伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

この国の政治はやはり三流以下であり、世界では民度が高いと言われる日本の政治は最悪でもある。

2024年02月07日 | 日記

最初から断って述べるが今回の記事内容は筆者のガス抜きを思い付くままに書き連ねて見ました。

一昨日は珍しく関東でも「雪起こし」現象が起こった。発達した積乱雲から降る雷を伴った雪のこと。 主に冬の時期に確認される自然現象で、東北地方の最上地方では、昔から早春の一日、隣・近所、あるいは職場の仲間・若者組一同打ち揃って、一重一瓢を携え、村の近くの丘に登り、獲れたてのカド(ニシン)を焼いて酒宴を張る習いがあると言われ一種の春の来訪の行事でもあると言われる。

雪の翌日早朝雪の積もった雪の上で現よく走り回る姿は元気を貰えるようでもある、6月には4歳を迎えるが今は青年期であろう、モジャ君には実に良い癒しにもなる。早朝の散歩は健康的でもあり特に雪道には足を取られ非常に歩きにくい、筋肉に負荷が掛かる運動は大変有意義な方法と言われる。
カド焼きが終われば、田畑の仕事が始まる。まず、畦塗り、次いで田起こし。長い冬でなまってしまった体には、きつい力仕事である。



今年は立春と共に春がやって来た状態ではあるが、流石岩盤支持層が厚い自民も、今まで何度も同じ過ちを犯してきた事は、頃びは此れは東京オリンピック誘致問題から始まった森 喜朗(モリ・ヨシロウ)の頃から始まっているもちろん電通も悪いが民間を悪者に仕立てた影の人物は今の自由に界隈している、現在自民党はお得意の金権政治問題が吹き出し現在支持率は過去最低の15%程の岸田政権は何を目指しているのであろうか、野党は最終的に総理経験者の森 喜朗の証人喚問が叶えば成功であるが何時も如くの有耶無耶に終わる事件で小物の最後はトカゲの尻尾切りであろう・・・・?

益々不利になる腐れ自民党、今や30年停滞した日本経済にもやっと日差しの見えて来た所で総選挙が始まれば、解散総選挙のタイミングは遅れタイミングを逃す岸田政権、益々政治不振は高まり常識人は間違いなく自民党の欠落で行き先を失った選挙票は知恵遅れな野党には、国民は札入れは出来ない、まともな保守の第二政党不在の日本国民は誠に哀れでもある。

結果的には国民は選挙放棄をする、選挙投票率の悪さも選挙する側、される側の立場を交換して考えればわかるのであろうが、政党はむしろ選挙率の悪さは与党勝利とでも思っているのであろうか今回は不利模様でもある。
確かに投票率は全く良くない原因は魅力も全くない政治に原因はあるのであろう。腐れ野党とマスゴミ特に朝日新聞を筆頭に非難を受けることが増すばかりでもある。次の総理候補も全く望めないのが自民党の現実です。
そこで次世代の総理候補を眺めてみよう、碌な議員もいなく最悪です。



現在の日本の舵は野党には預けられない、また次の候補とも言える候補は、親父はご存知親中派でもある本人は虫食好きの世襲ブロックの河野、



何処か注意散漫で頭の悪い常識問題も理解出来ない、此れも世襲3代目の進(スン)次郎、である。



何故か言う事が毎回違う自民党に返り咲いた石破、碌な奴はいない!タケシのヤクザ映画の名セリフ「一度裏切ったヤツは何度でも裏切る」と言っていたが此れは事実でもある・・・。
それと趣味がプラモデルの様でありやたら戦艦、戦闘機等の事は詳しいが、当時防衛大臣の頃は職務は予算をいかに多く取る事が肝心なのに軍備の詳細に拘り肝心な事には無関心で言わばオタクであったそうである。全く役に立たない大臣と当時を知る自衛隊幹部が吐露している。



最近何かと裏切り行為に会う(小渕の乱)最悪なシェイシェイ茂木は、信頼度ゼロ



コイツは最悪の情報隠滅の為パソコンのハードデスクに穴を開けた、これも世襲の小渕の娘ドリル優子・・・・

親中の公明党と手を組む自民のヤバさ、更に本当に自民党の議員は碌な奴はいないと事が一番問題でもある。一方野党は以前オウム真理教問題で嘘を垂れ流し報道した、実にいい加減な元TBS報道局記者、杉尾秀哉。バカな噛みつき犬の小西 洋之徘徊する野党は問題外でもある。
上記の様な連中には今の日本は任せられない、現在支那は負の遺産製作中で経済は爆発寸前でこの様な時期は戦争に暴発する可能性が高い、支那の台湾侵略に対し我が国の防衛等台湾との協力をし、外交では支那に対する防衛ライン対処が肝心な時に此の様な失態は野党には決して任せられないのが本音でもある・・・。

総理候補に成ってはならない自民議員は掃いて捨てるほどいるのだが、総理候補は見当たらない事が日本政治の悪い点で、仮に全く自民党と変わらない政党で、お金にはクリーンな自民党がいれば政権交代が簡単に行える、上記に挙げたダメ政治屋5人この様な体制に進め報道した「バカに付ける薬なし」と言われるマスゴミにはうんざりでもある。
ここで出てきた政局を読むのが実に上手い、最後のチャンスと思い動き出したキモい厚化粧の緑のババア事 百合子である。



そしてこの隙を見て浮かび上がる、頭の狂った厚化粧の緑のおばさん事 百合子、もう最悪でウンザリでもある。

確かに日本の国民はあの人知っているで投票してしまう安易な国民でもある、現在金権政治の問題が賑わせているが元々法を作る側が抜け道を作り法案を通す、まるで支那の共産党の手法と変わり無いであろう、支那は技術を盗み自分の首を吊っているが政治はまるで支那と変わらないであろう。勿論与党の公明党などは支那の近平とはお友達でもあり最悪な与党でもある。

この先日本お良い所は綺麗な水と空気と綺麗な景色の広告になっているが、これで良いのであろうか?
戦後復興し次の新しい日本人に残す事も考える事が今必要な時ではなかろうか?現状の国会議員を始め県会議員、市町村議員は皆自分のため醜い政治を行なっている様に感じるのは筆者だけなのであろうか?

自民党は今回の裏金、献金問題であるが、選挙、政治活動には何かと金が必要と発言するが、少ない選挙、政治活動でできるシステムを考案する事が政治を司るのが政治家の責任であろう、政治と金の問題は田中角栄のロッキード問題から自民党は何度も闇献金を繰り返し行い反省の色もなく腐ったリンゴ其の者が自民党でもある。

野党は腐ったリンゴ以下の劇薬サリン同等、国民はサリンを飲むより腐ったリンゴを仕方なしに飲まされているのが実情の様でもある。いつからこの様な政治が当たり前の政治となったのであろうか・・・?
第二政党不在の政治社会が日本を間違った政治社会を作ってしまった様である。自民党議員お仲間にも親中派、親露派、親韓派議員が自民党議委員の中にもいっぱいいることが遺憾な事である。
日本政治における最大の危機は野党議員は親中派、親露派議員が断然多いことが人種国家の政治と違う事なのかもしれない。



筆者のブログで以前も紹介したが、それでは戦前はどの様な事だったのか調べてみると、最近何かと話題になっている人物評価として、石原莞爾(いしわら かんじ)は、1889.1.18山形生まれ。1918.11陸軍大学校卒、1922.9駐独武官、1925.10陸大教官、1928.10関東軍参謀、満洲国建国に関与、また満洲国協和会発足(1932)の原動力となった。1932.8兵器本部付、1932.10ジュネーブ軍縮会議随員、1933.3帰朝、1933.8歩兵第4連隊長(仙台)、1935.8参謀本部作戦課長、1936.6参謀本部戦争指導課長、1937.3参謀本部作戦部長、1937.9関東軍参謀副長、1938.12舞鶴要塞司令官、1939.8中将、第16師団長。1941.3東条英機と対立して予備役編入、立命館大学教授兼国防科学研究所長、1941.6東亜連盟協会顧問、1949.8.15死去。


戦略の天才・石原莞爾を「超二流」で挫折させた陸軍人事でもある。1931年(昭和6年)9月18日に、日本現代史の分水嶺となった事件が起きた。「満州事変」だ。現地に駐留していた陸軍の「関東軍」はスピード進撃で中国東北部全域を占領し、翌年に「満州国」を成立させた。国内世論は湧いたものの、各国の批判を浴びた日本は国際連盟を脱退、孤立化への道を進んだ。満州事変を立案・実行したのが関東軍・作戦主任参謀の石原莞爾(1889~1949年)だ。現在でも多くの陸軍軍人が厳しく批判される中で、例外的に石原には肯定的な評価もある。しかし最終的に師団長から中将のまま待命・予備役入り(引退)という組織上のキャリアは、表面的には「超二流」止まりにも映る。「戦略の天才」を挫折させた陸軍人事を追った。31年当時の日本経済は、世界大恐慌の打撃から立ち直り切れておらず、重要な海外市場の中国では日本を批判するナショナリズムが盛んになっていた。陸軍省・参謀本部のエリート課長らは1年後をめどとしての武力発動を計画した。これを前倒ししたのが石原で、中国東北部を支配していた張学良が北京に出動したスキを突いた。柳条湖事件という列車事件を演出して交戦に持ち込み、約20万人対約1万人という圧倒的に不利な兵力差にも関わらず連戦連勝だった。若槻礼次郎内閣や陸軍上層部の不拡大方針を無視して占領地を拡大し、新国家設立にこぎ着けた。元首にあたる執政には清(中国)のラストエンペラー・溥儀(ふぎ)が就任した。日本を覆っていた社会の閉塞感を打破した立役者として、石原は広く一般にも知られた。

当時の日本帝国の大東亜戦争の敗戦は友達(友軍)が少なく孤立してしまった事が大きい、日清、日露戦争では日本お友達は多く英国、ユダヤ、米国と何かと頼りになる国が多かったが、大東和戦争での友好国は少なく特に先の戦争で敗れた露国等のレーニンは厳しかった様である。



特に目を引く様な事件が、戦後東京裁判で証人喚問が下り裁判所に出廷命令があったろうだが、病気療養中に就きアメリカ側が来るべきだろうと言い病院まで来させた話は有名でもある。石原はアメリカの判事に真のA級戦犯は誰だと聞かれた時、原爆を落としたトルーマンだと答えたそうです。
ペリーの話は、その判事が日本の戦争責任は日清日露戦争までさかのぼると述べたので、それならペリーを呼んで来いと言ったそうです。その理由として日本は約三百年間鎖国政策のもと他国に一切何の干渉もせず平和に暮らしていたのに、黒船を率いたペリーに開国を脅迫され侵略帝国主義の列強国から身を守るために自らも帝国主義国になった、よって全ての元凶はペリーだと説いたそうです。実に天晴れな解答であろう。物の本質を理解し間違った東京裁判を酷使した痛快な論調はまさに石原莞爾らしい物言言いだと思った。

今日も日本の敗戦国ロシアの前大統領メドページェフが日本の総理に暴言を吐いたそうである。何と岸田に向かって「腹を切れ」と言ったそうな・・・。
日露戦争敗戦組の敗残民が寝言を言っているのか?弁えろと言いたい。精神的には幼稚な子供以下の人物なのであろう(笑)
だいたい赤に染まった、ヨシフ・スターリン、ウラジーミル・レーニン等ロシアの共産主義者の革命家の教育を受けた人には分かり得ない話であろう。

この辺りで立ち止まり冷静にこの国の真の姿を見る事が今必要に思う。