「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「随心院」(ずいしんいん)

2006年07月02日 12時53分36秒 | 古都逍遥「京都篇」
 随心院は真言宗善通寺派の大本山で、弘法大師が滅した後、正歴2年(991)仁海僧正によって開基され、牛皮山曼茶羅寺と称し、子房として随心院が建立された。堂舎も七堂伽藍と壮美を誇っていたが、応仁の乱で焼失した。慶長4年(1599)に本堂が再建された。
 古来、小野と呼ばれていたこの地は「和名抄」の「小野郷」に相当し、小野氏の栄えた
ところ。小野小町は小野篁(おのたかむら)の孫にあたり、出羽の国司を勤めた良家の娘であったとされている。小野道風は小野小町の従兄にあたる。生い立ちは定かではないが、弘仁6年(815)頃の生まれ。平安初期、仁明天皇が東宮にあられたときより崩御するまで側に仕え、盛艶優美、詠歌の妙を極めた。30才を過ぎた頃宮仕えをやめ、小野の里に引き篭もり晩年の余生を送った。

小町を慕った深草の少将、百夜通(ももがよい)の話はあまりにも有名。
「百日通ってきたら あなたの許に参りましょう」、この小町の言葉を信じて、雨の夜も雪の夜も通い続けた99日目の夜、降る雪と発病により最後の一夜を前に世を去った深草少将。夢でしか逢えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評さ、小倉百人一首の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」と哀愁に富み、人生のはかなさを歌ったものとして今の世に残る。

小町が朝夕この水で粧をしたと伝えられる「化粧井戸」が今も清水をたたえている。

毎年3月春分の日ころ、遅咲きの紅梅が門前に広がり、ほのかな香りを漂わせる。そして子供たちが紅、おしろいをつけて着飾り、雅やかな踊り「はねず踊り」行われる。はねずとは、梅の花の薄紅色のことをいう。



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