気分が沈み、なかなか浮上できない夜は、映画を観るのが
最も手近な手段だったのに、あの日(日本時間6月26日)
以来、昔から好きだったことや物たちに気が向かなかった。
あれから、DVDを借りても心が動くことがなかったり、
或いは逆に、感情が度を越えて嗚咽にまで至ってしまうので、
映画のチョイスも難しく、最近は迷うくらいなら借りないと
いう選択をしていた。
この、クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を観るのも
そういう理由でちょっと躊躇ったが、やはり借りて良かった。
でも、ネタバレせずにその理由を話すのは難しいな・・。
いつものようにちょっとだけ(笑)
偏屈で差別用語を連発する老人のはずだった主人公が・・。
ラストはやはりイーストウッド、カッコ良すぎの感は否めない
けど、解る。解るよ・・って泣ける。
理髪店主とのやりとりも、クスリと笑えていい。
「硫黄島からの手紙」を途中放棄した私が偉そうなことを
言えないが、このラストで少年がグラントリノを走らせる
シーンは、その結末が悲しみを植えつけるだけで終わらせず
「希望」のようなものを残してくれ、救われる。
同時に「長いわりに伝えたいものが解らない」という評価が
多くて、未だ観ていなかったブラピの「ベンジャミン・バトン」
も借りてみた。
劇場にわざわざ足を運んだ人には不満だったかもしれないけど、
「物語」としてもビジュアル的にも楽しめる映画は、今の私に
丁度いい気がする。
何も難しいことを期待せずに見るというのも、純粋に楽しむと
という意味では映画の原点のような気がして、いい。
そういえば、チェンジリングを観た時、ロス警察が主人公に
強引に認めさせようとするやり取りの中で、マイケルにも過去に
捜査上の汚点や不正を覆い隠すためにやったのではないかと思わ
せるシーンがあり、ファンの友人にも観てもらったことがある。
この映画が事実に基づくものであるからこそ、怒りを覚えずには
いられなかった。その後、たまたまある組織のことについて調べる
うちに、マイケルは私たちが想像していた以上の大きな勢力と戦って
いたのでは?という疑問にも突き当たった。
友人が、マイケルとは関係ないあるブログで、それに近いことを
調べ続けていた人がチェンジリングの主人公と同様に「精神病院」
に入れられたことを読んだらしく、私にももうこれ以上調べたり
ブログに書いたりしない方がいいと、忠告してくれた。
たかがこんな小さいブログに誰が?と、私は笑って聞き流したが、
アメリカのこの手の映画をよく観ている私たちには、一般市民が
巻き込まれることが皆無だなどと脳天気なことは、もちろん言え
ない。
でも、悲しいかな私はそこまで調べる力量も根性もないから大丈夫
なんだけど(笑)
それに、もはやマイケルは誰かに利用されることも圧力をかけられ
るような危険も無い所にいる。ならばもう、世界を誰が牛耳ってい
ようがどうでもいいとさえ思ってしまう。
・・・駄目だ。子供たちはどうなる?と誰かの声がする。
最も手近な手段だったのに、あの日(日本時間6月26日)
以来、昔から好きだったことや物たちに気が向かなかった。
あれから、DVDを借りても心が動くことがなかったり、
或いは逆に、感情が度を越えて嗚咽にまで至ってしまうので、
映画のチョイスも難しく、最近は迷うくらいなら借りないと
いう選択をしていた。
この、クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を観るのも
そういう理由でちょっと躊躇ったが、やはり借りて良かった。
でも、ネタバレせずにその理由を話すのは難しいな・・。
いつものようにちょっとだけ(笑)
偏屈で差別用語を連発する老人のはずだった主人公が・・。
ラストはやはりイーストウッド、カッコ良すぎの感は否めない
けど、解る。解るよ・・って泣ける。
理髪店主とのやりとりも、クスリと笑えていい。
「硫黄島からの手紙」を途中放棄した私が偉そうなことを
言えないが、このラストで少年がグラントリノを走らせる
シーンは、その結末が悲しみを植えつけるだけで終わらせず
「希望」のようなものを残してくれ、救われる。
同時に「長いわりに伝えたいものが解らない」という評価が
多くて、未だ観ていなかったブラピの「ベンジャミン・バトン」
も借りてみた。
劇場にわざわざ足を運んだ人には不満だったかもしれないけど、
「物語」としてもビジュアル的にも楽しめる映画は、今の私に
丁度いい気がする。
何も難しいことを期待せずに見るというのも、純粋に楽しむと
という意味では映画の原点のような気がして、いい。
そういえば、チェンジリングを観た時、ロス警察が主人公に
強引に認めさせようとするやり取りの中で、マイケルにも過去に
捜査上の汚点や不正を覆い隠すためにやったのではないかと思わ
せるシーンがあり、ファンの友人にも観てもらったことがある。
この映画が事実に基づくものであるからこそ、怒りを覚えずには
いられなかった。その後、たまたまある組織のことについて調べる
うちに、マイケルは私たちが想像していた以上の大きな勢力と戦って
いたのでは?という疑問にも突き当たった。
友人が、マイケルとは関係ないあるブログで、それに近いことを
調べ続けていた人がチェンジリングの主人公と同様に「精神病院」
に入れられたことを読んだらしく、私にももうこれ以上調べたり
ブログに書いたりしない方がいいと、忠告してくれた。
たかがこんな小さいブログに誰が?と、私は笑って聞き流したが、
アメリカのこの手の映画をよく観ている私たちには、一般市民が
巻き込まれることが皆無だなどと脳天気なことは、もちろん言え
ない。
でも、悲しいかな私はそこまで調べる力量も根性もないから大丈夫
なんだけど(笑)
それに、もはやマイケルは誰かに利用されることも圧力をかけられ
るような危険も無い所にいる。ならばもう、世界を誰が牛耳ってい
ようがどうでもいいとさえ思ってしまう。
・・・駄目だ。子供たちはどうなる?と誰かの声がする。