3月13日、新国立劇場小劇場で、ローラント・シンメルプフェニヒ作「昔の女」を観た(演出:倉持裕、日本初演)。
この作者については何も知らなかったが、どうも彼には言いたいことがないようだ。メッセージ性の欠如。単に面白い趣向を思いついたから、というので芝居を書くのだろう。
確かに人間には、訳もなく何かの行動に駆り立てられることがある。吸い寄せられるように、人に向かって石を投げてしまい、思ってもみなかった恐ろしい運命を自らの元に引き寄せてしまうこともあるかも知れない。それは充分一つの芝居のテーマとなり得るものだ。しかし作者は、特にそういうことを言いたいのでもなさそうだ。
恋人の息子に対する女の怒りはよく理解できるが、その前に、息子の方の気持ちについて行けない。
少し悪趣味。我々の感性との隔たりの大きさを感じさせられた。
ラスト、崩壊する家庭のシーンの大音響は、高齢の観客には酷だ。心臓の弱い人にも。
これは寓話なのだろうか。軽々しく「永遠の愛」を口にする男性的なるものに対する女性的なるものからの復讐?ちょっとばかばかしくないか?
それなら対処法はある。映画「カサブランカ」のリックのように、今夜の予定を尋ねられても「そんな先のことは分からない」と答えておけば間違いない。「永遠に」とか「いつまでも」とか言いさえしなければ no problem だ。
結論を言えば、奇をてらっただけの、後味の悪い不愉快な作品だ。
役者たちはみな魅力的だし熱演しているので、こんなことは書きたくないのだが。
この作者については何も知らなかったが、どうも彼には言いたいことがないようだ。メッセージ性の欠如。単に面白い趣向を思いついたから、というので芝居を書くのだろう。
確かに人間には、訳もなく何かの行動に駆り立てられることがある。吸い寄せられるように、人に向かって石を投げてしまい、思ってもみなかった恐ろしい運命を自らの元に引き寄せてしまうこともあるかも知れない。それは充分一つの芝居のテーマとなり得るものだ。しかし作者は、特にそういうことを言いたいのでもなさそうだ。
恋人の息子に対する女の怒りはよく理解できるが、その前に、息子の方の気持ちについて行けない。
少し悪趣味。我々の感性との隔たりの大きさを感じさせられた。
ラスト、崩壊する家庭のシーンの大音響は、高齢の観客には酷だ。心臓の弱い人にも。
これは寓話なのだろうか。軽々しく「永遠の愛」を口にする男性的なるものに対する女性的なるものからの復讐?ちょっとばかばかしくないか?
それなら対処法はある。映画「カサブランカ」のリックのように、今夜の予定を尋ねられても「そんな先のことは分からない」と答えておけば間違いない。「永遠に」とか「いつまでも」とか言いさえしなければ no problem だ。
結論を言えば、奇をてらっただけの、後味の悪い不愉快な作品だ。
役者たちはみな魅力的だし熱演しているので、こんなことは書きたくないのだが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます