「長い間、有難う。おつかれさまでした」と妻が・・・。
保険会社を辞めた時、随分と心細かったし心配だったと、当時を思い出し昼食をしながら話してくれた。
かなり良い報酬を頂いていたこともあり、それがゼロになるのならまだしも、マイナスからの出発となったので妻の白髪を増やしてしまった。
「5年待ってくれ、必ず楽な暮らしを取り戻すから」と言い切ったものの、なんのあてもなかった。頼るのは、私の営業力と話術と執筆力だけだった。
2年黙々と必死で飛び回り、執筆に専念、併せて日々の暮らしを支えるため泥と埃にまみれ底辺と言われる仕事にも耐えた。
そして出版にこぎつけ、そこの編集長が後押しをしてくれたおかげもあり講演の仕事も徐々に広がった。
5年を待たず3年余りで生活を支える収入が得られるまでになった。その途上で現在の仕事へ誘われた。
離職してから3年、新聞社勤務25年、茨の道でもあったが持ち前の辛抱強さで乗り越えてきた。
80半ばを前に働くことから解放される。だけどまだまだ働きたい。生涯現役が私の生きる血だ。
3月で隠居。それは嫌だなぁーと思っていると、妻が「私、あなたの夢みちゃった」という。
どんな夢を見たのかを聞くと「本を書いてるの」と。
本かーー。独立したときはエッセイ、コラム、マニュアル、短編、雑学もの等、いろいろ書いていた。
ニュース記事に特化し始めてから、すっかり、それらの手法を忘れてしまったかのように書けなくなっている。
ブログやフェースブックにそれらしく綴ることもあるが、まとまりのないものばかり。
妻が、あなたは花の写真が好きだから「花の詩」というのを綴っていたでしょ、それをYouTubeに載せてみたらどう、というのだ。
写真も撮り歩けるし、物書きとしての仕事にもなるしという。だけどYouTubeで小遣いを稼ぐには容易なことではない。
「仕事感覚で趣味の写真」という意味合いのことを妻はアドバイスしてくれたのだろう。
それならば単に趣味を楽しむよりは、やりがいがあるというものだ。
「仕事があるから、趣味が楽しい」と言う私の考えに沿っている。なるほどなるほど、「あれから55年」長年寄り添った妻だからの助言と受け止めよう。
保険会社を辞めた時、随分と心細かったし心配だったと、当時を思い出し昼食をしながら話してくれた。
かなり良い報酬を頂いていたこともあり、それがゼロになるのならまだしも、マイナスからの出発となったので妻の白髪を増やしてしまった。
「5年待ってくれ、必ず楽な暮らしを取り戻すから」と言い切ったものの、なんのあてもなかった。頼るのは、私の営業力と話術と執筆力だけだった。
2年黙々と必死で飛び回り、執筆に専念、併せて日々の暮らしを支えるため泥と埃にまみれ底辺と言われる仕事にも耐えた。
そして出版にこぎつけ、そこの編集長が後押しをしてくれたおかげもあり講演の仕事も徐々に広がった。
5年を待たず3年余りで生活を支える収入が得られるまでになった。その途上で現在の仕事へ誘われた。
離職してから3年、新聞社勤務25年、茨の道でもあったが持ち前の辛抱強さで乗り越えてきた。
80半ばを前に働くことから解放される。だけどまだまだ働きたい。生涯現役が私の生きる血だ。
3月で隠居。それは嫌だなぁーと思っていると、妻が「私、あなたの夢みちゃった」という。
どんな夢を見たのかを聞くと「本を書いてるの」と。
本かーー。独立したときはエッセイ、コラム、マニュアル、短編、雑学もの等、いろいろ書いていた。
ニュース記事に特化し始めてから、すっかり、それらの手法を忘れてしまったかのように書けなくなっている。
ブログやフェースブックにそれらしく綴ることもあるが、まとまりのないものばかり。
妻が、あなたは花の写真が好きだから「花の詩」というのを綴っていたでしょ、それをYouTubeに載せてみたらどう、というのだ。
写真も撮り歩けるし、物書きとしての仕事にもなるしという。だけどYouTubeで小遣いを稼ぐには容易なことではない。
「仕事感覚で趣味の写真」という意味合いのことを妻はアドバイスしてくれたのだろう。
それならば単に趣味を楽しむよりは、やりがいがあるというものだ。
「仕事があるから、趣味が楽しい」と言う私の考えに沿っている。なるほどなるほど、「あれから55年」長年寄り添った妻だからの助言と受け止めよう。