散歩気分で生きる毎日に一日1本、一行詩!by ミナミヒロユキ
一行詩(うた)メモ日記
からっぽ
アタマ振りカランコロンの音聞く
10月21日(日)
なーんにも書くことがないときがある。なーんにも思い浮かばないときもある。
さてさてと腕組みをして考えてもアタマのなかはとっても静かで、物音一つ聞こえない。
じーっとしているからダメなのだと、部屋をうろうろしてみるのだけれどアタマのなかは空っぽだ。なにか出てきそうな気配はない。
いま、その状態なので、実況中継をしているというわけです。そういうときにいつも、いままでどうしてきたんだろうと思う。それはこのブログのことだけではなく、仕事も歌づくりもおなじだ。
ずんずん追い込まれて、なーんにも浮かばないときは、過去を振り返ってしまう。これまでのことは、すべて奇蹟だったんじゃないかと、なんでできたのだろうかと、不思議マークが踊り出す。
とくに仕事は、毎回追い込まれるのでキビシイ。あー、このまま手も足も出ないでおわってしまうのか、そうすると引退だ、もうなんにも浮かばない…ちょっとした恐怖につつまれるのだ。
それでもなんとかなってきたのは、やはりじぶん以外の力に救われてきたのだろう。もしかしたら、無意識のなかに蓄積されているものにも助けられてきたかもしれない。
見たり、聞いたり、読んだり、体験したり、そういったものの記憶がどこかに保存されていて、熟成され、思考のエネルギーになってくれている、そうかもなぁ。ということは、些細なデキゴトも貴重な資源ということになる。大切にしないと。
日々修行、そういうと大げさだけれど、蓄積というのは大切なことだよね。「日々、コツコツである」、口癖になっているなぁ。
「ちょい前めし」
しっかり餃子、数に限りあり餃子。
長野にて、
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