「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「伏見稲荷大社」(ふしみいなりたいしや)

2006年09月27日 23時39分37秒 | 古都逍遥「京都篇」
 毎年お正月の初詣で、明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師に次ぎ四番目にランキングされ、参拝者数も240万人にものぼる伏見稲荷大社は、商売繁盛の神社として知られ、通称「おいなりさん」と言って人々に親しまれている。そして神格として「狐」が祀られているのもご周知のこと。

 古来から由緒ある神社には神の使いとして動物が祀られていることが多く、伊勢神宮の鶏、春日大社の鹿、日吉大社の猿、八幡宮の鳩というふうに、それぞれの動物が神格として尊ばれている。しかし、お稲荷さんの狐は、単なる神使ではなく、眷属(けんぞく)といって神様の一族のような資格を与えられており、そのため当社の狐は稲荷神そのものだと思い込んでいる人も多い。
 お稲荷さんと狐がこのような親密な関係をもつに至った由来については、いくつかの説があるが、そのなかで最も定説となっているのが、稲荷の神が「食物の神」つまり御饌神(みけつかみ)であることから、その「みけつ」が転じて御狐(おけつね)・三狐(みけつね)になったという。あるいは、稲荷神がのちに密教の荼枳尼天(だきに-てん=夜叉の類)と本迹(ほんじゃく)関係を結んだことを重視し、荼枳尼天のまたがる狐がそのまま稲荷神の眷属とされたのだという説も重んじられている。

 全国に約4万もあるといわれる稲荷社の総本社でもある「伏見稲荷大社」は、京・大阪の商いの神として古くから信仰が篤い。稲荷大神の鎮座に関する最も古い記録とされているのは、『山城国風土記逸文伊奈利社条』で、これには鎮座年代は出ていない。
 ここのところを社務所で尋ねると、「『秦中家忌寸(はたのなかつえ いみき)など遠祖伊呂巨(具)秦公』の時代に、社を興した者が『伊呂巨(具)秦公』であったことが明記されています。この伊呂巨(具)について、『稲荷社神主家大西(秦)氏系図』によれば、『秦公、賀茂建角身命24世賀茂県主、久治良ノ末子和銅4年2月壬午、稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル、天平神護元年8月8日卒』と記されています。
 これに和銅4年という年代が出ていますが、この年に鎮座になった由縁として、この頃全国的に季候不順で五穀の稔りの悪い年が続いたので、勅使を名山大川に遣わされて祈請させられたときに神の教示があり、山背国の稲荷山に大神を祀られたところ、五穀大いに稔り国は富み栄えた、この祭祀された日こそが和銅4年の2月初午であった、との伝承があります。これは全くそのとおりだと言えない面もありますが、唐突にこの日が伝承されたのではなく、やはり同氏族の間に何らかの明記すべき由縁があったものと推測されるのですが、それがどのような事象であったのか今のところはわかっていません。」と説明してくれた。

 さて、伏見稲荷大社の石段を上がり、楼門をくぐると右手にこじんまりとした神社、東丸(あづままろ)神社がある。祭神は荷田東丸である。 荷田東丸は、稲荷社祠官、羽倉家の生まれで、僧契沖に始まる近世国学(和学・倭学)を発展させて、「万葉集、古事記、日本書紀」研究の基礎を作った。門下に賀茂真淵がおり、続く本居宣長、平田篤胤と共に国家の四大人といわれた。晩年、東山に倭学校創立を志したが、実現せずに没した。元禄15年(1702)赤穂浪士の討ち入りに、吉良邸の見取り図を作って渡したといわれているが(紀伊郡誌)、荷田東丸が吉良上野介の古典の個人教授をしていたからとも伝えられている。
 本殿は重要文化財で、応仁の乱頃のもので「打越流造」と呼ばれ、屋根が美しく雄壮な曲線を描いている。本殿からさらに進んで階段を登ると、大きな鳥居がいくつにも重なってトンネルのようになっている参道となる。この参道は途中から千本鳥居となって二手に分かれるが、ともに奥の院へ続いている。映画ドラマなどの撮影にもよく登場する赤鳥居である。
 奥の院から稲荷山を登っていくと、熊鷹社、三辻、そして展望の良い四辻を経て、一の峰、二の峰、三の峰と多くの神蹟があり、これらをお詣りする「お山巡り」の起点でもある。
 奥の院から10㍍ほど登ると腰やひざの病に信仰のある「根上り松」がある。朱色の鳥居の間に見え隠れする桧林や、左手下の谷間を眺めながらさらに進むとやがて石段となり、これを登ると「熊鷹社」に着く。右手に「お塚」と呼ばれる石碑群が目につくが、これは稲荷神を崇敬する人が奉納したもので、山全体でその数は1万以上もあるといわれている。
 「熊鷹社」の背後には池があり、通称「熊鷹池」とか新池」とか「谺(こだま)ヶ池」と呼ばれている。池に向かって柏手を打ち、その谺が帰ってきた方向に、願い事が叶うという言い伝えが、「谺ヶ池」の名を生んだ。 さらに進むと三辻を経て、四辻に至る。四辻は眺望も良く、四ッ辻茶屋や仁志むら亭で一服する参拝者も多い。

 門前は歴史のある店が多いが、JR稲荷駅前の料理旅館玉屋は、元和初年(1616)開業の老舗で、明治2年の頃桂小五郎も食事したという。 「稲荷さんけい道」の道標は、明治28年7月稲荷新道建設に功績のあった土井柾三が立てたものである。
 
 交通:京都駅から市バス南5号系統稲荷大社前下車。京阪電車では伏見稲荷駅下車。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする