今日は「年末年始の何気ない日常」を楽しく記しておきたかったのですが、その前に、昨日
の日記に書いたドキュメンタリーの中で、書き漏らしてしまった1950年に起きた「衝撃的な
事件」について、少しだけ触れておこうかと思います。
それは、このドキュメンタリーで初めて「同じ市内で過去に起きた事実」だと知った私など
が、うっかり書けることでもなく、既に「闇に葬られた事件」であることから、もしかして
今も誰かの「触れられたくない過去」であるのかもしれません。
その「小倉黒人米兵集団脱走事件」が起きた「城野キャンプ」のことを、市内でも離れた地
域で生まれた育った私は、その存在すら知りませんでした。ましてや私が生まれるずっと以
前の出来事でしたから、子供の頃から比較的多く新聞を読んでいた私の、記憶にもないこと
でした。
しかし当時、その地域でハーフの子供さんが多く生まれ、彼らが「エリザベス・サンダース
ホーム」のような施設に引き取られたことは、事実のようでした・・。この事件だけを見て
も、どんな戦争(この時は朝鮮戦争)であれ、それがもたらす傷は、想像以上に大きいのだ
と感じます。
この事件は、「松本清張」の「黒地の絵」という小説の下地になったと言われるものだそう
ですが、ここでもやはり、米国の圧力に屈し、事件を無かったことにせざるを得なかったこ
の国の暗部が露呈していると思いました。詳しくはwikiにて👉小倉黒人米兵集団脱走事件
***********************
年末、なかなか消えない眩暈対策にデジタルデトックスを決め、首筋の数カ所にマグネット
絆創膏を貼った所、みるみる元気がでてきたので、取り敢えず大掃除の真似事だけでもと、
夏頃からずっと窓際にあったハチの巣を取り除き(今は空きの巣)、磨けなかった窓を少し
拭くことが出来ました(笑)それからキッチンペーパーで浴室入り口にカビ取り剤を湿布w
福太郎が爪を立てて台無しにした無印のタオル地のベッドパッドのループをカットし(泣)
枕のくぼみを自分の頭に合わせて作ってみたり、靴を磨いてみたり(右側がアフター)
夜には、福太郎用に小さな湯たんぽを毎日入れてみたり(私の布団の上だが;)
大晦日には、今回は出来ないと思っていたお煮しめくらいは作ることが出来た。
↑は、元旦に集まる予定の姉の家用と、(二女も一緒に行くため)留守番の夫さん用
ところが、毎年集まるメンバーが私たち以外来られなくなった。すぐ上の姉の義弟が、
大晦日に突然亡くなったのだ。そして、一昨日、その母つまり姉の義母も急死した。
今日は私の誕生日の食事会を開いてくれる予定だったが、私たちの代表として、葬儀に
長姉が行ってくれている。
お母さんはもう99歳で、大往生だとは言え、息子の初七日直後に逝ってしまわれるなん
て@@; 施設暮らしだったので息子の死を知らせなかったらしいけど、きっと解って
いたのではないかと。お母さんを迎えに来たのかもと言う人もいるが、否定できない気
もしている。食事会など無くてもいいけど、立て続けの不幸に、長男の嫁である姉はや
つれ果てているらしい。可哀想に。
暇になった私は、長女の置いて行った古いウールのコートなどのリメイクでもと、襟を
取ってみたものの、う~ん、気持ちが乗らない。また目まいが酷くなりそうだし。
で、中断している。
注文していた「大島弓子さん」の「キャットニップ4」が届いたので一気に読む。ああ
切ない;;今回はこれまでより一層胸に響いた☆大島弓子さん大丈夫だろうか・・・。
午後に二女が来て、「プレゼント」を置いて行った。
最近店舗数を増やしているフルーツショップの、一番高いシャインマスカットだそう。
粒が大きい@@し、美味しい☆
ふうちゃんの可愛いお手紙と、フルーツサンドも一緒に☆生クリームが多すぎるw
夫さんは本当に「「気遣いの人」で、我が家一同フルーツ好きなことを知っているた
め、奮発してくれたのだろうけど、もう・・一人では食べきれない(笑)
でも、有難う☆記憶ではww私にも息子がいるのに、ずっと夫さんの方が優しいww
びっくりするやらバタバタした誕生日だったけど、噛みしめると口の中でじゅわ~~
っと広がる果汁は、なんだか「幸せ」の味がして、もう少しだけ生きてもいいかなと、
思えた。
の日記に書いたドキュメンタリーの中で、書き漏らしてしまった1950年に起きた「衝撃的な
事件」について、少しだけ触れておこうかと思います。
それは、このドキュメンタリーで初めて「同じ市内で過去に起きた事実」だと知った私など
が、うっかり書けることでもなく、既に「闇に葬られた事件」であることから、もしかして
今も誰かの「触れられたくない過去」であるのかもしれません。
その「小倉黒人米兵集団脱走事件」が起きた「城野キャンプ」のことを、市内でも離れた地
域で生まれた育った私は、その存在すら知りませんでした。ましてや私が生まれるずっと以
前の出来事でしたから、子供の頃から比較的多く新聞を読んでいた私の、記憶にもないこと
でした。
しかし当時、その地域でハーフの子供さんが多く生まれ、彼らが「エリザベス・サンダース
ホーム」のような施設に引き取られたことは、事実のようでした・・。この事件だけを見て
も、どんな戦争(この時は朝鮮戦争)であれ、それがもたらす傷は、想像以上に大きいのだ
と感じます。
この事件は、「松本清張」の「黒地の絵」という小説の下地になったと言われるものだそう
ですが、ここでもやはり、米国の圧力に屈し、事件を無かったことにせざるを得なかったこ
の国の暗部が露呈していると思いました。詳しくはwikiにて👉小倉黒人米兵集団脱走事件
***********************
年末、なかなか消えない眩暈対策にデジタルデトックスを決め、首筋の数カ所にマグネット
絆創膏を貼った所、みるみる元気がでてきたので、取り敢えず大掃除の真似事だけでもと、
夏頃からずっと窓際にあったハチの巣を取り除き(今は空きの巣)、磨けなかった窓を少し
拭くことが出来ました(笑)それからキッチンペーパーで浴室入り口にカビ取り剤を湿布w
福太郎が爪を立てて台無しにした無印のタオル地のベッドパッドのループをカットし(泣)
枕のくぼみを自分の頭に合わせて作ってみたり、靴を磨いてみたり(右側がアフター)
夜には、福太郎用に小さな湯たんぽを毎日入れてみたり(私の布団の上だが;)
大晦日には、今回は出来ないと思っていたお煮しめくらいは作ることが出来た。
↑は、元旦に集まる予定の姉の家用と、(二女も一緒に行くため)留守番の夫さん用
ところが、毎年集まるメンバーが私たち以外来られなくなった。すぐ上の姉の義弟が、
大晦日に突然亡くなったのだ。そして、一昨日、その母つまり姉の義母も急死した。
今日は私の誕生日の食事会を開いてくれる予定だったが、私たちの代表として、葬儀に
長姉が行ってくれている。
お母さんはもう99歳で、大往生だとは言え、息子の初七日直後に逝ってしまわれるなん
て@@; 施設暮らしだったので息子の死を知らせなかったらしいけど、きっと解って
いたのではないかと。お母さんを迎えに来たのかもと言う人もいるが、否定できない気
もしている。食事会など無くてもいいけど、立て続けの不幸に、長男の嫁である姉はや
つれ果てているらしい。可哀想に。
暇になった私は、長女の置いて行った古いウールのコートなどのリメイクでもと、襟を
取ってみたものの、う~ん、気持ちが乗らない。また目まいが酷くなりそうだし。
で、中断している。
注文していた「大島弓子さん」の「キャットニップ4」が届いたので一気に読む。ああ
切ない;;今回はこれまでより一層胸に響いた☆大島弓子さん大丈夫だろうか・・・。
午後に二女が来て、「プレゼント」を置いて行った。
最近店舗数を増やしているフルーツショップの、一番高いシャインマスカットだそう。
粒が大きい@@し、美味しい☆
ふうちゃんの可愛いお手紙と、フルーツサンドも一緒に☆生クリームが多すぎるw
夫さんは本当に「「気遣いの人」で、我が家一同フルーツ好きなことを知っているた
め、奮発してくれたのだろうけど、もう・・一人では食べきれない(笑)
でも、有難う☆記憶ではww私にも息子がいるのに、ずっと夫さんの方が優しいww
びっくりするやらバタバタした誕生日だったけど、噛みしめると口の中でじゅわ~~
っと広がる果汁は、なんだか「幸せ」の味がして、もう少しだけ生きてもいいかなと、
思えた。
wildroseさんも、なかなか大変なお正月でしたね。
>もう少しだけ生きてもいいかな
いえいえ、可愛いふうちゃんと福ちゃんのために
まだまだ元気でいなければなりませんよ。
お体は無理せず、のんびり幸せをかみしめてくださいね。
闇は闇のままで…
それでもわたしたちは生きていかなければなりません。
ひとりひとりが自分の頭で考えていく世の中に
少しずつ変わっていきますように、
ふうちゃんたち子どもたちが大人になったとき
いい世の中になっていますように、と
毎年願うしかありません。
今年もよろしくお付き合いくださいね☆
本当に新年早々、大変でしたね!!
でも喘息などが酷くならずに良かったですね☆
どうか後遺症などがありませんよう、油断なさらずに!
それでも申し訳ないのですが、eowynさんの「見えない敵との闘い」の姿勢、
まるでゲームのステージが上がっていく時のような囲みの文言に
思わず笑みがこぼれました(ごめんなさい;)
そうですね。強く生きて、これ以上の腐敗を許さないくらいの気迫で参りましょう!
今年も色々愚痴るかもしれませんが、どうかお付き合いくださいませ☆