ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach、1685年3月21日) 3月21日は、ドイツの作曲家・器楽演奏家のヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生日、日本では春分の日である。
バッハは20人もの子供がいるビッグダディ!という話もそこそこ有名ですが、バッハはなんと大の珈琲好きだったそうです。
筆者もバッハが大好きで、毎朝豆を挽き珈琲を淹れ頂く、珈琲大好きなので、シンパシーを感じちゃいます!なんと演奏会は珈琲店「 ツィンマーマン・コーヒーハウス」で演奏会行った事もしばしばあったそうです。またベートーヴェンも珈琲好きは有名で毎朝10粒の珈琲を焙煎し挽いて淹れたてを楽しんでいたようである、この嗜好品の珈琲豆は当時は貴重品で現在のようには手軽には楽しめなかったようである。
筆者もバッハが大好きで、毎朝豆を挽き珈琲を淹れ頂く、珈琲大好きなので、シンパシーを感じちゃいます!なんと演奏会は珈琲店「 ツィンマーマン・コーヒーハウス」で演奏会行った事もしばしばあったそうです。またベートーヴェンも珈琲好きは有名で毎朝10粒の珈琲を焙煎し挽いて淹れたてを楽しんでいたようである、この嗜好品の珈琲豆は当時は貴重品で現在のようには手軽には楽しめなかったようである。
今回この曲が聴きたくレオンハルト/バッハ:鍵盤作品集成(20CD)日本独自企画/特製ボックス・セットを購入した。いわゆる衝動買いです。
筆者がバッハの音楽を聴き始めは、器楽曲でした、当時バッハ音楽は宗教音がだと思っていたが、貴重なケーテン時代の5年間器楽曲のパラダイス時代があり、この時代に多くの有名曲を楽しんだ次期とも言えよう、曲を聴けば解るが実に自由で明るく楽しい今まで通奏低音楽器も演奏楽器としたアプローチなど流石バッハの音楽は違う、一歩前をゆくのだ。
内容は其のような鍵盤楽器音楽がこの20枚のなかに網羅されている。
1か月前の12月12日、オランダの古楽界の巨人グスタフレオンハルトがパリのブッフデュノール劇場で最後のリサイタルを行い、2012年のすべてのエンゲージメントがキャンセルされました。昨日、1月16日に彼は83歳で亡くなりました。チェンバリスト兼オルガニストである彼は、50年代初頭のレオンハルト・バロック・アンサンブル(ニコラウス・アーノンクールを含む)を皮切りに、他のほとんどの楽器とは異なり、古楽器演奏運動を形成し、形作りました。
ニコラウス・アーノンクールと一緒に、彼は完全なバッハ・カンタータを録音しました。これは、録音されたクラシック音楽の素晴らしいプロジェクトの1つであり、多くの古楽演奏者に刺激を与えました。
グルドベルグ変奏曲(1953)のレオンハルトの最初の(3つのうちの)録音は(本物の)チェンバロでの最初の録音の1つであり、SEONの彼の演奏は、今日でも最高で最も人気のあるものの1つです。
レオンハルトについて特に新鮮だったのは、「古い音楽」に関する彼の率直で非イデオロギー的なスタンスでした。インタビュアーがソリストが合唱の任務を引き受ける「パートごとに1つの声」の質問を彼に投げかけたとき、彼はそれがゴミであり、バッハがこれ以上歌手を望んでいないという頑固な議論を続けた(ジョジュアによって出されたようにリフキンら)はばかげた喧嘩でした。
高い声(OVPP-HIPスターのハードコアは歴史的な正確さについてあまり心配していないようです)に対する女性対男の子の質問について、彼は単に男の子を好むと言いましたが、そうでないときはその考えに固執しないことをお勧めしました本当に良いです。「女性が教会に行くことを禁じる規則は音楽的なものではありませんでした。」
彼の仕事と同じくらい重要なのは彼の教えでした:ボブ・ファン・アスペレン、アラン・カーティス、リチャード・エガー、ピエール・ハンタイ、ケティル・ハウグサンド、フィリップ・ヘレヴェッヘ、クリストファー・ホグウッド、トン・コープマン、デイヴィット・モロニー、マーティン・パールマン、クリストフ・ルセ、スキップ・センペ、アンドレアス・シュタイアー古楽の卓越性の真の誰が誰であるか。彼は彼の妻、ヴァイオリニストのマリー・レオンハルト・アムスラーによって生き残りました。
勿論筆者もレオンハルトの弟子達の演奏も聴き流石最新録音での音質は素晴らしく良かったが、色々聴くうちにグスタフ・レオンハルトの演奏に安らぎを覚えるようで何度も聴くうちにレオンハルト戻っていた。
筆者愛用のエンクロージャーも全面のネットをはめ込み写すと、唯風轟々とした佇まいが見える、勿論音質も臨場感豊かなカンタータからオペラから弦楽器まで幅は広い。音質の幅が深くなったようである。
最近筆者が感じるオーディオとは、との答えがおぼろげながら解るような気がした、以外に答えは単純で解りやすく言えば、兎に角好きな音楽が自然に聴こえ、しかも上手く鳴る音創りであろう。大切な事は最初の収集は勿論“いい音楽”である。音楽の収集が一番難しい事が歳と共に解る。
今まで筆者はクラヴィーア演奏でオーディオ機材に注意をしてきたことは、とにかく綺麗な澄んだ高域の爪弾く音質が一番肝心と思い、私としては細心の注意を払い高域の綺麗に鳴るアンプ等を選び、最近は真空管も少しでも綺麗な音がするものに拘って鳴らしてきたが、それは大間違いだと言うことに気がつく。
いわゆるヴィンテージと言われるユニットの鳴らす事に一番肝心な事はユニットとエンクロージャーの対比である、特にクラシックを愛好する方はなるべく容量の大きなエンクロージャーとの組み合わせが有利であるように思う。舞台、ホールでの演奏での様はまるで特等席で聴くような錯覚を覚える、筆者がⅢLZのオリジナル箱でTANNOYを聴いていた時と現在グッドマンのAXIOM80の箱に移植した音ではホール感が違った、此の事で聞く音楽を違った音楽の世界が広がる、以前はカンタータ等は良いとは思うが夢中には鳴れない音楽が箱が変わりより自然に感じる人の声の響き、が違って聴こえだした事は事実である。勿論サブ機として愛用するLS3/5Aも改良しそこそこの音は聞けるがTANNOYには及ばないのである。
それはTANNOYユニットをHPD295からIIILZ Monitor Goldのユニットに交換して聞きだしてからある、HPD295(22Hz~20kHz)IIILZ Monitor Gold(30Hz~20kHz)とレンジは数字上はMonitor Goldが狭い。
確かに両方のユニットを聴き比べるとMonitor Goldが独自の癖が強いことが解る、でも試聴すると断然ピアノはグランドピアノらしく聞こえ、クラヴィーアの音質もしっかりしたクラヴィーア楽器の響きの中に弦を爪弾く得も言われぬ音が聴こえる、ことにパイプオルガンの音はまさに教会でのホールを感じる音が鳴った気がする。一番の違いはオペラだ、人が劇場で歌うホール感あ圧倒される。
最初カルメンのハイライト部分を聴き終了後感動し、しばらく動けなかった。聞けば解るが背筋が伸びる思いになる、やはり数字では解明できない微妙な伝統が備わっているように感じる、此のユニットの限界を引き出す、今後益々このエンクロージャーをより上手く鳴らすアンプを探す楽しみが増えた気がしてならない。ただし何度も言ううが癖の強いユニットですのでセットで使う方法が最善策な方法と思う、確かに箱もオリジナルが良い方法かも知れない、IIILZ Monitor Goldの最大の特徴は人の声が実に上手く鳴る、これは一度聴けば虜になる。これは弦楽器(得意は厳密に言えば弦楽器はビオラ・ダ・ガンバ及びチェロの通奏低音)を上手く鳴らすよりハードルは高いようです。
またチェンバロの深い響きを体得するなら、小さなブックシェルフ型のエンクロージャーだは味わえない音質だ、此のエンクロージャーの10吋のユニットから響く音は実際の演奏のような音が聴ける。
今興味が沸く211は500mlのペットボトルと同じくらいの大きさの真空管です。 オーディオ用として使われる真空管としては大型の部類に入ります。 もともとは軍用無線の送信管だそうです。 起源は非常に古くMJの大塚久氏の記事のよると1920年代にWEによって211Aが開発され,同時期にGEによってUV-211が開発されたとのことです。
現代でも使われている実用的な真空管としては最も古い設計でしょう。 これ以上の詳細は専門書に譲ります。
211はこれぞ真空管!という風貌と存在感。明るく輝くトリエーテッド・タングステンのフィラメント。 実に魅力的です。
211はよく845と比較されます。送信管である211をオーディオ用に改良した球が845です。 845は直線性が良く,内部抵抗が低く,最大出力も大きく取れますのでオーディオ用としては心を惹かれます。
この写真は筆者の自宅の一階から二階に上がる階段であるが、2回の天井までの吹き上がりがパイプオルガンを想像させる雰囲気が唯一好きなところである。
30年前の建物だが屋根瓦、外壁は補修完了したが何時まで持つのであろう。先日割合大きな地震があり、今後関東、東海地震は何時起こっても次期的に不思議ではないと言われる、3.11の東北大地震感すでに10年の月日が立つが、つい最近の様に感じる大きな災害が起こらないように祈る他ないようです。
グスタフ・レオンハルト・プレイズ・バッハの演奏の中でも筆者が最高のと思える演奏を紹介します。クイケンとのヴァイオリン・ソナタを収録していますが、バッハの無伴奏ヴァイオリンと無伴奏チェロのための作品をレオンハルト自らがチェンバロのために編曲して演奏したアルバムです。
当時の資料によると、これらの作品はバッハ自身によってチェンバロでも演奏されていましたが、編曲された楽譜は残されていません。それを再び音楽として響かせることは、バッハの音楽の本質、即興精神にたいする深い理解と洞察を有する稀有の巨匠レオンハルトのみが成し得た偉業といえるもので、これこそがブリュッヘンが彼を「現代のバッハ」と呼んだ所以なのです。
バッハの無伴奏ヴァイオリン曲のクラヴィーア編曲に寄せた、レオンハルトの言葉として、バッハ自身これをクラヴィーアで演奏し、その際ヴァイオリンの演奏より進化に多くの和音を付加した。更にイ短調ソナタBWV1003についてはおそらくバッハ自身によるクラヴィーア編曲があり、又ハ長調ソナタ第1楽章のクラヴィーア編曲も知られている。レオンハルトはクラヴィーア編曲にあたりバッハの鍵盤曲の様式から学ぶことを心がけたと言っている。
勿論同曲は単独に2枚組のセットで販売しています、この曲もセットの中には入っています。特にバッハはクラヴィーア曲一台、二台、三台の曲を色々の楽器に持ち替え(ヴァイオリン、オーボエ等)て編曲し公開して、実に親しみやすい曲にしています。
Disc 10
ソナタニ短調(無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調BWV1001による)
ソナタト長調(無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWv1005による)
組曲ニ長調(無伴奏チェロ組曲第6番BWV1012による)
組曲変ホ長調(無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調BWV1010による)
上記写真は最近仕入れたCDである、請求書が怖くなる程のCDを衝動買いをしたようである、反省。
Disc 11
パルティータイ長調(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006による)
パルティータト短調(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004による)
パルティータホ短調(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調BWV1002による)
組曲ハ短調(リュート組曲ト短調BWV955による)
[使用楽器]
チェンバロ:ニコラ・ルフェビュール[1755年ルーアン]
レストア=マルティン・スコヴロネク[198年ブレーメン](ソナタ ニ短調、ト長調)
ブランシュのモデル[1730年頃パリ]によるウィリアム・ダウド製[1975年パリ](パルティータ イ長調、ト短調、ホ短調)
クリスティアン・ツェル[ハンブルク1728年](組曲変ホ長調、ハ短調)
[録音]
1984年3月17-18日、ハーレム、ドープスヘヅィンデ教会(オランダ)デジタル(ソナタ ニ短調、ト長調、組曲ニ長調)
1975年、キルヒハイム、フッガー城、糸杉間(ドイツ)ステレオ(パルティータ イ長調、ト短調、ホ短調)
1976年、ハンブルク美術工芸博物館(ドイツ)ステレオ(組曲変ホ長調、ハ短調)
[47:59+52:41] レコード芸術・推薦
ソナタ、パルティータ&組曲グスタフ・レオンハルトJ.S.バッハ:ソナタ、パルティータ&組曲[トランスクリプション集] ドイツ・ハルモニア・ムンディ
バッハの無伴奏ヴァイオリンと無伴奏チェロのための作品をレオンハルト自らがチェンバロのために編曲して演奏したアルバムです。当時の資料によると、これらの作品はバッハ自身によってチェンバロでも演奏されていましたが、編曲された楽譜は残されていません。それを再び音楽として響かせることは、バッハの音楽の本質、即興精神にたいする深い理解と洞察を有する稀有の巨匠レオンハルトのみが成し得た偉業といえるもので、これこそがブリュッヘンが彼を「現代のバッハ」法王と呼んだ所以なのです。
バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータから5曲と無伴奏チェロ組曲から1曲を、レオンハルトがチェンバロ用に編曲して演奏した作品。バッハの無伴奏ヴァイオリンやチェロの曲は単旋律楽器に多声を要求し、演奏者はいわば時分割多重方式で各声部の音を奏でる訳だが、チェンバロは容易に多声に対応できる代わりに音が持続しない。そこでレオンハルトが音符を加える等してチェンバロ用に「トランスクリプト」した訳である。
確かに最近この鍵盤作品の中のNo,11集を聴くことが多くなってまるで愛聴盤のように朝起きれば淹れたての珈琲と共に聴いている、実に落ち着ける曲です、これはもうチェンバロ曲として成立する仕上がりと思う。
このあたりのグスタフ・レオンハルトを聴くとバッハに一番近い存在感を感じる、ヴァイオリン曲とチェロ曲をチェンバロ局にアレンジ似ての演奏は、フランス・ブリュフェンがレオンハルトはバッハに一番近い法王と言っていたそうであるが、この曲を聴けば理解できる。勿論2枚組セットも販売している、レオンハルトの真骨頂とも思える演奏が聴ける。このレオンハルト/バッハ:鍵盤作品集成(20CD)日本独自企画/と表示してありますが、ハルモニアムンディ盤と比べソフトなプレス仕上がりに聴こえる。個人的にはこの程度のソフト感がありのが聴きやすいと思う。ある意味、レオンハルトの残しているチェンバロ録音中、最も価値のあるものかもしれない。特にそれは無伴奏チェロ組曲の編曲版について言えると思われる。
現代楽器を使った無伴奏チェロ組曲の演奏は、ほとんどが失敗に終わっている。その理由は、「バッハが省略した音」についての考察がないからだ。バッハの音楽は単線ではない。チェロ一本で弾いていたとしても、そこには常に二声、三声の旋律が予定されているのだ。チェロに関してはバッハは教会の残響と演奏法という手法で解決を図ったが、その「省略された音」の再現を図ったのがこの編曲なのである。そうような背景を考えながら聴くバッハも実に面白く益々のめり込んで行くようです。
なので、何よりもこれは原曲の望ましい演奏、望ましい聴き方にとっての教科書なのだ。しかし、それは単にこの演奏がチェロのためのものであるということを意味しない。チェロとはまったく別の魅力をこの編曲版は独自で有しているからである。それは、これをレオンハルトがピアノでなくチェンバロで弾いたことを考えてみればわかる様な気がしてならない。
ヴァイオリンやチェロに比べた場合のチェンバロの弱点は、音のダイナミック・レンジが極端に少ないことである(タッチによる強弱が不可能である)また弾き方によって音を変えることができない(楽章ごとの調節は可能だが)その不利な点をレオンハルトがどのように克服しているのかも、本アルバムのひとつの聴きどころだ。特に「シャコンヌ」はブラームスによるピアノ編曲版との比較ができるので面白いだろう。
今後も色々な角度からバッハの音楽を聴き続けるであろうブラボー!