「叡知」②

2012-06-24 01:47:05 | インポート



           「叡知」②


 私は、この「叡知」というものにどうしてもこだわってしまうの

ですが、と言うのも、時代が大きな転換を迫られている時には、こ

れまで通りの知性では、何故なら知性とは過去の記憶からもたらさ

れるのですから、新しい考え方が生まれて来ないと思うからです。

これまで近代社会は自由主義経済の下で競争原理に従って生存競争

を受け入れて発展して来ましたが、いよいよ経済がグローバル化し

て、世界は近代化し均一化され、何れアマゾンの奥地にもマクドナ

ルドのチェーン店がオープンし、やがて密林も資源として扱われ未

開の自然が失われ、そもそも自然循環の中で暮らしていた人々は近

代人とは別の価値観で暮らしていたのだが、遂には彼等も近代社会

のルールに従わされ、世界経済は緩衝地帯を失い、一方の豊かさは

他方の貧しさの犠牲の上に築かれるゼロサム世界をもたらすでしょ

う。当然、均一化した世界は人々の均一化した思考から生まれます。

すでに、歩くことよりも車に乗って行く方が楽だというのは世界中

の誰もが認めることですが、しかし「安楽」はその他の価値よりも

優先されると言えるでしょうか。もちろん、我々の知性が求める合

理性はそんなことで戸惑ったりしませんが、果たして、自動車があ

れば歩くことは価値を失うのでしょうか。仮に、歩くことが何より

も楽しいことだとすれば、半日かけて歩くところを自動車に乗って

わずか一時間足らずで着いてしまうことがどれほど馬鹿げたことに

思えくることでしょう。それにも拘らず、合理化して余った時間に

は運動不足を解消するために、ランニングマシンの上で仕事もせず

にひたすら駆けることに費やされるのがどうして合理的だと言える

でしょうか。つまり、経済合理主義は我々の身体的価値までも経済

的価値に置き換えてしまい、我々は主体として「生きる悦び」とい

う目的を見失い、労働者という経済的手段、それを家畜と呼ぶのは

誤りだろうか、に堕落してしまったのだ。そういう経済合理主義の

ロジックから抜け出し、もう少し人間性を回復させるには、合理性を

越えた感性から生まれる「叡知」こそが求められているのではない

だろうか。

 ずいぶん話が逸れましたが、われわれの知性は、恐らく近代文明

の呪縛を解いて目の前にある経済合理主義を棄てて、車に乗って楽

(らく)して行くことよりも、歩くことを楽(たの)しむことを選ぶこ

とはまずないでしょう。国土を未来永劫に亘って放射能物質で汚染

する国家存亡の危機に陥れた原発事故を起こしてさえも、我々は再

び同じ誤りが起る可能性のある原発の廃止をたった一年で覆してし

まいました。そこには、コウノトリの親が自らの身を犠牲にしても

必死になって我が子を守ろうとする「叡知」の片羽も見受けられな

い。何としても繰り返さないという煩悶の後が見えない。ただ、賢しい

知性で経済を優先する為に過去の誤りを糊塗したというだけではな

いか。それすら実際は怪しいが。しかし、知性からは新しい創造を生

む「叡知」はもたらされないとすれば、我々に降り濯ぐ日射ならぬ放射

線はいったい誰が身を挺して遮ってくれるというのだろうか。




「叡知」

2012-06-22 04:10:34 | インポート



           「叡知」


 「叡知」とは、辞書によれば「すぐれた知恵。深く物事の道理に

通じる才知。」(大辞泉) とあっさり書かれているだけで、それ以上

の記述も見当たらなかった。「叡知」とは我々の知恵や理性を越え

てあるものだと思っていたが、先のブログの「親心」に載せた、コ

ウノトリの親が雛たちを日差しから守るために両翼を拡げて遮って

いる姿を見て、コウノトリには失礼だが、彼らに元々そんな知恵が

備わっているはずはないと思い、何故親鳥はそんな行動ができたの

か不思議だった。仮にそんな知恵が元から備わっていないとすれば、

親鳥は羽毛もまだ生え揃っていない雛鳥たちが直接浴びる日射に

耐えられずに衰弱していく姿を見兼ねて、居ても立ってもおれなくな

り、その親心から翼を広げて日陰にする行為を無心で行っていたの

ではないだろうか。それは、たぶん知恵からもたらされたというよりも、

雛鳥たちを何としても守りたいという一心が行為をもたらしたのでは

ないだろうか。

 とすれば、知性を越えて「叡知」が在ると考えるのは反対ではな

いかと思った。我々の知性は生命が生み出した「叡知」がもたらし

たのではないか。つまり、知性とはその「叡知」が堕落した成れの

果てではないのか。そこにはあの親鳥が見せたような雛鳥に対する

強い執着がない。ただ原理に従ってものごとを行えば思い通りにな

ると信じている。しかし、世界は知性のマニュアルによって創られ

ているのではない。だから、知性以外の「叡知」が生まれず想定外

の事態に対処できない。恐らく、問題はその関わり方ではないかと

思う。大津波による原発事故を想定外の出来事と捉えるか、しかし、

その危険を想定して警鐘を鳴らしていた人だって居たではないか。

我々は、本来備わっていたはずの「叡知」を生む生命力を失い、そ

の抜け殻の知性だけで世界を捉えているのだ。そこからは、あのコ

ウノトリの親が思い付いたような「叡知」は生まれない。その「叡

知」とは、自らを犠牲にしてまでも我が子を守りたいという強い一

念からしか生まれないのではないか。「叡知」を伴わない知性から

は新しい創造は生まれて来ないことをコウノトリは教えている。しか

し我々の知性は、それを動物的本能と片付けてしまい、原発事故

を想定外の出来事と言って退ける。だが、自らの保身から生まれ

る知性からは新しい創造をもたらす「叡知」は決して生まれて来な

いだろう。むしろ、賢しい知性が破綻して生命の根源に立ち帰らざ

るを得なくなった時にこそ「叡知」らしきものに導かれるのではない

だろうか。しかし、生存環境を失ってしまえばどうにもならないはず

だが。







「直接民主主義」

2012-06-21 17:07:23 | 「パラダイムシフト」




         「直接民主主義」


 この国で、将来の理想を語ることがどれほど空しい徒労に終わる

ことになるかを知らないわけではないが、それでも既得権益に群が

る腐った蛆虫どもと同等に見られたくないので、空しさを予感した

上で理想を語ろうと思う。

 すでにインターネット技術の発達によって、有権者による直接民

主主義が可能ではないだろうか。技術的なことは詳しくないがそれ

ほど難しいことだとは思えない。ただ、総背番号制は欠かせないだ

ろうが、投票に用いる端末器を行き渡らせることや、その集計には

それほど問題があるとは思えない。もしもそうなれば、まず、莫大

な歳費を貪るだけの国と地方に巣食う代議士が一掃できる。後はそ

の処理に当たる事務局さえ残せばいいだけだ。もっともその事務方

が歪めてしまう危険性がないわけではないが、それさえも直接投票

によって糾すことができるはずだ。立法を求める法案は全ての有権

者が提案でき、何段階かの審査投票を経て議案として取り上げ最終

的に住民投票か国民投票でクリック一つで採決する。矛盾する法律

の調整だけが官僚たちの役割だ。もう彼等が無能な政治家を使って

思い通りに引水させてはならない。専門的な知識が求められたり是

非に対する様々な意見は専門家による解説や議論をインターネット

上やマス・メディアを通じて行えばいい。無用になった国会は、この国

の腐敗した政治の歴史を伝える博物館にでもすればいい。

 もう政治家を無くそう、と言うのは、本来主権が国民や住民にあ

るのなら、大統領も首相も知事も市長もまして何の役にも立たない

議員など無用のはずではないか。彼等が国民の負託を忘れ官僚に

洗脳されて体制に従うのであれば、いったい何をする為の代議士な

のか。民主主義に於いてリーダーとは有権者の上に権力を与えられ

て立つ人ではなく、有権者の決定を執行する監督人に過ぎない。こ

れほどまでにも国民の意志が政治家によって歪められてしまうなら、

そして政治家の歳費こそが大きな債務を生むのであれば、たとえ衆

愚政治に陥ったとしても、どちらにしてもその責任を負わされるのは

主権者たる国民であるのだから、責任を負うべき主権者の直接の判

断によって決定される方がマシではないか。ポピュリズムを警戒する

人は、それでは今の政治家たちは信念を曲げずにポピュリズムに対

して毅然として立ち向かっているだろうか。いったい誰が主権者の声

を代弁してくれるポピュリストだというのか。何れも既得権にしがみつく

団体の御用政治家ばかりじゃないか。この頃のSNSの浸透や携帯端

末の充実を見れば、その流れは今の政治を変えて、直接民主主義へ

向かわせているように思えてならない。そう考えているだけでも空しさを

忘れて何だか気分がスッキリしてきた。



                         

「親心」

2012-06-21 01:56:35 | インポート



                「親心」


 何でそんなことを知っているんだろう?

 これぞ「叡知」だ!

 それにしてもおかあさん、暑かろうに。

 亡くなった母を思い出して泣けてきた。

 

朝日新聞デジタル 2012年6月20日22時3分

翼を広げてヒナに日陰をつくるコウノトリの親鳥=6月7日、兵庫県豊岡市野上、小崎晃さん撮影

翼の日傘でヒナ「涼しい~」 豊岡のコウノトリ


 国の特別天然記念物・コウノトリの親鳥が兵庫県豊岡市の人工巣

塔で、翼を広げてヒナに日陰をつくる姿を、全日写連会員の小崎晃

さんが撮影した。

 撮影は今月7日。ヒナが卵からかえったのは5月下旬。コウノト

リの野生化に取り組む兵庫県立コウノトリの郷公園は「ヒナが小さ

な時期にたまに見られる行動」と説明している。(新井正之)

 


「無題」 (四)―①

2012-06-21 00:09:50 | 小説「無題」 (一) ― (五)



                   「無題」


                   (四)―①


 得体の知れない不安とは未知の恐怖であり、その恐怖がたとえ絵画

であれ自分の認識と曲がりなりにも相関させることができて未知の恐

怖から多少なりとも解放された安堵感からか、まもなく電車が自宅近

くの駅に到着するにも拘らず、眠りを誘う快適な揺れに気を緩ませて

つい眠り込んでしまった。

 恐怖は初めて体験する時が一番怖ろしくって、二度三度と同じ体験

をするに従ってその絶対性が失われて慣れてしまう。我々が死ぬこと

を最も怖れるのはその体験が一度限の絶対的なことだからだ。例えば、

もう一度だけ蘇えってやり直せるとなれば、死は我々を怖れさせず、

と言うのは二度目の絶対死さえ一度死を体験しているので未知ではな

い、だから、この一回性こそが恐怖をもたらすのだ。また、神がもう

一人存在してもその絶対性は失われてしまうだろう。恐らくキリスト

教が凋落したのはイエスを神の子として認めたからではないか。イエ

スへの信仰が神の絶対性を損なわせたのだ。絶対とは唯一無二で相対

化できない。神の使いとしてイエスが現れイエスに対する愛が神その

ものに対する信仰を失わせた。我々はキリスト教をイスラム教のよう

な一神教として捉えているが少し違うと思う。キリスト教は神と神を

補完する神の子イエスの、相応しい言葉が思い付かないが、謂わば「

二神教」なのだ。その神の子イエスは神による救済を説いた。しかし、

信仰とは決して説明によって理解されるものではない。神の存在がい

かに不条理であっても「カミュ」でなく「神」を信じるしかない。イ

スラム教のように考えるなただ信じろこそが信仰だ。ただ、イエスの

言葉が残されなければ懐疑主義は生まれず、従って論理的思考は育た

ず科学は今のように発展しなかったかもしれない。パスカルやデカル

トは謂わばイエスの申し子なのだ。つまり、イエスは人々に神による

救済を説いたが、その語った言葉こそが後の人々を論理的思考に導き

物質文明を発展させ実存主義を生んだ。しかし、神による救済とは相

対世界で生きるものの絶対への不安、死への恐怖からの救済であった。

我々がいくら神の存在を否定しても依然として死の不安から逃れるこ

とができたわけではない。話しが逸れてしまったが、未知への恐怖と

はその絶対性に対する恐怖なのだ。

 目が覚めると下車すべき駅はとっくに通り過ぎてしまっていた。車

内を見回すと見覚えのある乗客は誰も居なくなり、電車を降りた後に

タイムカードを押すような通勤人の姿は自分以外見当たらないほど社

会的義務から開放された寛いだ乗客に囲まれていた。斜め向かいの席

の人々は缶ビールを飲んでいた。車窓からは人家が途切れた先に水平

線が見えた。電車はどこら辺りを走っているのか分らなかったが、つ

いさっきまで私が居た世界、夢の中で織りなされた出来事を記憶に留

めようとして再び重い目蓋を閉じた。

                                    (つづく)
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