「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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 「雙林寺」(そうりんじ)<西行堂>

2009年05月04日 07時48分19秒 | 古都逍遥「京都篇」
 祇園祭りで知られる八坂神社を東に抜けて、ねねと秀吉が祀られている高台寺へ向かって、山鉾を象った建物の祇園閣を目印に歩くこと八分、藁ぶきの小屋(西行堂)に出合う。
 「この寺は ならぶはやしもなかりけり 一木の松に青む芝草」と詠まれた「雙林寺」は、薬師如来(重要文化財)と歓喜天を本尊とする天台宗(本山は比叡山)の寺である。西行堂から右手に坂を上がり円山音楽堂の隣り合わせに雙林寺「薬師堂」がある。京料理で名高い「菊乃井」の向いあたりになるが、石材店と並列していてかなり分かりにくい。

 開基は今を隔たることおよそ1200年前、延暦24年(805)天台宗宗祖伝教大師(最澄)の創建と言われている。大師が唐から帰朝後、宮中において、天下泰平・国体安穏・万民快楽の大祈祷を奉修されたのが我が国初の護摩供でといわれている。そして、請来された天台密教経疏5百巻及び護摩の器具を桓武天皇に献上した。

 天皇は、左大使尾張連定鑑(むらじさだみ)に勅して、この地に伽藍を創立し、経典などを置き、日本初の護摩祈祷道場とした。この土地が唐の沙羅双樹林寺によく似ていることから、「霊鷲山沙羅双樹林寺法華三昧無量壽院」(正式名称)としたと伝わる。

 弘仁14年(823)、比叡山延暦寺建立後は、その別院となった。
 永治元年(1141)には、鳥羽天皇皇女綾雲女王が住持し、建久7年(1196)には、土御門天皇皇子静仁法親王がこの寺で得度し、双林寺宮と称するなど、皇室とのかかわりも深く鎌倉時代までは、数万坪ともいわれる広大な寺領に17
の支院を有していたが、建武2年(1335)足利尊氏と新田義貞との戦場となり荒廃した。

 至徳年間(1384~87)国阿上人が入寺し、時宗国阿派の本山東山道場となり「中霊山」と号し、再興した。後小松天皇の帰依もあり、至徳3年、金玉山の宸額を下賜するなど栄えたが、その後、応仁の乱により再び荒廃した。

 中世以降は桜の名所で知られ、天正12年(1584)羽柴秀吉(豊臣)が花見の宴を催し、前田玄以に命じて花樹保護の制札を立てさせている。翌年には秀吉により本堂が再建された。

 享保21年(1731)に摂津池田李孟寺の天津禅師により、現在の地に移築再興され、その後、明和7年(1770)、冷泉為村が修繕している。

 堂中央には、為村筆の「花月庵」と書いてある横額が掲げてある。当時は「西行堂」という名称ではなく、為村がそのように命名したという。
 明治の中頃、丸山公園が設置された際に多くの寺地を失い、現在は本堂の一宇にその名残をとどめだけとなったが、明治26年(1892)宮田小文法師によって、隣接するお茶席(浄妙庵・皆如庵)が移築され、現在の状態になった。
 堂内には、西行法師僧像、頓阿法師僧像が祀られていたが、現在は雙林寺本堂に祀ってある。(拝観可能)
 現在どこにも頓阿法師の肖像画や像は残っていないので、法師を偲ぶに貴重な像といえよう。

 西行法師(1118~90)は、平安末期から鎌倉初期の歌僧で、俗名を「佐藤義清(さとうのりきよ)」といい、元は鳥羽上皇に仕えていた北面の武士であったが、23歳の時、突然出家した。
 26歳の時から京都を離れ全国を行脚し始めている。陸奥(みちのく)平泉へ歌枕を訪ねる旅、それから数年の後、高野山に入り、以後30年ほどは、高野山を拠点に諸国を遍歴している。

 詠んだ歌はざっと2000首あまりで、なかでも約1500首を収めた歌集「山家集」は有名である。
  雙林寺へは出家の翌年、永治元年(1141)から、塔頭である「蔡華園院」に止住していたようで、「山家集」(上、冬歌)には、次の一首がある。

 野辺寒草といふことを双林寺にてよみにける。
「さまざまに 花咲きけりと見し野辺の 同じ色にも霜枯れにけり」

 また、有名な「山家集」(上、春歌)にある。
「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」

 この歌は、いつごろどこで詠まれたのかは不明だが、西行物語では、晩年雙林寺で庵をむすび修行に明け暮れたことになっており、その庵前の桜のもとで詠まれたのではないかとも言われている。文治6年(1190)2月16日、桜満開の時に没した。墓は、大阪河内弘川寺にある。

 西行堂の入口は石材店と隣り合わせで分かりにくいが、入口に「不許葷肉入門内」という石碑が立っている。「葷(くん)は、ニンニク、ネギ、ニラなどを指すことから、「葷、肉の入門を許さず」という意味で、これに「酒」を加えたものも、禅寺などの門前に見かける。修行に必要ないものは持ち込み禁止というわけだ。

 所在地:京都市東山区下河原鷲尾町527
 交通:JR京都駅(鳥丸中央出口)市バス乗場D-2より206号系統で八坂神社、京阪電車「四条駅」下車、徒歩25分。





 
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