FPNの「コンサルタント選びの難しさ」というところ(ここ)に、こんな言葉がありました。
メールから教養が伺えない人間
メールから、教養が伺える。。。どういうのだろう。
まず、拝啓 時下ますます。。。と書いてはいけない?
ちゃんと今なら立秋の候とかになるのかなあ。。
あ、暦の上では、もう秋じゃん!残暑見舞いもかいてない。。。
で、それはそうと、じゃん!なんて、つかってはいけない。
うーん、どーいうメールが教養あるメールなんだろう。
そういえば、昔、「見知らぬ人にたいしてメールをだすとき」 拝啓とか、時候の挨拶はいるのかどうか?というのが話題になったことがある。
必要ない!という意見が大半だったけど(メールはそういう文化だという理由で)、ウィリアムのいたずらは、念のためにつけている。
理由:
知らない人が、メール文化にいた場合。
→拝啓とつけても、「こいつばか!?」と思って、見下されて、軽蔑されるだけ
:怒られて取引中止になる可能性は低い
知らない人が、手紙文化にいた場合
→拝啓とつけないと、「失礼なやつ」と思って、怒り出したり、出入り禁止になる
危険性は、否定できない。
つまり、馬鹿にされたりするのはまあ、しかたないものとして、取引上、怒らせて不利になる危険は?というと、つけないほうのほうが、高い気がするからです。
それはそうと、教養のあるメールとは?どんなんだろう。。。
うーん、考えてもわからない
=ウィリアムのいたずらに教養がないから!?
=たしかに(^^;)