「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「北の旅人」石原裕次郎 *歌:yama

2024年12月21日 21時20分48秒 | 歌のアルバム
妻が観たがっていたディズニーの「ライオンキング」を観に行った。土曜日午後の上映だというのに観客は座席の1割にも満たないほど寂しいものだったがさすがにディズニー作品、本物のライオンやその他の動物もどうやって映像化したのかわからないほどだった。CGを駆使したのだろうが・・・。私は途中で少し飽きたところがあったが妻は見入っていた。そんな冬至の一日となった。
 帰宅して「朝目覚めると新しい自分がある」の編集作業をし、計画の78扁を完成させ、その後することがないため、昔一人カラオケで歌ったYouTubeを見て過ごした。

「北の旅人」石原裕次郎 *歌:yama
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第十二話「一燈を頼め」

2024年12月20日 19時02分30秒 | 朝目覚めたら新しい自分がある
 ぼちぼちと再編集をしていた「朝目覚めれば新しい自分がある」も最終話となり75話が完成、加えて「終わりに」を2話付け加えることにしたがそろそろエンド。
 今一度再読してしつこい文面などの手直しや分かりやすい文章にも
取り掛かるつもり・・・。
 今回は第11話だが適切でない話題なので省いた。


朝目覚めたら新しい自分がある
第十二話「一燈を頼め」

 人に認められたい、成功者になりたい、人に愛されたい。そのような願望を抱くとすれば成りたいと欲する目標に向かって自己を創り上げていかねばなりません。
 徳川300年の歴史を変えた維新の志士たちの精神に影響を与えた言葉に、「一燈をさげて闇夜を行く。闇夜を憂うことなかれ。ただ一燈を頼め」(言志録)というのがある。彼らの一燈とはなんであったのか。それは経世済民の思想であり、腐りきった治世の世直しであり自由であった。それが彼らの目標でありそれに向かって自己形成していった。 
 もしあなたが誰からも尊敬される自己像を創り上げたいのであれば、理想とする一燈を心に宿すことである。
 自己像を形成する心がけのヒントを六つあげてみるが、一つ二つでも心に宿すことができ人と接することができれば敬われるようになるだろう。
(1)思いやる暖かな気配り
(2)穏やかな心
(3)謙虚な言葉づかい
(4)人のために尽くす利他の精神
(5)相手の身になって考える
(6)一期一会の心で接する
 相手の身になって接することにより、相手の心を開くことができるようになり自身の人生の扉も開かれるだろう。そうすることによりあなたが目指す一燈の先の目標に到達することができるはずです。




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ライオンキングを観に行く

2024年12月20日 12時22分14秒 | 日常のこと&写真
  「ライオンキングが観たい」というのでモールの東宝シネマへ行った。動物ものが好きな妻、劇団四季のライオンキングも観に行っている。
 明日の12時25分からの上映のチケットを買った。その前は朝なので朝は忙しいからダメ、夜は遅くなる、というのでお昼の時間に。
 ディズニー映画なので動物物は得意分野なので楽しみだ。
 そもそも初めてディズニー映画を観たのは小学校6年生で、視聴覚教育の一環として学校の講堂で観た。「砂漠は生きている」という自然科学物で面白かった記憶が今でも残っている。
 来週はクリスマス週で街は騒がしくなる。我が家はショートケーキでイブを過ごすのが恒例。でもイブの朝は忙しい。朝一で内科の定期健診、それが終わり朝食を済ませてから11時40分に北部支所でマイナンバーカードの更新手続き。その後、14時に次女が来てふれあいすサロンの私の写真展を一緒に見に行く。
 ショートケーキはその後、買いに行くことになる。



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城陽市イルミネーション

2024年12月19日 23時49分22秒 | 日常のこと&写真
 一昨日城陽市イルミネーションの撮影に行ったが、カメラに電池を入れ忘れてスマホ撮影で急場をしのいだものの、やはりグラデーションが悪かったので今日撮り直しに出かけた。駐車場入場券は開催期間中何度でも出入りできるチケットなので今日はチケットを提示するだけで駐車できた。
 一昨日よりは寒く、手がかじかんだ。撮影用の指だけが出る手袋を持っていけばよかった。
 一時間ほど撮影を楽しんで帰宅した。

































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第十話「身を捨ててこそ」

2024年12月18日 10時42分01秒 | 朝目覚めたら新しい自分がある
朝目覚めたら新しい自分がある
第十話「身を捨ててこそ」

 「山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」(空也上人)
私は何かに行き詰ったときにはこの和歌を思い出すのです。
一度きりの人生だくよくよしても始まらない、思い切ってしがみついているしがらみを切り離して、人生の川の流れの思うがままに身を任せてしまおう。失敗するもよし、チャンスがあれば浮かぶ瀬もあるだろう。そう腹をくくってみると不思議に活路が見いだせたのです。
 私たちはとかく地位や名誉や見栄にしがみついて身動きができなくなるときがある。あれになろうこれになろうとがんじがらめになってしまうと淀みにはまりこんで自分自身を見失ってしまいかねません。保身、安全、損得などの枠から心が解き放たれたとき、初めて自分の人生の生き方を見つけることができるものです。
 葉隠れによく知られた武士道の精神があります。「武士道とは死ぬこととみつけたり」。この教えは武士としての壮絶な死の覚悟を説いたものではありません。太平洋戦争のときこの精神を歪曲して「玉砕」「特攻」の精神として死を恐れるなと鼓舞したがそれは誤りであり、何事にも常日頃から不退転の覚悟を以て忠勤に励むべしと、現代風にいうとビジネスマンの心得を説いたもので、死ぬこととみつけたりというのは、死ぬという意味合いのものではなく身を捨てる覚悟をもって主君のために生き抜き忠勤を尽くせということで職務に対する心構えを示したものです。
 あれになろう、これになろうという思いにがんじがらめになって身動きができなくなり、落ち込んでしまったり、愚痴、不平不満というストレスに陥ることがないように、執着心から心を解き放ってみれば浮かぶ瀬もあるのです。



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イルミネーションの撮影で大失敗

2024年12月17日 22時41分35秒 | 日常のこと&写真
 毎年のように行っている城陽市イルミネーションの撮影にでかけた。その前にカメラのリチューム電池に充電。
 16時30分に出発、現地には17時5分前後に到着するはず。
 イルミネーション会場の駐車場に入ったのは17時11分と予定より6分ほど遅れた。
 点灯は17時30分なので露店を一回り。夕食代わりになる露店はラーメンと巻寿司くらいだった。ベンチで一休みしながらカメラの露出などを調整するためスイッチを入れたが、あれれ作動しない。なんでやねん、今朝充電したはずなのに。電池入れを開けてみると「あちゃーー」電池が入っていない。そうだ充電して充電器に電池を入れたままにして机の上に置いてきた!?ことを思い出した。あじゃばーだ。
 これでは撮影できない。せっかく来たのでスマホカメラで撮影することにしたがプリント写真の引き伸ばしにはサイズが合わず、年寄り用の楽々ホンでは画質が悪い。
 幸い駐車場入場券は25日閉会日まで何回でも使えるチケットなので、やむを得ないもう一度出直すことにした。ブログなどにはスマホカメラの写真で十分だが、ふれあいサロン等に展示する可能性のある写真なので撮りなおす。明日は妻とニトリモールへ。19日か20日になるが天候次第だ。
 帰宅して妻に話すと驚かない。チョコチョコあることなので「やっぱし」と思ったという。慎重派だが撮影に行くときは気がウキウキしているのでこのような失態は過去にもあったからだ。











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師走の楽しみに幕が下りた

2024年12月15日 23時37分16秒 | 日常のこと&写真
 ここ二週間ほど夕刻から夜にかけてのテレビは「忠臣蔵」三昧だった。今夜は高倉健主演の「47人の刺客」で監督が市川崑だったので妙に凝っていていつもの娯楽ものとはいささか異なっていた。市川崑監督というば東京オリンピック記録映画製作を任された監督だったが、彼独特の視線で映像を構成したため記録映像ではなくアート的だと指摘され編集しなおしを命じられた。そんな凝り性の監督なので暗いイメージさえある。「木枯し紋次郎」もそうだった。痛快な股旅ものとは描き方が異なるので好き嫌いはあろうが、「あっしにはかかわりござんせん」というセリフが受けて視聴率30%台と良かった。
 ま、そんなこんなでこの暮れの私の楽しみ「忠臣蔵」は幕を閉じた。





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おっかけの心境と同じ

2024年12月15日 00時46分59秒 | 日常のこと&写真
12月ともなれば昭和の人間にとって嬉しいテレビドラマが連日のように放映される。
特に私はアイドルを追い掛け回すのに似た心境で、毎年何度見ても繰り返し見続けるほどアホなのだ。
 そのドラマというのはご存じ「忠臣蔵」だ。12月初めから地デジでもBSの各局で放映を始める。昔の映画、長編ドラマ、単発ドラマ仕立てのものまで見ている。筋書きは見なくてもわかっているがそれでも見る。推しの歌手がどこで歌おうが追っかけて同じ歌を何度も聴き見るようなものだ。
 今夜は田村正和の「忠臣蔵その男大石内蔵助」で9時から11時25分まで長々と。
 明日の日曜日は「47人の刺客」高倉健の映画だ。たぶんこの映画で今年の忠臣蔵は打ち止めだろう。しめて5本も見てしまった。
 九州から進学で上京したとき、どうしても行きたかったのが高輪泉岳、いの一番で参拝した。
 保険会社に入社して自分の保険の初契約のときの契約日を12月14日としたほどイカレテルのだ。
 京都に赴任したときはもちろん大石神社や山科や密会の場所である今熊野へも。姫路に赴任したときは赤穂城へ行った。
 来週で私の年の暮れは終わり新年を迎える準備へと。


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思い出つづり

2024年12月14日 11時50分41秒 | 日常のこと&写真
30年前に綴った原稿の再編集をしているがようやく50話を通過した。保険の仕事にかかわる記事は削除し生き方論として編集している。
「思い出つづり」長文なのでスルーされても結構です。
 保険会社を自主退職し、それまで培ってきた経験を活かして生きてみたいと思った。ところが頼るつてもなく五里霧中の中で何をしたらよいのか思案に暮れながら、それまで30年の体験を綴り始めた。来る日も来る日も・・・。妻や子は黙してデスクに張り付いてワープロを打っている私を見つめて「働いてくれないかなぁー」という視線を背中に感じ取っていた。しかし私は「これをやり通すしかない」と強く心に誓っていた。2年半をかけて2巻の原稿を仕上げた。その一つを持って新聞社に売り込みに行った。その新聞社は保険業界新聞社で現役時代その新聞社発行の新聞を自分も購読していた。相手にとつてはかつてのお得意先だ。
 原稿をめくりながら「お預かりします」と一言。新聞社の編集長とコーヒーを飲みながら現状の保険会社について情報交換をして40分ほど過ごし社を後にした。
 しかし一向に返事がない。待つあいだ当座の暮らしがあることから何か仕事をみつけなければならない。私は一大決心をした。この先どのような暮らしになるかわからない。高齢者へと向かう年齢で、現役時代の恵まれた身分や環境の光が当たる仕事に就くことはできないかもしれない。「見栄」を捨てなければ生きていけないかもしれないと覚悟し日陰の労働にあえて飛び込んだ。汗をかき力仕事にも耐えた。よくいうブルーカラーの労働だった。これに耐えられなければ生きるすべが見つからないと頑張った。この仕事の傍らタクシーの運転手になることも想定し自動車試験場で二種免許の試験を受けた。一回5千円の受験料だった。5回受けたが落ちた。運転には自信があっただけに5回目に失敗した帰りやはり心が折れていて試験場前からタクシーで帰った折、運転手さんにその話をすると運転手さんは「試験場では趣味で取得しようと勘違いされたようですね。ドライバーになるのでしたらタクシー会社に入社して取得するとすぐ取れますよ」という。なるほどそういうことかと思った。切羽詰まった事情とでは受け止める方も違うのだろう。
 5回目も通らなかったことからタクシーの運転手さんの助言の通り、タクシー会社の門を叩こうかと思っていたところへ、私の後輩が勤めている保険業界新聞社から電話がはいり「先輩は書くことが得意でしたね」という。藪から棒に何かと思うと「実はわが社の編集長が急逝して困っているので内に来てくれないか」というのだ。私は即座に困ったが原稿を渡した新聞社からは何の返事もないしどうしようかと。すると妻は安定した暮らしがしたいので入社してという。誘ってくれた後輩に「この先、講演の仕事もするつもりなので二足の草鞋でもよいか」と注文をつけたところOKとの返事。次の日、上京し新聞社の社長と彼と新橋で面会、社長も気に入ってくれたようでその場で採用の返事と年俸を決めてくれた。現役時代の半分程度だったが暮らしには十分だった。見栄を捨てたつもりだが職種は常務取締役編集長という肩書となった。
 それから4か月後、原稿の返事が来て「わが社で買い取らせてほしい」とのこと。しかし書籍にできるかどうかを見極めるため新聞に連載させてもらうとし月2回の連載となり2年余り続いた。その間、購読者の評判もよく「書籍にしてほしい」とのメールなども入り連載が終了したと同時に出版となった。連載効果と図書との相乗効果で講演依頼が舞い込み編集長の仕事と多忙を極めた。そのころ太鼓チームも創設し自治会委員にもなっていたので自分の体が自分でないような日々、年月が続き今日へと。あれから30年、阪神淡路大震災の年の9月に退職したのだがあっという間の年月だった。




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第九話「柔軟にこだわらず」

2024年12月13日 22時16分57秒 | 朝目覚めたら新しい自分がある
朝目覚めたら新しい自分がある
第九話「柔軟にこだわらず」

 私たちは時として仕事に行き詰ったりスランプに陥って迷い道から抜けきらないことがあるものです。そこから抜け出そうともがけばもがくほど深みに陥ることすらあります。そのような時にはどのようにして抜け出せばよいのでしょうか。気分転換でもして遊興にふけってみればいいのでしょうか。それとも何とかなるさと気にしないでいるほうが良いのでしょうか。
 江戸時代に活躍した沢庵和尚の不動智神妙録に「応無所住而生其心(おうむ しじょう ごしん)」という言葉があります。この言葉の意味するところは「どんなことをするときでも、これをしようと思ってがむしゃらに思いつめると、そのやろうとすることに心が執着してしまい、がんじがらめなって柔軟な考えが浮かばなくなり、身動きがとれなくなってしまうものである。だからそういう気持ちにこだわることなく柔軟性を以て事に当たればよい。」という教えです。使命感を抱くことは大事なことですがその一念に拘り固執しまうとかえって視野が狭まり、思考の迷路に入り込んでしまうことがある。思うように行かなくなると苛立ち蟻地獄の砂の中から抜け出せなくなるのです。「何とかなるさ」という楽観的な心の幅の広さをもって多角的に複眼的に物事を見つめることが寛容である。物体を一面的に見つめればある部分しか見えず、多角的に視野を広げれば様々な形が見えたりするものです。拘らずあるがままの柔軟な心で相対するものを見つめることができればその物の本質が見えてきて、新たな道が開けるはずです。


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