朝目覚めたら新しい自分がある
第九話「柔軟にこだわらず」
私たちは時として仕事に行き詰ったりスランプに陥って迷い道から抜けきらないことがあるものです。そこから抜け出そうともがけばもがくほど深みに陥ることすらあります。そのような時にはどのようにして抜け出せばよいのでしょうか。気分転換でもして遊興にふけってみればいいのでしょうか。それとも何とかなるさと気にしないでいるほうが良いのでしょうか。
江戸時代に活躍した沢庵和尚の不動智神妙録に「応無所住而生其心(おうむ しじょう ごしん)」という言葉があります。この言葉の意味するところは「どんなことをするときでも、これをしようと思ってがむしゃらに思いつめると、そのやろうとすることに心が執着してしまい、がんじがらめなって柔軟な考えが浮かばなくなり、身動きがとれなくなってしまうものである。だからそういう気持ちにこだわることなく柔軟性を以て事に当たればよい。」という教えです。使命感を抱くことは大事なことですがその一念に拘り固執しまうとかえって視野が狭まり、思考の迷路に入り込んでしまうことがある。思うように行かなくなると苛立ち蟻地獄の砂の中から抜け出せなくなるのです。「何とかなるさ」という楽観的な心の幅の広さをもって多角的に複眼的に物事を見つめることが寛容である。物体を一面的に見つめればある部分しか見えず、多角的に視野を広げれば様々な形が見えたりするものです。拘らずあるがままの柔軟な心で相対するものを見つめることができればその物の本質が見えてきて、新たな道が開けるはずです。
第九話「柔軟にこだわらず」
私たちは時として仕事に行き詰ったりスランプに陥って迷い道から抜けきらないことがあるものです。そこから抜け出そうともがけばもがくほど深みに陥ることすらあります。そのような時にはどのようにして抜け出せばよいのでしょうか。気分転換でもして遊興にふけってみればいいのでしょうか。それとも何とかなるさと気にしないでいるほうが良いのでしょうか。
江戸時代に活躍した沢庵和尚の不動智神妙録に「応無所住而生其心(おうむ しじょう ごしん)」という言葉があります。この言葉の意味するところは「どんなことをするときでも、これをしようと思ってがむしゃらに思いつめると、そのやろうとすることに心が執着してしまい、がんじがらめなって柔軟な考えが浮かばなくなり、身動きがとれなくなってしまうものである。だからそういう気持ちにこだわることなく柔軟性を以て事に当たればよい。」という教えです。使命感を抱くことは大事なことですがその一念に拘り固執しまうとかえって視野が狭まり、思考の迷路に入り込んでしまうことがある。思うように行かなくなると苛立ち蟻地獄の砂の中から抜け出せなくなるのです。「何とかなるさ」という楽観的な心の幅の広さをもって多角的に複眼的に物事を見つめることが寛容である。物体を一面的に見つめればある部分しか見えず、多角的に視野を広げれば様々な形が見えたりするものです。拘らずあるがままの柔軟な心で相対するものを見つめることができればその物の本質が見えてきて、新たな道が開けるはずです。
