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この国の司法を考える『裁判官も人である』

2020年06月08日 | 読書

友人が原告として医療過誤を訴える裁判に傍聴で2回参加。担当する3人の裁判官のやりとりを目にして、手に取ったこの本。以前読んだことのある裁判官の被告質問や判決後の説諭など面白おかしく描写したものとは大違い。国策に関わる是非判断に悩む裁判官がいれば、上昇志向や組織防衛を優先の裁判官など、我々が見聞できないその素顔や裁判所内の内幕を伝え、問題提起する。例えば原発について、<安全性を厳しくチエックし再稼働を停めた>裁判長は<地方裁判所などで各種各様の裁判をこなしてきた人が多い>。それに対して<最高裁事務総局に勤務経験のあるエリートと称される>裁判長は<安全性は行政庁によって保障されているとの前提で再稼働を容認する傾向>にある、と経歴の違いを指摘。さらに、政府の原発推進に最高裁が求めることを<理解しない裁判官はいないはず、良心に従って原発を停められるのは裁判官を辞めると決めた時。原発を停めた途端、裁判所での居場所をなくしてしまうから>と吐露する裁判官の言葉を紹介する。ほかにも、かって新聞を賑わせた「平賀書簡問題」の顛末、裁判官人事制度における「評価システム」の実情、最高裁判事の優雅な日常、冤罪、死刑問題、政府と司法の暗闘など、本質に迫るいくつものテーマは大変興味深い。その著者の思いは「あとがき」に凝縮している。<裁判官も弱さを抱え持つひとりの人間><裁判所は思いのほか権威に弱い>とし、<(人事権と予算査定権を立法府と行政府に握られている最高裁は)三権分立の理念を実践できていない> と語気を強める。4年にわたっての取材による裁判所深部に迫った労作。「三権分立」は先の黒川元東京高検検事長の定年延長問題、サブタイトルの「良心と組織の狭間で」は財務省職員を自殺に追い込んだ森友問題、ともに安倍政権の罪を思い出さざるを得ない。そして3月を最後にコロナ影響で中断したままの友人の裁判。早期の再開を願うとともに、“真実探求の場”となるよう裁判の行方を見守っていきたい。

       



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