花言葉:「持続」「耐久」「強健」
うららかな陽ざしになると、九州生まれのせいだろうか、ふとこんな歌が口をついて出てくる。
『庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて ヨーオー ホイ 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ
鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ ヨーオー ホイ 駒に水くりょと 言うて出ましょヨ…』
(宮崎県椎葉村民謡「稗つき節)
早春の花木として、庭や生け花などに重宝されるサンシュユ、小粒の黄色い花が
ほんのりと可憐で綺麗だ。花の色のためか別名は「ハルコガネバナ(春黄金花)」とも呼ばれている。
秋になると赤い実が成り食べられる。もともとは薬用として渡来したもので、漢方薬としては
干したものは強壮薬になると言われている。また、果実酒にもなり初めは赤色だが時間がたつに
つれ飴色になる。
民謡「稗つき節」に唄われたサンシュウの木は実は、椎葉村に沢山生えていた「山椒」の木だと
もいう。サンショが訛ってサンシュウになったという説がある。
この唄は、壇ノ浦の戦いで宮崎に逃げた平家の鶴富姫と源氏の那須大八郎との禁じられた恋で、
人目を忍ぶ愛を歌ったものと言われ、サンシュの木に付けた鈴が鳴れば「今日は会える」という
合図だった。
唄の4節、5節、6節にその物語がつづられている。
『おまや平家の 公達(きんだち)ながれ ヨーオー ホイ おどま追討(ついと)の 那須
(なす)の末ヨ
那須の大八(だいはち) 鶴富(つるとみ)捨てて ヨーオー ホイ 椎葉(しいば)立つと
きゃ 目に涙ヨ
泣いて待つより 野に出て見やれ ヨーオー ホイ 野には野菊の 花盛りヨ』。
サンシュユ(山茱萸)の原産地は中国、朝鮮といわれ、日本に伝わって来たのが、享保年間(江戸
時代k1720年)と伝わっている
《俳句》
「三椏の花雪片の飛べる中」(山口青邨)
「三椏の花のうす黄のなかも雪」(大野林火)
「三椏の花の光陰流れ出す」(森 澄雄)
「雨やさし三椏三つに咲くことも」(安住 敦)
うららかな陽ざしになると、九州生まれのせいだろうか、ふとこんな歌が口をついて出てくる。
『庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて ヨーオー ホイ 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ
鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ ヨーオー ホイ 駒に水くりょと 言うて出ましょヨ…』
(宮崎県椎葉村民謡「稗つき節)
早春の花木として、庭や生け花などに重宝されるサンシュユ、小粒の黄色い花が
ほんのりと可憐で綺麗だ。花の色のためか別名は「ハルコガネバナ(春黄金花)」とも呼ばれている。
秋になると赤い実が成り食べられる。もともとは薬用として渡来したもので、漢方薬としては
干したものは強壮薬になると言われている。また、果実酒にもなり初めは赤色だが時間がたつに
つれ飴色になる。
民謡「稗つき節」に唄われたサンシュウの木は実は、椎葉村に沢山生えていた「山椒」の木だと
もいう。サンショが訛ってサンシュウになったという説がある。
この唄は、壇ノ浦の戦いで宮崎に逃げた平家の鶴富姫と源氏の那須大八郎との禁じられた恋で、
人目を忍ぶ愛を歌ったものと言われ、サンシュの木に付けた鈴が鳴れば「今日は会える」という
合図だった。
唄の4節、5節、6節にその物語がつづられている。
『おまや平家の 公達(きんだち)ながれ ヨーオー ホイ おどま追討(ついと)の 那須
(なす)の末ヨ
那須の大八(だいはち) 鶴富(つるとみ)捨てて ヨーオー ホイ 椎葉(しいば)立つと
きゃ 目に涙ヨ
泣いて待つより 野に出て見やれ ヨーオー ホイ 野には野菊の 花盛りヨ』。
サンシュユ(山茱萸)の原産地は中国、朝鮮といわれ、日本に伝わって来たのが、享保年間(江戸
時代k1720年)と伝わっている
《俳句》
「三椏の花雪片の飛べる中」(山口青邨)
「三椏の花のうす黄のなかも雪」(大野林火)
「三椏の花の光陰流れ出す」(森 澄雄)
「雨やさし三椏三つに咲くことも」(安住 敦)
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