「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

円福寺の銀杏

2024年12月06日 22時19分19秒 | 紅葉風景
京都府八幡市の松花堂の紅葉を撮りに出かけたのだが、その前に京セラの故稲森和夫さんが得度したことでも知られている円福寺の銀杏を撮りに行った。昨年暮れにこの銀杏の枝に雲水さんたちが大根をつるして食用にする大根干しを撮影したが一度も秋の銀杏を撮ったことがなかった。石清水八幡宮ふもとの高良神社の銀杏は毎年のように撮っていたのに。
 寺院を背景に何点か収めることができた。修行道場であるため寺院の中には特別な日にしかはいれないので門外だけにとどめた。
 次に松花堂へ行き少しばかり楽しんだ。まずは円福寺の銀杏を・・・












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第四話「やるべきことがあれば幸せ」

2024年12月06日 16時46分36秒 | 朝目覚めたら新しい自分がある
朝目覚めたら新しい自分がある
第四話「やるべきことがあれば幸せ」
 生きがいとは「毎朝目を覚ましたとき、自分のやるべき仕事が待っている」ことだとスイスの心理学者ユング博士が言っている。
 私たちの生きがいとは何でしょうか。お金があって贅沢ができることでしょうか。家族に恵まれ日々平穏に暮らせることでしょうか。それとも地位や名誉が与えられることでしょうか。
これらのことは人間として誰しもが欲する願望であり生きがいの一つであることを否定するものではありません。
 ホンダ自動車の創業者本田宗一郎氏が残したという「人生を楽しませて頂いてありがとう」というと言わしめた生涯を貫く生きがいとは、毎朝目を覚ましたときに待ち受ける胸がときめくほどの目的があったということではないでしょうか。
毎日やるべきこともなくただ漫然と送ることほど寂しくつらいものはない。何の目的もなく仕事もなく朝を迎え夕べを迎える日々は身も心も退化させてしまうであろう。どんなに些細なことでも確かな情熱を傾けられる仕事や、やるべき事がある日々は心豊かであり張り合いがあるものです。
 仕事に生きがいを持つか持たないか、上司に認められるとか地位が与えられるとかは生きがいの根本的な問題ではないのです。いま自分に与えられている役割という「やるべきことがある」ことが幸せであるのです。また第二の人生を送られている人にとってはやるべきことを持つことが日々生き生きと生きられる絶対的要因ともなるのです。
 毎朝毎夕、雨の日も風の日も、暑い日差しの夏の日も進学路の交差点で黄色い旗を振っている年寄りにの方がいた。ある日「大変ですねぇ」と声をかけたらその方は、「いやいや、これが楽しみでしてね私の天職ですよ」と嬉しそうに微笑んでくれました。お歳をうかがうと76歳というのです。この方にとって子供たちの安全を見守り子供たちの笑顔を見ることが喜びであり、それが生きがいになっているのです。
 自分の為すべきことがあり、その為すべきことに喜びと充実感を持つことができれば、それはその人にとって生きがいといえるのです。社会や会社において自分の存在感が認められることは張り合いでるものですが、その存在感は他人がつくるものではなく身がらがつくるものなのです。自分に与えられた為すべきことに対して喜びと生きがいを持って努力していく姿に存在感が生まれるのです。不平不満の日々を送る人には何の魅力もなく、他人からはむしろ居て欲しくない人、不存在であれば良いと思われてしまうのです。
 生きがいを持って楽しく生きていくことためには自らの為すべきことがあることに感謝し、為すべきことを天職と思い努力を重ねることです。


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