると福太郎のぶんまで奪って
しまうので別部屋での給餌でした。そのうち私の食事まで「隙あらば」と狙う
ようになり、こちらまで急いで食べる羽目に;
時には買ったばかりの食パンに、ちょっと目を離した隙に、かじった後が幾つ
もついていたりで、食品の保存場所には本当に頭を悩ませました。毎日が、ま
さに小太郎との攻防戦でした(笑)
流し台に調理後のお鍋など残していようものなら、舐めてしまったりするので
特に塩分のあるもの油のついたものは、一刻の猶予なく片付けねばなりません。
・・・・今思えば、それらは「糖尿病」のせいだったのかもしれないし、逆に
それが病気の原因だったのかもと。どちらにしろ以前とは少し違っていました。
だけど、やせっぽっちだった以前より少し太って、首回りなんて福太郎よりも
ずっと太くなって元気でした。私がトイレから出てこないと、白い小さな手で
ドアを必死で開けて入ってくるし、冬の夜は布団に入ってきて、グ~グ~と
うるさい程に喉を鳴らす子でした。
今は人見知りの福太郎が怯えるので、家族以外、家には呼ばないのですが、小
太郎はそれが誰であろうとコタツテーブルの前の椅子に座ると、必ず左側から
膝に飛び乗り、お尻トントンを要求します。
でも不思議なことに、私の膝に乗っている時「あ、煮物が煮えた頃かな」とか
「トイレに行きたいな」と思っただけで、サッと身を除ける子でした。いつだ
ったか、コンセントに刺したタップから煙が出ているのに気づかず、危うく火
事になりそうだったところを、小太郎のただならぬ声で助けられたこともあり、
私にとって「命の恩猫」でもあるのです。
そんな勘のいい子だったからこそ、最初に病気が発見されたとき、いえその前
の多飲多尿に気づいた頃から、私の感じていた不安がそのまま小太郎の不安を
煽ったのかもしれません。そして病院に行く度に元来の病院嫌いからさらに恐
怖心を募らせ、隠れていた心臓の病気を表面化させたような気がしてならない
のです。
「ストーカー猫」で「甘えん坊」で、時には「泥棒猫」だった小太郎が、こんな
に突然、福太郎よりも先に逝ってしまうなんて、家族の誰も想像すらしていませ
んでした。
今も小太郎が逝ってしまったことを受け入れられずにいます。あの時、最初から
あの病院で診てもらっていたら・・それとも往診に来てくれる獣医さんにお願い
していたら、小太郎の恐怖はもう少し抑えられて心臓病の症状が表面にでてくる
時間が少し先になっていたのかもと、後悔は尽きません。でも多分、何をしても
何が最善だったかは、判らないままなのでしょう。
どちらにしろ、二つの病気を抱えての最後の日々は、獣医さんが仰ったとおり、
穏やかなものになることはなかったのかもしれませんが、病院に向かうたびに
見せた恐怖に怯えた顔と鳴き声が、頭から離れずにいます。恐らく物言えぬ家族
を失った経験のある方々は、多かれ少なかれ、このような気持ちを味わってこら
れたことと思います。
二女とふうちゃん、そして通院中いつも車を運転してくれた姉と4人、主に小太郎
に関わった家族でお骨を拾いました。コタを可愛がっていた(一級トントン士の)
長女も、遠くからその画像を見てくれたそうです。(二女、趣味悪っww)
コタはこの場所でいつも私の姿をじっと見ていたので、しばらくここに。
福太郎は直後は変でしたが、今は以前より食欲が増して、朝など大声で起こし、前
よりずっと甘えん坊になりました(笑)お兄ちゃんだから我慢してたのかな^^;
掃除をしていたら、部屋のアチコチに小太郎の白くて細い毛が;;
台所に立つと、今も後ろから「ん~~っ」と変な鳴き声をあげながら見つめている
ような気がします。抱っこした時のあの柔らかい感触が、この手に残っています。
震災直後に思うところあって、保護した子でした。
そのせいかとにかく早食いで、ご飯を数秒で噛まずに飲み込み度々吐くため、
少量を食事回数を増やして与えねばなりませんでした。(なので、福太郎も
2回の食事だったのですが、コタに合わせました)私の仕事も猫の生活時間に
合わせて時間帯を決めさせてもらいました。
最近は特に食いしん坊ぶりを発揮し、油断していると福太郎のぶんまで奪って
しまうので別部屋での給餌でした。そのうち私の食事まで「隙あらば」と狙う
ようになり、こちらまで急いで食べる羽目に;
時には買ったばかりの食パンに、ちょっと目を離した隙に、かじった後が幾つ
もついていたりで、食品の保存場所には本当に頭を悩ませました。毎日が、ま
さに小太郎との攻防戦でした(笑)
流し台に調理後のお鍋など残していようものなら、舐めてしまったりするので
特に塩分のあるもの油のついたものは、一刻の猶予なく片付けねばなりません。
・・・・今思えば、それらは「糖尿病」のせいだったのかもしれないし、逆に
それが病気の原因だったのかもと。どちらにしろ以前とは少し違っていました。
だけど、やせっぽっちだった以前より少し太って、首回りなんて福太郎よりも
ずっと太くなって元気でした。私がトイレから出てこないと、白い小さな手で
ドアを必死で開けて入ってくるし、冬の夜は布団に入ってきて、グ~グ~と
うるさい程に喉を鳴らす子でした。
今は人見知りの福太郎が怯えるので、家族以外、家には呼ばないのですが、小
太郎はそれが誰であろうとコタツテーブルの前の椅子に座ると、必ず左側から
膝に飛び乗り、お尻トントンを要求します。
でも不思議なことに、私の膝に乗っている時「あ、煮物が煮えた頃かな」とか
「トイレに行きたいな」と思っただけで、サッと身を除ける子でした。いつだ
ったか、コンセントに刺したタップから煙が出ているのに気づかず、危うく火
事になりそうだったところを、小太郎のただならぬ声で助けられたこともあり、
私にとって「命の恩猫」でもあるのです。
そんな勘のいい子だったからこそ、最初に病気が発見されたとき、いえその前
の多飲多尿に気づいた頃から、私の感じていた不安がそのまま小太郎の不安を
煽ったのかもしれません。そして病院に行く度に元来の病院嫌いからさらに恐
怖心を募らせ、隠れていた心臓の病気を表面化させたような気がしてならない
のです。
「ストーカー猫」で「甘えん坊」で、時には「泥棒猫」だった小太郎が、こんな
に突然、福太郎よりも先に逝ってしまうなんて、家族の誰も想像すらしていませ
んでした。
今も小太郎が逝ってしまったことを受け入れられずにいます。あの時、最初から
あの病院で診てもらっていたら・・それとも往診に来てくれる獣医さんにお願い
していたら、小太郎の恐怖はもう少し抑えられて心臓病の症状が表面にでてくる
時間が少し先になっていたのかもと、後悔は尽きません。でも多分、何をしても
何が最善だったかは、判らないままなのでしょう。
どちらにしろ、二つの病気を抱えての最後の日々は、獣医さんが仰ったとおり、
穏やかなものになることはなかったのかもしれませんが、病院に向かうたびに
見せた恐怖に怯えた顔と鳴き声が、頭から離れずにいます。恐らく物言えぬ家族
を失った経験のある方々は、多かれ少なかれ、このような気持ちを味わってこら
れたことと思います。
二女とふうちゃん、そして通院中いつも車を運転してくれた姉と4人、主に小太郎
に関わった家族でお骨を拾いました。コタを可愛がっていた(一級トントン士の)
長女も、遠くからその画像を見てくれたそうです。(二女、趣味悪っww)
コタはこの場所でいつも私の姿をじっと見ていたので、しばらくここに。
福太郎は直後は変でしたが、今は以前より食欲が増して、朝など大声で起こし、前
よりずっと甘えん坊になりました(笑)お兄ちゃんだから我慢してたのかな^^;
掃除をしていたら、部屋のアチコチに小太郎の白くて細い毛が;;
台所に立つと、今も後ろから「ん~~っ」と変な鳴き声をあげながら見つめている
ような気がします。抱っこした時のあの柔らかい感触が、この手に残っています。