ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

三谷幸喜作「アパッチ砦の攻防」

2011-10-27 15:02:08 | 芝居
9月27日紀伊国屋ホールで、三谷幸喜作「アパッチ砦の攻防」をみた(劇団東京ヴォードヴィルショー、演出:永井寛孝)。

とあるマンションの一室。中年男鏑木(かぶらぎ)は結婚の決まった娘と和やかに話している。娘は婚約者を連れてくると
言って出かける。と、そこへやはり中年の鴨田が帰ってくる。彼は自分の部屋に見知らぬ男がいるので驚くが、鏑木は
テレビの修理にきた電気屋だと名乗り、あわてて作業着に着替えてテレビをいじり出す。
実は鏑木はつい先日までこの部屋に住んでいたが、借金を抱え泣く泣く手放したのだった。娘にもそのことは言い出せず、
まだ鍵を返していなかったのを幸いに、娘の婚約者をここで出迎えようと企んだのである。
これだけでも大ばくちなのに娘の婚約者ばかりかその両親まで来るというので鏑木が焦っていると、そこに彼の前妻やら
現在の恋人やら隣の夫婦等々が入り乱れて大変な混線模様に・・・。

まあ要するに軽いドタバタ喜劇だが、残念ながら100%手放しでは笑えなかった。

鏑木が他人の物を見境なく娘の彼氏や彼氏の父親にやってしまうのが、不自然だし不愉快で見苦しい。だってそれはただの
自分の見栄のためなのだから。娘への愛情ゆえと言いたいのだろうが、あまりにも醜い。これで笑えるかっつうの。その上
あろうことか他人の財布から金を抜き取りさえする。もはや犯罪者だ。常軌を逸している。悲しい。こんな奴は警察に
突き出すべきだ。

家を出て行こうとする妻に向かって鴨田がかける言葉、そしてそれに対する彼女の反応には呆れる。これは一体いつの時代
の話なのか。そもそもこの二人は本当に夫婦なのか。まるでリアリティがない。妻は始終敬語を使っていてまるで秘書か
お手伝いさんのようだ。(年も相当離れていて父と娘のようだが、それはあり得ることだ。)夫は妻に触れることがない。
そんなことアリか?思うに作者はあまりにも多くの洋画を見過ぎたために、かえって、日本では夫婦のあり方が欧米より
ずっと淡泊でよそよそしいものだ、と思い込んでしまったのではないだろうか。実際には、イマドキこんな(明治時代
みたいな)夫婦いるわけがない。
浮気がばれた妻が家を出ていくという一番肝心な場面でさえ、彼は妻から遠く離れて椅子に座ったまま声をかける。
この男、妻に留まってほしいらしいが、それはただ日常生活が不便になるのがいやだからではないか、とすら思える。
彼女の方は、浮気相手が本気じゃなかったという衝撃的な事実を知ってしまい、行く当てもないのだから「浮気を許して
もらった」と思ってほっとしたのだろうが、本当にそれでいいのか。夫婦ってそんなものなのか。この二人、或る意味
似合いの夫婦ってことか。
経済的依存と家事的依存・・・何と平凡なつまらない結末!

盗んだ5万円のことはしっかり片をつけてもらいたい。絵画も置き物もゴルフバッグも洋酒も。そして鏑木の娘には
鴨田に対してもっとはっきり謝罪し、恐縮してもらいたい。
いやはや我ながら注文の多いこと。
それからもう一つ。娘の彼氏の両親が結婚式当日の恰好(留袖とモーニング)なのは何なのか?笑ってほしいのか?
たまたま親戚の式の帰りなのか?

ラストはご存じ「ミタニ・エンディング」(2人の男が観客そっちのけで仲良く一緒に何かをする)。

この芝居は以前テレビで見たことがあったが、その時は愛人ビビアンも前妻サダもいなかった。
三谷さんは再演のたびに台本を書き直し、そのたびに登場人物が増えてきたらしい。
今となってはこの二人のいない「アパッチ」なんて想像できない。
ビビアンが日本語を勉強中で、ことわざ辞典を「あ」の項から暗記している、という設定が楽しい。
役者では鴨田の妻まち子役の沖直未さんが印象的。声が甘くて可愛い。
前妻サダ役のあめくみちこは揺るぎない存在感でビシッと決める。





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