ショット

見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

plalaブローチの記録

2014-07-02 11:12:23 | 記録


今まで長く使用していたブログplalaブローチはきのうの午前には消滅した
きのうも更新してそのトータル回数は3074回になった

途中からは加藤さんのアドバイスで毎日更新を心がけるようにした その日数は2895日となった
今年の3月21日からこのgooブログに移行してからはブローチの方は写真のみ公開にした

それでも合計カウンターは678910と覚えやすい数字になった
閲覧回数はその3倍くらいはあると思う 

挨拶なしで入ってきたコメントは削除したりもしたが 残ったコメントだけでも19138件になった
そのうち半分は自分が書いた返事だが 半分の9569件は頂いたもので それらが励みとなった

某オペラ歌手からは写真掲載を拒むコメントも頂いたがそれも良い思い出だ
内容は拙なものばかりだが 自分の記録として残している

忘れたことを思い出すのに 過去記事を利用しているが
このgooブログに今までの記事も移行でき 有難かった

plalaも良かったがgooも美味しいのでこれからも楽しく更新できそううだ 
写真はピスタチオのデザートどちらも美味しい 日曜日のお昼過ぎ運よく予約なしで入れた


絵本「あの日」

2014-05-06 08:00:52 | 記録


東日本大震災から3年目 大槌保育園の園長八木澤さんの話が絵本になった
地震発生時保育園は昼寝の時間だった こどもたちと先生は高台に避難した

お迎えにきた家族と一緒に60人が帰ったその高台も危なくなってきた
さらに上にと 道のない山の中をおんぶして40人がはいのぼった

家族が迎えに来て引き渡したこどもの9人が家に向かう途中波にのまれた
それから3カ月後に保育園はプレハブの園舎がたてられ再開した
 
仲間をなくしたこどもたちも半年間その寂しさを口には出さなかった
が ある日一人のこどもが いなくなったともだちに会いたいと泣き出した

みなも泣き出した かけつけた 先生も泣いた
あれから2年5か月が経ち保育園ももとどうりにきれいになった 

小学2年生になったなかまも集まった 
はじめ笑っていたいたこどもたちが泣きだした
           
               以下絵本「あの日」文章引用

さいしょに まきちゃんが なきだして
けいちゃんも しんくんも なきだして
たつやくんも けいたくんも さやかちゃんも なおちゃんも
みんな みんな ないてしまった

ないて ないて
またないて

でも それで いいんだよって
えんちょうせんせいは おもった

おもいだしたほうがいい
くちにだしたほうがいい
こわかったこと
つらかったこと
そして
いっぱい いっぱい ないて
ないたぶんだけ
なんどでも なんどでも
いいきかせればいいのだから

「オレたちがないていたら
てんごくのおともだちも なくんだよ
おれたちがわらってると
てんごくのおともだちも わらうんだよ」

八木澤弓美子園長はあとがきに記載している
あの日・・ 普通の ごく当たり前の生活をしていた私たち・・
あんなに多くの人や家 数々の想い出を失うならば
あの時もっと抱きしめていれば良かった・・離さなければ良かった・・
ちゃんと笑っていれば・・ ちゃんと・・
想いは尽きないけどみんな「生きる」と決めたから
「前を向く」と決めたから 「一緒に生きていく」と決めた


戦争の爪後残る牛尾山

2012-09-29 16:54:32 | 記録


大井川の両岸に山がある周囲が600メートルの川幅がここだけは半分しかない
420年前はこちらの牛尾山と向うの相賀山はつながっていたそうだ

それを山内一豊達が260メートル切り開き川の流れを変えて土地を作った
そこをさらに150メートル広げて治水能力を高める工事がこれから始まる 

その為の堤防は完成していて 以前あった人家はすでに移動した
今はまだ残る山の新しい堤防がぶつかるあたり そこを登ると

少し平らな場所がある そこにコンクリートの基礎がある
以前は建物もあったようだが不気味な出来事があり取り壊した

この建物は戦争時に敵の飛行機を撃墜する殺人光線を発射する
場所として作られ機械も設置されたが使用することなく終戦を迎えた

近くに住む77歳のSぎ山義男さんは子どもの頃
兵隊が列をつくり作業に行くのを見た

これがあれば爆撃の対象にもなりかねない
完成しなくてよかったとも話した

また420年前に山を削った時にでた丹石は
焼き物の釉薬として使用され後の志戸呂焼となった

など後世に伝えたい話も 川の流れと共に全部流されて消えていく
今書きとめておかなくてはならないことなのだ 

Sさんの話はまだ続いた 作業の兵隊は列をくみ歩くが
曹長は馬にまたがり進んだ列が乱れると馬の上から足で蹴った

蹴られた兵隊が田植えをしたばかりの田んぼに落ちた
それを見た百姓が怒って馬の曹長に喰ってかかった

S少年は子ども心に殺されはしないかと思った 曹長は民間人には
手を出さすことはなく 振り向きもしないで前へ進んでいった

その後進駐軍も来たが隠れて建物を見に行った 磁石などを拾った
進駐軍に見つかると耳の穴から棒を通してつる下げられる

そう脅かされていたので一目散で逃げた
一度見つかったことがあるがその時は お菓子をくれた

ランキング97 カウンター341

下記は静岡新聞より記載 平成24年9月

島田市牛尾の大井川で24日、河川敷に張り出した牛尾山を削って河道を広げ、治水能力を向上させる国土交通省の「平成の大改修」が始まった。大井川の流れの形を大きく変える大規模治水工事は1590年(天正18年)の「天正の瀬替え」以来、約420年ぶり。同日、現地で着工式典が開かれ、関係者が歴史的な節目を祝った。
 牛尾山は河口から約19キロ付近の大井川右岸にあり、標高約120メートル。周囲の川幅が約600メートルなのに対し、山体の半分が河川敷に張り出した牛尾山付近の川幅は約300メートルしかない狭窄(きょうさく)部になっている。
 平成の大改修では、山体の一部を約22万5千立方メートル(25メートルプール約460杯分)削り、川幅を約450メートルに広げる。本年度から2019年度ごろまで7~8年間を掛けた大改修工事となり、総事業費は30億円規模に上る。「牛尾山の岩盤は硬く難工事が予想される。発破も検討している」(国交省)という。
 本年度は約5億円の事業費で先端部約1万6千立方メートルを削る。発生土砂は対岸の島田市神座地区の護岸改修工事などに使用する。
 桜井勝郎島田市長が「流域住民の長年の悲願。治水に対する安全度が格段に改善すると確信している」と期待を述べた。

 天正の瀬替え 西側に大きく蛇行していた大井川の流路を真っすぐにするため、1590年(天正18年)に牛尾山と相賀山の鞍(あん)部を260メートルにわたって切り開いた大井川の歴史上最初の大規模治水工事。水害対策などのため、それぞれ駿河と遠江を治めていた中村一氏と山内一豊が協力して実施した。陸続きだった牛尾山と相賀山は対岸に分かれ、旧河川跡には金谷の村々が発展した。


2012

2012-01-17 18:52:36 | 記録


雪でした この冬2度目 今回は道路の凍結はなかった
順調に走り いつもより早い時間に職場についた

2012年ことし初の雪の朝 だからタイトルは2012
ではなくブログ連続更新記録が2012日間になった 

2006年7月27日から5年6か月毎日更新したことになる
始めたのは同年5月で更新記録は2144件となっていた

何を書いても 世の中に影響が出るようなブログでもない
なので支離滅裂な文でも許される と勝手にそう思っている