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今一度正しい日本の歴史を紐解く、日本歴史認識の検証・・・。終戦から76年になります。

2021年08月15日 | 歴史(世界史/日本史)の考察


日本での開催は2度目になるオリンピック競技も無事終了し、後はパラリンピックを残すことになり、無事終了することを祈る、日本選手の活躍も記憶に残り、後半のパラリンピックも楽しみでもある。

日本は8月15日を迎える。1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。 これにより第二次世界大戦が終結したと言われるが、戦後GHQに書き換えられた日本の歴史を、改めて検証することにした。時系列に動画の配信しました。戦争とは何故かの疑問についての検証。
動画は文中のアンダーライン入の英字部分をクリックして頂ければ動画(YouTube)が見られます。

日本人にとって「終戦の日」というと、8月15日に昭和天皇による「終戦の詔書」(玉音放送)がラジオ放送で流れた日と思っている人も多いですし、8月15日には、今も全国各地で追悼式などが開催されています。
でも、国によってこの「終戦の日」の日付や呼び名が異なり、意外にも世界では、8月15日が「終戦の日」ではないようなのです。ところで、日本でも「終戦の日」と呼ぶ場合と、「終戦記念日」と呼ぶ場合があります。

どちらかを使わなければならないという明確なルールはないものの、テレビ局や新聞社によって表現が違る点も興味深く、国営の放送局では、“記念日”の表現はお祝いのイメージがあるため抵抗を感じる人がいる、といった理由で、「終戦の日」を用いているそうです。



調印式会場のミズリー号甲板、歴史を振り返ると、
1945年8月14日/日本政府がポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告
1945年8月15日/昭和天皇による終戦の詔書(玉音放送/録音)放送により、日本降伏を国民に公表
1945年9月2日/日本政府がポツダム宣言の降伏文書(休戦協定)に調印、即日発行とされています。国により解釈の違いがあるように思いますが世界的には9月2日終戦日とされている状態です。

一番問題視されている事は、旧ソ連軍が北方領土を攻め入った事は、日本人はソ連の行動を恨んだ事は確かだが、その裏には日本人瀬島龍三が、ソ連のレーニンと通じていた様に思う。瀬島は戦中ガダルカナル以降の作戦は全て失敗している、当時から共産圏と繋がりがあり、戦後も瀬島龍三はソ連から引き上げ伊藤忠商事入社後は共産圏との取引をしている事は事実である。

日本において第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結したとされる日については諸説あり、明確にこの日!と定めるにふさわしい「終戦の日」はないようです。
日本では、最高権力者である天皇の肉声がラジオから初めて流れた玉音放送が敗戦の象徴として受け止められ、その放送が流れた8月15日を「終戦の日」として、今に受け継がれています。

それと以外に驚いた事に今回アメリカ大統領選挙について、アメリカの中で根付いた共産党の多さに驚き、大手企業の共産圏との強い繋がりにも恐怖を抱く、一方日本の戦前の社会も世界では、ソ連は日本を共産党政権に持ち込みたく、敗戦統一に持ち込みたかった、出来ない場合は北海道だけでソ連領にしたかった様である。今回はその歴史的ターニングポイントを動画で見たいただき、検証する方法をとりました。「終戦の日」に見直す良い機会と思っています。



お馴染み、予備校世界史講師の茂木誠先生と「超日本史」を考えてみる、昭和の軍部はなぜ暴走したのか?。当時のソ連「レーニン」のコミンテルンとは?


ここで肝心なコミンテルンについての解説
1919年結成の共産主義インターナショナルCommunist Internationalの略称。第三インターナショナルとも。第二インターナショナルで最左翼を占めたレーニンらロシア共産党(ロシア社会民主労働党)を中心とし,各国共産党を支部とする国際組織。第二インターナショナルと異なり植民地地域でも積極的に行動したが,活動の中心はヨーロッパだった。中央集権体制をとり,1921年まではレーニン,それ以後はスターリンが直接各国共産党を指導した。1923年まではドイツを中心としたヨーロッパ諸国の革命運動を推進,他方1919年―1927年には中国の革命運動を支援したが結局は失敗した。以後社会民主勢力とファシズム勢力を同列において攻撃する極左戦術をとったが,ドイツでナチスとの対決に敗れて打撃を受けた。1934年以後人民戦線戦術で巻返しを図ったが,これも不成功。こうして世界革命を起こすという当初の目的を達成しないままに1930年代からはソ連外交の道具に転化し,1943年ソ連の外交政策転換により解散。

そして最悪な事態にアジアの解放の「東亜新秩序」の建設を・・・開戦臨時ニュースが流れた時、日本とアメリカにどのような駆け引きがあったのか、貧困からの脱却の試みなのであろうか?


1945年2月4日から11日にかけて、ソ連領クリミア半島のヤルタという場所で開催された、連合国側の戦争政策および戦後処理の問題についての話し合いを「ヤルタ会談」といいます。
参加したのはアメリカの大統領ルーズベルト、ソビエトの首相スターリン、イギリスの首相チャーチルです。

当時のヨーロッパ戦線は、ポーランドにいるドイツ軍を駆逐したソ連軍がドイツ国境付近にまで進出し、アメリカとイギリスをはじめとする連合軍はドイツ西部のライン川の西岸を目指し進軍していました。
対ドイツの勝利がほぼ確実という情勢だったため、ヤルタ会談では戦後のドイツ占領地域の処理と、極東の戦略に関する具体的な合意、「国際連合」の設立について協議されています。



ヤルタ会談を2回で解説します。その後の歴史を見れば、この会談が日本の、大きなターニングポイントとなったことは言うまでもありませんが、第二次世界大戦の末期とはいえ、個人レベルの関係で会談が進められていたことは驚きを隠せません。会談が終了した2月12日に「ヤルタ宣言」が発表されています。


1:ドイツの戦後処理問題
 戦後のドイツの占領地域の管理については、まずその領土を縮小し、戦前のドイツ領東部をポーランドに割譲することと、首都ベルリンは英米仏ソの4ヶ国が共同で統治することが決定されました。
またドイツの戦争犯罪人を処罰するため、裁判を開くことも決定。賠償金問題は継続して協議していくことが合意されています。
2:ポーランド問題
 ポーランドの国家再建に関しては、イギリスで存続している亡命政府と、ポーランド内でソ連が樹立した臨時政府があり、どちらを正統な政府として戦後の再建を進めるかが問題になっていました。
イギリスとソ連が激しく対立したため、アメリカから戦後に国民投票を実施して決めることとする妥協案が提示され、3ヶ国で合意されます。
国境については、ソ連に接している東側はソ連に領土を割譲し、その分ドイツに接している西側ではドイツの領土をポーランドに割譲することが決まりました。
3:秘密協定となった極東の問題
 スターリンは、南樺太、千島列島、満州での権益と引き換えに対日戦に参戦することを約束します。これは、ドイツの降伏後2~3ヶ月以内に「日ソ不可侵条約」を破棄し、日本領土に侵攻するというものでした。
満州国へのソ連の侵入は、実際にはドイツの降伏から3ヶ月後の8月9日に始まり、日本の敗戦を決定づけたのです。
またこのことが、2018年現在も続く北方領土問題の発端にもなっています。



主張を通しやすかったのはソ連のスターリン。ドイツの猛攻を退け、本土内から撃退し、ポーランドを開放してドイツ本国に迫っている勢いがありました。アメリカのルーズベルトはスターリンを信頼していましたが、イギリスのチャーチルは彼が独裁者であること見抜いていたのです。

特にルーズベルトは体調が悪く、この会談から帰国した後すぐの4月に亡くなります。無理をおしての会談は、対日戦争の勝利にソ連の首相であったスターリンの協力がどうしても必要だったため、秘密裏におこなわれたのでした。

情報大国イギリスが「傑出した情報士官(インテリジェンスオフィサー)」と認めたストックホルム駐在陸軍武官、小野寺信(まこと)少将。ナチス・ドイツのソ連侵攻を見抜き、ソ連が対日参戦する「ヤルタ密約」をつかんで終戦工作に関わった小野寺の足跡。

小野寺がストックホルムにおいて、ドイツ敗戦から3カ月後にソ連が対日参戦するという「ヤルタ密約」をつかみ、和平仲介打診に乗り出した工作を、英国は「最高機密」と判断。英連邦の自治領だったカナダやオーストラリアなどと情報共有したのである。その際に、ハリファクス大使は「オーソライズされた陸軍武官は天皇の“代理”となるので、(スウェーデン)国王グスタフ五世は興味を持たれ、何事かアレンジされた」と1回限りの暗号で打電した。



諜報の神様 小野寺信とは 日本人だけが知らないインテリジェンス、「日米開戦不可ナリ」|ストックホルム 小野寺大佐発至急電。NHK配信より

参謀本部の作戦課が小野寺電報を握りつぶした日本は、和平仲介への淡い幻想を抱き、ソ連にすり寄っていた。これに対し、北欧の中立国、スウェーデンで正鵠を得た情報を元に、ソ連ではなく米英との和平に乗り出した小野寺を、英国はキラリと光る枢軸側の情報士官と評価したのだ。



後日明らかにしてなるエリクソンの正体を暴くは反ソ主義者のスウェーデン系アメリカ人で、米戦略情報局(OSS)のエージェントを務め、実は米国の意向を受けて小野寺に打診工作を持ち掛けたことが戦後、判明している。

正にジェームズ・ボンド顔負けの働きです、勿論イアン・フレミングも工作員でした、後に007のスパイ小説に仕上げますのは有名な話です。



後に悪名で有名になる、瀬島龍三こそソ連の回し者「敗戦統一」を目指した証拠があったのか?未だ伊藤忠は共産圏との取引は続いているのは何故か。

日本人60万人をソ連にシベリヤ抑留に売った瀬島龍三の闇は深く、未だ何のお咎めも無く、闇から葬り去る歴史は恐ろしい共産党は実に闇の部分が色濃い。

誰がソ連に日本人を売ったのか?現在の一般的は歴史解釈は終戦直後、当時の満州国などの外地に残っていた日本兵ら約60万人が、ソ連によって武装解除・投降を余儀なくされ、捕虜としてシベリアをはじめとするソ連各地に移送された出来事である。確かにロシア、北朝鮮、支那と共産圏が隣国の日本は大変である。


皇道派=北朝鮮型社会主義 統制派=ソビエト型社会主義 非常にわかりやすい説明です。瀬島龍三、統制派、ソ連の対日参戦する。
その瀬島龍三は情報漏洩の元は、「裏臨調」だった。権勢を増していた中曽根康弘行政管理庁長官が毎週金曜夜、赤坂の料亭で開催した会合の異名だ。中曽根が最も重用したのが、軍隊の先輩でもある瀬島で、二人を中心として、配下の橋本龍太郎党行財政調査会長などと、実質的な方針を決めていた。

当時の書類公開され、本当の事実が判明出来るようになったが、共産圏の事実は闇から闇に、果たして後世に残す文章も無いのであろうか?



脈々と続く共産党を支持する世界が広まって親中派が拡大している政界に危惧する。次回の選挙は親中派自民党として分立をすすめる。

今回のアメリカ大統領選挙はバイデンが勝利したと言われるが、謎が多く不思議な事はニュースでも解る、普通ならバイデン兄弟の事件も隠蔽され、オバマの娘とバイデン息子のつながり疑惑など次々あるが全て闇の世界出来事に・・・先日筆者宛に届いた大統領子息の如何わしい写真が届き驚く。


この世の中は日本一国の平和ということより世界の平和なんです。オリンピックの後半戦パラリンピックが始まる、そして終了後間違いなくコロナ禍問題、景気は大幅交代する予想はできる、今後世界はどのような道に進むのか?支那の暴発はあるのか?冬季オリンピック開催はいかに?

今後の予測として、さざ波オジサンこと髙橋洋一が予測する今後のシナリオ「菅政権の行方」と「北京五輪ボイコット」果たしてその先の株価は・・・


また解散総選挙日本の政権は如何に、2Fを筆頭とする親中派は変化するのか?台湾問題は?中共のジェノサイド問題、三峡ダム問題、異常気候と北戴河での囁きの真相はとアジアは問題の巣窟である。何事もなく勿論平和解決が理想であるが、二度と間違った答えは出さないように見守りましょう。


ちなみに最近天候不順でモジャの散歩も雨の合間に、散歩に連れ出ししっかり運動してしています、散歩後の楽しみは一緒にシャンプーしてシャワーを浴び、さっぱりしたところで、バスタオルに包み水分を吸収させる、その後は大好きな梨のカケラをかじる。全く子供と変わらない、思えばほとんど毎日シャワー浴びご機嫌のようである。後はエアコンの程よく効いた部屋での昼寝。
平和な世界が長く続きますよう祈りましょう。黙祷!