北國新聞に『透明な歳月の光』という
曽野綾子さんのエッセーが掲載されています。
今朝(平成20年5月25日朝刊21面)は『「お持ち帰り」させない空気』という題名で
最近話題となった船場吉兆の食べ残し使い回しに対する思いが綴られていました。
最初は、「きれいな料理を捨てるのはもったいない。利用できる物は利用しろ」
という前社長の指示から始まったものだと言います。
本当は、職人のモノに対する思いから始まったものなのかもしれません。
しかし、その思いは時代と介入する人の数によって歪められてしまったのかもしれません。
このエッセーの中で「ドギーバック」の話も紹介されていました。
ドギーバックとは、「食べ残しを家へ持って帰り飼い犬に食べさせます。」
という残り物を持って帰る為の容器を言います。
(勿論犬に食べさせるか、人間が食べるかは自由です。)
このドギーバックの習慣も日本以外の諸外国では一般的なもののようです。
いつの間にか日本という国は無責任な責任感が蔓延ってしまったように感じます。
全世界的な食糧難。今もたくさんの人が飢えで死んでいっています。
そんな中で食中毒の責任を取らされては堪らないと持ち帰りを禁止する店。
いかにもお客様に身体を案じてという仮面を被っています。
そしてその反面、その食べ残しを再度別の客に出すという無責任さ
曽野綾子さんのエッセーの中で
私達の日常生活の矛盾について考えさせられてしまいました。
曽野綾子さんのエッセーが掲載されています。
今朝(平成20年5月25日朝刊21面)は『「お持ち帰り」させない空気』という題名で
最近話題となった船場吉兆の食べ残し使い回しに対する思いが綴られていました。
最初は、「きれいな料理を捨てるのはもったいない。利用できる物は利用しろ」
という前社長の指示から始まったものだと言います。
本当は、職人のモノに対する思いから始まったものなのかもしれません。
しかし、その思いは時代と介入する人の数によって歪められてしまったのかもしれません。
このエッセーの中で「ドギーバック」の話も紹介されていました。
ドギーバックとは、「食べ残しを家へ持って帰り飼い犬に食べさせます。」
という残り物を持って帰る為の容器を言います。
(勿論犬に食べさせるか、人間が食べるかは自由です。)
このドギーバックの習慣も日本以外の諸外国では一般的なもののようです。
いつの間にか日本という国は無責任な責任感が蔓延ってしまったように感じます。
全世界的な食糧難。今もたくさんの人が飢えで死んでいっています。
そんな中で食中毒の責任を取らされては堪らないと持ち帰りを禁止する店。
いかにもお客様に身体を案じてという仮面を被っています。
そしてその反面、その食べ残しを再度別の客に出すという無責任さ
曽野綾子さんのエッセーの中で
私達の日常生活の矛盾について考えさせられてしまいました。