朝目覚めたら新しい自分がある
「一瞬懸命」
一年に四季があるように人生においても移り変わる時がある。その時々において心が揺れ動き、時には走り、時には立ち止まり、喜び、泣き、惑うことがあるものです。この人生の時々において生きがいをもってたくましく生きて行けるかどうかが問題なのだ。人の生き方に三つのタイプがあるが、あなたはどのような生き方をするのだろうか。
(1)いつかある日の生き方をする人
「待ちぼうけ」という歌があるが、野良仕事をしていたお百姓さんの前に兎が跳んできてうっかり木の切り株に足をとられひっくり返ってしまった。お百姓さんは思いがけない獲物を手にするのです。それからというもの兎が切り株に足を奪われる日を待って過ごすようになるのです。いつか兎がやってきて切り株に足を奪われるかどうかもわからない、その「いつかある日」を待ち続けるのです。その日が来ることもない日のために無駄な時をただ待つのです。そして「今度やる」「その内やる」その日が来ることかせない「いつかある日」の生き方をするのです。
(2)明日に望みを託す
アメリカの南北戦争を舞台に、スカーレットとバトラーの愛と葛藤を描いた不屈の名作「風と共に去りぬ」、そのラストシーンは感動的でした。
ビビアン・リーの演ずる南部女性の気高き生きざまに感動を覚えずにはいられない。何もかも失ったスカーレットが紅に燃える空、荒廃した大地にたたずみ「私にはタラがある。だから明日に望みを託して生きていこう」と叫ぶのです。愛する子を失い夫からも捨てられ、すべてを失ったスカーレットが明日に託して生きようと決意する名場面でした。「明日に望みを託す」この生き方は希望を失わずの力強さを感じるものでした。
(3)すべてはこの瞬間にある
日本曹洞宗の開祖である道元が次の言葉を残している。
「只今日今時ばかりと思ふて時光を失わず、学道に心いるべきなり」
この言葉の意味を鎌田茂雄著「正法眼蔵随聞記講話」(講談社学術文庫刊)に、「学道はこのただ今の一瞬に賭けることである。ただ今の一瞬に命を賭ければ、今日もなく、昨日もなく、明日もない。それは不断であり、常であり、急ぐこともない」と解説している。
人の一生というものは一瞬一瞬の刹那の時の流れであり、過ぎた一瞬はもはや過去であり、次の一瞬の未来は知る由もない。だから今この一瞬がまさに生きている証であるのです。いま鼓動の響きを感じる、この刹那に生きるすべてを賭けることが大切である。すべてはこの一瞬に賭ける生き方をする人。
あなたはどのような生き方をするのだろうか?
いつも宿題を先延ばしにして「いつかやる」「今度やる」と考えて目標のない生き方をするのでしょうか。それとも「今日のことはこれでいい。明日また頑張ろう」このような考え方を持つのでしょうか。あるいは「明日のことは分からない。今確かに生きているこの時にすべてを賭けよう」。このような生き方をするのでしょうか。
私があなたにお勧めしたいのは、生涯に通じるこの時を大切にして与えられた現在、与えられた仕事、一所を懸命に生き、この時この瞬間、トクトクと血の流れを感じる今、この瞬間に生き様を賭ける「一瞬懸命」という気概を持って頂きたいとそう願っています。
時の始まりはいつもこの瞬間であり刹那である。いつかある日、明日に望みを託すでは遅すぎるのです。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」という事態が起こりうるかもしれません。沢庵和尚の不動智神妙録に「間髪を入れず」とあります。手と手をはっしと打ち合わせる瞬間、髪の毛一本も入れる間もない間に決断せよと言っている。
一瞬懸命の生き方というのは、チャンスの時の決断のために例え瞬時の時でも疎かにするな、目を離すな、気を抜くなという心構えであり、そのためには一つひとつの時の流れを大切にしてやるべきことはやり、すべき準備はし、打つべき手は打っておかねばならない。
ビジネスマンとして成功願望を抱くとすれば、精魂込めて時計の秒針が時を刻むようにコツコツコツコツと努力を積み重ねなければなりません。一瞬懸命に気力をもって闘わねば願望は夢ときえるでしょう。それが道元がいう「・・・それは不断であり常であり、急ぐこともない。急ぐこともできない。坦々として一瞬一瞬を行ずるしかない」といった教えである。
「一瞬懸命」
一年に四季があるように人生においても移り変わる時がある。その時々において心が揺れ動き、時には走り、時には立ち止まり、喜び、泣き、惑うことがあるものです。この人生の時々において生きがいをもってたくましく生きて行けるかどうかが問題なのだ。人の生き方に三つのタイプがあるが、あなたはどのような生き方をするのだろうか。
(1)いつかある日の生き方をする人
「待ちぼうけ」という歌があるが、野良仕事をしていたお百姓さんの前に兎が跳んできてうっかり木の切り株に足をとられひっくり返ってしまった。お百姓さんは思いがけない獲物を手にするのです。それからというもの兎が切り株に足を奪われる日を待って過ごすようになるのです。いつか兎がやってきて切り株に足を奪われるかどうかもわからない、その「いつかある日」を待ち続けるのです。その日が来ることもない日のために無駄な時をただ待つのです。そして「今度やる」「その内やる」その日が来ることかせない「いつかある日」の生き方をするのです。
(2)明日に望みを託す
アメリカの南北戦争を舞台に、スカーレットとバトラーの愛と葛藤を描いた不屈の名作「風と共に去りぬ」、そのラストシーンは感動的でした。
ビビアン・リーの演ずる南部女性の気高き生きざまに感動を覚えずにはいられない。何もかも失ったスカーレットが紅に燃える空、荒廃した大地にたたずみ「私にはタラがある。だから明日に望みを託して生きていこう」と叫ぶのです。愛する子を失い夫からも捨てられ、すべてを失ったスカーレットが明日に託して生きようと決意する名場面でした。「明日に望みを託す」この生き方は希望を失わずの力強さを感じるものでした。
(3)すべてはこの瞬間にある
日本曹洞宗の開祖である道元が次の言葉を残している。
「只今日今時ばかりと思ふて時光を失わず、学道に心いるべきなり」
この言葉の意味を鎌田茂雄著「正法眼蔵随聞記講話」(講談社学術文庫刊)に、「学道はこのただ今の一瞬に賭けることである。ただ今の一瞬に命を賭ければ、今日もなく、昨日もなく、明日もない。それは不断であり、常であり、急ぐこともない」と解説している。
人の一生というものは一瞬一瞬の刹那の時の流れであり、過ぎた一瞬はもはや過去であり、次の一瞬の未来は知る由もない。だから今この一瞬がまさに生きている証であるのです。いま鼓動の響きを感じる、この刹那に生きるすべてを賭けることが大切である。すべてはこの一瞬に賭ける生き方をする人。
あなたはどのような生き方をするのだろうか?
いつも宿題を先延ばしにして「いつかやる」「今度やる」と考えて目標のない生き方をするのでしょうか。それとも「今日のことはこれでいい。明日また頑張ろう」このような考え方を持つのでしょうか。あるいは「明日のことは分からない。今確かに生きているこの時にすべてを賭けよう」。このような生き方をするのでしょうか。
私があなたにお勧めしたいのは、生涯に通じるこの時を大切にして与えられた現在、与えられた仕事、一所を懸命に生き、この時この瞬間、トクトクと血の流れを感じる今、この瞬間に生き様を賭ける「一瞬懸命」という気概を持って頂きたいとそう願っています。
時の始まりはいつもこの瞬間であり刹那である。いつかある日、明日に望みを託すでは遅すぎるのです。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」という事態が起こりうるかもしれません。沢庵和尚の不動智神妙録に「間髪を入れず」とあります。手と手をはっしと打ち合わせる瞬間、髪の毛一本も入れる間もない間に決断せよと言っている。
一瞬懸命の生き方というのは、チャンスの時の決断のために例え瞬時の時でも疎かにするな、目を離すな、気を抜くなという心構えであり、そのためには一つひとつの時の流れを大切にしてやるべきことはやり、すべき準備はし、打つべき手は打っておかねばならない。
ビジネスマンとして成功願望を抱くとすれば、精魂込めて時計の秒針が時を刻むようにコツコツコツコツと努力を積み重ねなければなりません。一瞬懸命に気力をもって闘わねば願望は夢ときえるでしょう。それが道元がいう「・・・それは不断であり常であり、急ぐこともない。急ぐこともできない。坦々として一瞬一瞬を行ずるしかない」といった教えである。
目の前の仕事を誠実に全うするために。叶えたい夢を実現させるために。なりたい自分に会うために。今を生きたい。
五十路にしてようやく自分の人生を歩いている。そんな気がしています。
>ありがとうございます。... への返信
お目通しいただき有難うございます。併せてコメントも頂戴し嬉しく思います。
とかく後回ししたくなりますが、今を大切に前を向いて生きるということって大切ですよね。共感いただき嬉しく思います。
・・・四十にして惑わず、五十にして天命を知る・・・。孔子の言葉にあるように50にして悟ということのようですね・・・
blogって不思議ですよね、会いたい言葉に出会える。感謝です。
私は50にして何のためにここにいるのかに気づいたのだと思います。もしくは自分自身で決めたのかも。また自分のblogで整理してみたいと思いました。感謝します(^^)
>ありがとうございます。... への返信
重ね重ね嬉しいコメントを頂戴し感謝申し上げます。私自身も同様にコラムを綴りながら気づくことが多いものです。重ねて続けてまいりたいと思います。応援有難うございました。
海から昇る初日の出が見れるなんて至極の喜びですね。きっとご利益に恵まれることでしょう。
私もチャンスがあればあのような初日の出を拝みたいものです。