森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

「才能は人(他者)を傷つける」

2020-12-04 | 思い・つれづれ
先日最終回を迎えた「エール」以降、朝ドラをまた観なくなった。
主人公のモデルとなられた「浪花千恵子さん」というお名前には、幼い頃に聞き覚えが
あるにはあるがお顔も思い出せず(申し訳ないが)その時点で興味も消え失せた。

そもそもそういう習慣がなかった私が、なぜ「見続ける」かは、そのドラマのテーマの
どこかに「自分自身が共感できるか」だと思う。それは年齢や育った境遇だけでなく、
自分の好みにもよるので「人それぞれ」だろう。

そういう意味で、エールのモデルの古関裕而さんにも特段の関心はなかったはずなのに
見続けたのは、気弱だった彼が幼い頃から「音楽」を愛し続け、生きる糧としたことに
「共感」できたからかもしれない。

そして以前に日記にも書いたように、たくさんの「戦時歌謡」を作ったことで、多くの
人々を戦争に駆り立てたという「自責の念」や「後悔」に打ちのめされたこと。その後
周囲に励まされて彼本来の持ち味を活かした創作活動に向けることとなったプロセスに
は、「絶望から這い上がる」エールをもらった。

このドラマの最後から二話目の録画を、まだ消せないでいる。私が一番印象に残ったあ
る部分があるから。それは、志村けん扮する「小山田耕三」が、亡くなる直前に主人公
宛に書いたものの、「出すのを躊躇った手紙」。(志村さんが亡くならなければ、ここ
は志村さんの声が流れるところだったろうけど、窪田君の声で読まれた)

「久しぶりだね、活躍、何時も拝見していました。映画も舞台もよく観に行きました。
君の音楽に触れるにつれ、ようやく私は解ったことがある。「私は音楽を愛していた」
「君は音楽から愛されていた」今思えば、それが悔しくて恐ろしくて、君を庶民の音楽
に向かわせたのだろう。愚かだった。もしあの時「嫉妬」を乗り越え応援していたら、
君はクラシックの世界で才能を開花させていたはずだ。私は己のエゴのために君という
才能と共に「愛する音楽」を冒とくしてしまったのだ。後悔の念はずっと付きまとい、
私の心を蝕んだ。君がオリンピックの入場行進曲を書くと聴いた時、私は心の底から嬉
しかった。死ぬ間際で君のオリンピックマーチを聴いた。日本国民は誇らしく思っただ
ろう。
音楽の深淵を知る曲だ。期待に応えた君に国民を代表して最大の賛辞を贈りたい。
有難う。最後に気は引けるが、どうか私を許して欲しい。音楽を愛するが故の過ちだ。
道は違えど、音楽を通して日本に勇気と希望を与えてきた同志として今度は語り合いた
い。私は先に逝く。こちらに来たら声をかけてくれ」

確かに祐一は小山田氏のせいで、作りたかったクラシック音楽を諦め、生活のために大
衆音楽の道を歩むことになった。けれども、彼は言った。
「小山田先生の本で私は音楽を勉強してきました。感謝しかありません。天国でお話し
できるのが楽しみです」と。そして手紙を届けた秘書に深々と頭を下げた。

この手紙で、あの「スカーレット」での「喜美子の横にいるのはしんどいな」とふと八
郎が漏らした本音を思い出す。時に「才能」は、同じ道を志す人を、その才能故に、無
意識に「傷つけている」のだということ。それ故に、亀裂が生じることもある。

「嫉妬心」。「サリエリ」にとっての「モーツァルト」然り、どんな時代のどのような
類の世界でも、この「嫉妬」という厄介な感情に、アダムとイブの誕生以来からずっと
人は翻弄されてきたのかもしれない。それ故に争いが生じたり殺し合うこともあった。

私たち凡人にはあまり関係ないけれど、これまでの人生で実際にそういうことも見聞き
してきた。才能は止められないものだし、もしも近くにそういう人がいたら、心から応
援する方が「自分自身を更に傷つける」ことにならないのではないかとも。

小山田氏のように「ずっと後悔の念を持つ」のは苦しいだろうから。あの手紙はそうい
う意味で、最後に皆の疑念を回収したのだと思った。これが無かったら、心はいつまで
も晴れずにいただろうと。・・・そういう意味でも「良いラスト」だった☆

ところであの八郎を演じた松下洸平さんが出演する「#リモラブ」。
スカーレットで彼の演技を観ても思ったけど、このドラマでもやっぱりとても感じいい☆

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