伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

英国スピーカーで聴く・・・今も蘇る、当初モダンジャズと知り合った頃のMJO(モダン・ジャズ・カルテット)のジャズを聴く。

2021年05月08日 | JAZZ・ボサノヴァ


最近何かと話題も多い車輌のEV化、脱酸素と言われ植物のエネルギーが本当に悪いのか?疑問ではある、それに伴い現在特にテスラが凄い勢いであり、アップル、ソニー等のEV車両参戦する話題が続く、中共等は格安EV自動車の販売を行なうらしいが、故障による交通事故は凶器と変わらないのだが、安全性には疑問がつきまとう、間違っても日本は輸入しないで欲しい。

単純に考えれば今後のEV車輌を制覇する事は、肝心な事は電池の未来化である、トヨタはEV車輌に付いては今回出遅れているように思うが、凄い裏事情に着目し想像する、火災の多いリチウムイオン電池からの脱却、EV車の一番の弱点はバッテリーである。今回トヨタが発表した「全個体電池」が凄い、充電時間は短く(10分程度)現在の電気より半分以下の重量で、充電を完了後は走行距離500キロほどと公表した。しかも数多くの特許申請をしトヨタ以外の会社では何も出来ない状態になっていると言われる。

トヨタ自動車の初代が語った未来の効率の良いエネルギーを「全個体電池」が全世界を達成出来る事のようである、しかしそれだけではなく水素エレルギー燃料タンクもメニューに加え、今トヨタは革命の最前列にいる。

この全個体電池は何れの会社が生産するのであろうか?ある情報筋から伝わった会社が、トヨタの本社である「豊田自動織機」のようである。織機の名前を聞き思わず納得、一番安心できると思う。現在もフォークリフト等を生産しトヨタ自動車は未だ「織機」を本社と呼ぶ会社で勿論秘密事項も親会社として完全に厳守出来、複雑な個体電池を製作する技術も対応出来る。しかも全個体電池の販売まで(ダイハツ、スズキ、マツダ等)可能となれば現在の状態からの大いなる飛躍出来るであろう。

他にもう一つは車両搭載用と違った小さな「全個体電池」開発中で、勿論日立、タムラ製作所、TDKなどの日本産のメーカーに多く期待出来る、それぞれの工場はが生産化に向かい今年は製品化出来るのか、近い将来のモバイル製品等に革命が起きるのかも知れない。「全個体電池」は兎に角安全性が高くしかも軽量で充電時間が短い等の利点が多い事のようです。構造的には安全な所要時間も現在の倍近くは伸びる感じだそうです、肝心な事は充電時間が短い。



久しぶりの俯瞰(俯瞰)撮影を試みた、俯瞰撮影といえば昔は現像機の足場を利用し複写撮影をした頃が懐かしい、久しぶりに手持ちでの撮影は難しい。

今回からロゴも新たに『管球王国』の文字は筆文字の様な書体から新Gに似た書体と変わった100号を購入、今回の記事内容は興味深く実験工房「300B現行管の真価を探る 新旧18種聴き比べ」テスター=新 忠篤/岡田 章/児玉眞一郎真空管解説=岡田 章
当代随一の人気を誇る300B真空管を、定評ある300Bシングルアンプを使って差し替え試聴します。高い品質を持つ現行管16種と米国ウェスタン・エレクトリックのオリジナル管などヴィンテージ管、計18種の試聴です。



筆者などはオーディオ歴は随分長いが電気の基本的なとこも全くわからず、詳しい事はお手上げで唯一頼りは自分の耳だけであり、メーカーの販売する組み立ても試みた事もない。もちろん今まで聴いた音楽もレコード、CDで気に行った物を聞き、ジャズなどは昔定期購読したスイングジャーナルでの知識だあった。現在のようにPCでネットサーフィンで調べる事もなかった時代である。


確かに前回スピーカーユニットのコーン紙に渋柿液を練り乾きが完全になり音を色々聞いたが確かに歯切れよくなり、良い方向に改良出来たと思う、ケイコ・リーのジャズは以前も彼女は紹介はしたが「Voices Again」: The Best Of Keiko Leeを試聴した、彼女独特の骨太の声帯、ピアノ演奏で鍛えられたインプロヴィゼイションへの対応。違う意味でも「06.ワルツ・フォー・デビー」が印象的だ、ポピュラーな選曲が多く気軽に聞けるヴォーガルも程よく潤みを含むスイングも好きだ。もちろん録音状態も良い。



今はこのブログは日記帳を書き溜め思い出す資料として利用している。ジャズからクラシックまで筆者の趣味に合わせ綴っています。

上記の写真はMJQがカーネギーホールでの公演時のタキシードスタイルで実に微笑ましいスタイルが印象的でした。ジャズも勿論白人に受けなければヒットは出来ない人種差別がある時代であった。

これは筆者がモダン・ジャズ入門アルバムでもあろうか?思えば丁度50年まえになる。天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトに捧げたタイトル曲の初演を収めたMJQの古典的名作であった。兎に角ミルト・ジャクソン(vib)の音が爽やかに聞けすっかりこのグループが好きになり、LPレコードを購入した事を記憶するジャンゴの出だしから響く(vib)の音が刺激的だ。



筆者がジャズ音楽を聴き出した頃話題の演奏者が登場した、モダン・ジャズ・カルテット (Modern Jazz Quartet) は、アメリカ合衆国のジャズバンドで1952年にミルト・ジャクソンらによって結成された。1951年に、結成した初期にはミルト・ジャクソン・カルテット(Milt Jackson Quartet)と名乗っていた。略称は両方とも都合よくMJQである。

思えば当初ミルト・ジャクソン(ビブラフォン)の音に魅了された記憶は残る、オーディオ入門としても当初ビブラフォンの音の再現に興味も待ったのも音への拘りのきっかけになったのかも知れない。
後日ビブラフォンの音に興味がわき色々調べた結果、後日知ったライオネル・ハンプトン、ジャズ史において(私が知っている限り)最初にヴァイブという楽器を演奏した人です。スウィングの王様として名高いクラリネット奏者ベニー・グッドマンとライオネル・ハンプトンの共演を知ることになる。勿論ベニー・グッドマンは好きで聞いていたがライオネル・ハンプトンはミルト・ジャクソンの後に知った演奏者である。

しかし基本的にはティタイム、マッコイ、エバンス、ピーターソン、ケニー・ドリュー、ハンプトン・ホーズ等ピアノ演奏を楽しんで来た傾向が強い。



筆者が20歳前の頃から友人達に間に流行ったオーディオの為に、馬鹿デカイ大きな箱にコーラルの15吋(38センチ)のフルレンジ?を入れ、此れでなくては低音は出ないと自慢していた友人のシステムを横目で見て、ガキの考えているやたら鈍重な低音しか鳴らない大きな箱を笑って見ていた、その後近くのジャズ喫茶でJBL LE8T(サンスイ)のスピーカーを聴き衝撃が走る、実に爽やかな音が響き小気味良い低音が聞こえた今まで聞いた音とと比べ、全く違った音が聞こえる国産の音に疑問を持った、当時米国製、英国製の製品は高額で10代の若造の望む物ではなかった。

友人達が自慢していたコーラルのフルレンジのスピーカーユニットの話題も徐々に薄れて行った。当然彼らの聞いていた音楽はビーチボイス程度と和製ポップス程度で、JAZZなど聴く友人は皆無だった。当時の仲間に風変わりと言われたクラシック大好きな友人が居て、彼とはなぜか話しが合って、音楽談義に花が咲き当時の我が家にSPレコードも含め細心のLPレコードを楽しんでいた。其の友人もMJQの演奏は大変気に入り当時所有した3枚程のレコードを楽しんでいた懐かしい思い出に記憶が残る。勿論クラシックのレコードも話題になった。



ジョン・アーロン・ルイス(John Aaron Lewis,2001.3.29)はジャズ・ミュージシャン、ピアニスト。
1953年にスタジオ入りしたピアニストのジョン・ルイス、ヴィブラフォンのミルト・ジャクソン、ベースのパーシー・ヒース、それにドラムのケニー・クラークは、ついこの前までディジー・ガレスピー楽団でリズムセクションを務めており、これは4人のセッションとしてはまだ2回目の収録だった。その後コンサートの定番メニューとなるAutumn in New Yorkがなにより、そのカメオのようなビジュアル面の強みを物語っている。1954年12月のセッションでは、その後末長きにわたってこのグループの2大傑作となる作品が生まれた。一つは、当時亡くなったばかりのフランスのジプシー・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトにルイスが捧げたDjango。

もう一つは、ルイスとジャクソンの控えめなやり取りが楽しいOne Bass Hitだ。La Ronda Suiteが加わったことで一段と素晴らしいコレクションになっている。60歳を過ぎてからは、J.S.バッハ作曲の平均律クラヴィーア曲集第1巻・プレリュードとフーガ全曲に挑み、原曲に即興演奏を交えたその演奏は話題になったようです。



当時からメンバーは変わらず、勿論クラシックファンも昔から多い人気グループでもあった。勿論大変有名な「Django」である。


 1.ジャンゴ Django
 2.ワン・ベース・ヒット One Bass Hit
 3.ラ・ロンド組曲 La Ronde Suite
 4.ザ・クイーンズ・ファンシー The Queen's Fancy
 5.デローネイのジレンマ Delaunay's Dilemma
 6.ニューヨークの秋 Autumn In New York
 7.バット・ノット・フォー・ミー But Not for Me
 8.ミラノ Milano
 録音年    1953年6月25日、1954年12月23日、1955年1月9日
 録音場所    ニューヨーク、ニュージャージーにて録音
 演奏者  ミルト・ジャクソン(ビブラフォン)
      ジョン・ルイス(ピアノ
      パーシー・ヒース(ベース)
      ケニー・クラーク(ドラム)
      コニー・ケイ(ドラム、1955年以降。コニー・ケイが晩年病気に倒れた際には、MJQのレパートリーのほとんどをマスターしていたミッキー・ローカーが代役としてドラムスを担当した。)
      アルバート・ヒース(ドラム、コニー・ケイの死後、後任として加入。パーシー・ヒースの弟)

ミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス、ケニー・クラークの3人はもともとディジー・ガレスピーのビッグ・バンドで1946年から1950年の間一緒に演奏していた。またその楽団でウッドベース奏者のレイ・ブラウンも一緒だった。



1951年にミルト・ジャクソン・カルテットを結成するが、翌年にはモダン・ジャズ・カルテットと名前を変える。(当初はミルト・ジャクソン・カルテットの略称であった「MJQ」の「MJ」を、「モダン・ジャズ」の略称として置き換えたもの)当初、音楽監督をミルト・ジャクソンとジョン・ルイスが担当していたが、のちにジョン・ルイスが全ての仕事を引き継ぐようになった。

このことがMJQの音楽性を決定的なものにした。ジョン・ルイス(夫人がクラシックのピアニスト)はクラシックの研究とジャズの精神を融合させることに情熱を注ぎ込み、これまでの黒人音楽には希少なサウンドを展開した。

当時は人種差別もあり、白人に受け入れない音楽は認められず幸いにしてこのMJQは後に最初にカーネギーホールでのコンサートまで上り詰めたグループであった。1952年にルイスはのリーダーになりましたモダン・ジャズ・カルテット(MJQとして知られる)。ヴィブラフォン奏者のミルト・ジャクソン、ベーシストのパーシー・ヒース、ドラマーのコニー・ケイが出演しました。1950年代から60年代にかけて活動し、1974年に解散し、1981年にパートタイムで演奏を再開し、1990年代後半に最後のコンサートを行いました。

MJQの音楽は繊細で丁寧で、バロックsi室内楽に非常に近く、しばしば「クール・ジャズ」カテゴリー。ルイスはまた、ジャズ以外の設定のために作曲し、映画、バレエ、劇場の楽譜を書きました。「Django」は 、他の人が最も頻繁に演奏するルイス作曲です。彼のソロ録音の中には、パリの真夜中(1988)と進化(1999)があり、彼はチェスゲーム、Vol。1–2、妻のチェンバリストであるミルジャナと。ルイスはまた、若いパフォーマーの間でジャズを宣伝したことでも知られています。



1953年にマンハッタン音楽学校で博士号取得した後、彼はいくつかの機関で教え、マサチューセッツ州にレノックスジャズ学校を設立するのを手伝いました。さらに、彼はカリフォルニアのモントレージャズフェスティバル(1958–82)とアメリカンジャズオーケストラ(1985–92)の音楽監督を務めました。

ミルトジャクソン、ミルトンジャクソンの名前で、バッグとも呼ばれます(1923年1月1日生まれ、米国ミシガン州デトロイト、1999年10月9日、ニューヨークで亡くなりました)、アメリカ人ジャズミュージシャン、最初で最も影響力のある戦後の現代ジャズ時代のビブラフォン即興演奏家。

グループは1952年に結成され、ミルト・ジャクソンのヴァイブ、ジョン・ルイスのピアノ、パーシー・ヒースのベース、ケニー・クラークのドラムスというメンバーで活動をスタートしました。その音楽は当時隆盛の極みだった管楽器をフィーチャーしたアーシーでパワフルなハードバップ・ジャズのサウンドと違い、気品があり、エレガントなムードさえ漂うジェントルなジャズが特徴で、クラシック音楽などを好み、ヨーロッパ志向だったジョン・ルイスの音楽性が反映されたものになっています。
しかしグループはこの時早くも大きな変化の時を迎えつつありました。ドラマーのケニー・クラークが自身のドラミングを追求するため、1955年に脱退宣言したのです。新ドラマーにはコニー・ケイが加入し、以後MJ Qは安定したメンバーとなり、華々しい活躍をしていくことになりました(1974年に一度解散、その後1981年に再結成するも、1999年ミルト・ジャクソンの死去により解散)。



今回のこの一曲は当然名曲の“ジャンゴ”となりますが、独特の哀愁を帯びたテーマはあまりにも有名で、ミルト・ジャクソンのヴァイブの音色と、ジョン・ルイスのピアノの美しい響きの重なりが静かな情感をたたえています。
非常に変わった構成を持った曲で、テーマではビート感もなく、淡々と進行していくのですが、ソロに入るとオン・ビートになり、テーマとは違ったコード進行を展開、途中でブギっぽく変化したりするところなど、実にユニークな特徴を持った楽曲です。


MJQ晩年の傑作と言われる「ラスト・コンサート」
1974年のMJQ解散コンサートの完全盤です。ヴィブラフォンとピアノの掛け合いが特徴的な品のある端正な演奏ではありますが、そこにあるのは、まぎれもなく血がたぎってしまうようなジャズ・フィーリング。収録トータルタイム 2時間26分。これが最後という気迫が伝わってくる途切れない緊張感、22年に及ぶ活動の集大成となる演奏の完成度、聴き応えありすぎます。

長きにおよぶグループ活動に終止符を打つことを決意、至上の名演を残したMJQの代表作。完成度の高さで他の作品を圧倒する。
録音: 1974年11月25日 NY,リンカーン・センター「エイブリーフィッシャー・ホール」にて
  [Disc1]
 1. Softly, As in a Morning Sunrise
 2. Cylinder
 3. Summertime
 4. Really True Blues
 5. What's New?
 6. Blues in A Minor
 7. Confirmation
 8. 'Round Midnight
 9. Night in Tunisia
 10. Tears from the Children
 11. Blues in H (B)
 12. England's Carol
  [Disc2]
 1. Golden Striker
 2. One Never Knows
 3. Trav'lin'
 4. Skating in Central Park
 5. Legendary Profile *
 6. Concierto de Aranjuez *
 7. Jasmine Tree
 8. In Memoriam
 9. Django
 10. Bags' Groove
  John Lewis (p)
  Milt Jackson (vib)
  Percy Heath (b)
  Connie Kay (ds)
  Recorded 1974
これは私のモダン・ジャズ入門アルバムかも知れない。当時はコンプリート版じゃなくレコードの二枚組だった
スタンダード中心で「ラスト・コンサート」という事件が示す一回性。その緊迫感。「朝日のようにさわやかに」は一曲目に相応しく、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)ならではの爽やかな曲。

又此の「ラストコンサート」は大変音質も録音も優れた感じがきこえる、いつの時代にも爽やかなカルテットである。



家の前に咲く蔓薔薇が満開、全体に見ても綺麗だが花一輪も味わいがある。
このメンバーもヴィブラフォンでミルト・ジャクソン、ベースのパシー・ヒース。そして、ドラムのケニー・クラークは初期MJQメンバーだった。セロニアス・モンクの後釜に座ったのがジョン・ルイスなのだ。そのラスト2曲の素晴らしさ。これぞジャズ!
此の2枚組のラストコンサートを聴いてもジャンゴ当時の音質とあまり変わりなく、唯録技術の進化か相当音質は良く聴こえる、しかし演奏は当時のように新鮮に聴けることが素晴らしいことであるように思う流石MJQなのです。
良き時代であった今も新鮮に聴ける事に、ブラボー!