2月7日(日);出沢区役員改選。
出沢区 全37戸、129名。
毎年区民の顔ぶれもほとんど変わらないし、皆んな段々と高齢化してきて、
終日公民館で座っている体力も気力も失せてきた。
民主主義のルールから少し外れるかも知れんが、出来るときに、出来る人が、
出来ることをやるしかない。と、ここ2年ほど前から選挙はせず、
事前に選考委員会で根回しをして、信任投票で決定することになった。
その甲斐あって、2時間程で無事終了。
今年は
区長 内田仁
副区長 今泉博史
さんにお願いすることになった。
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出沢の代表者は昔は総代といった。今の区長とは重みが違った。
昨年、妻籠に行って本陣を観てきたが、昔の田舎は大なり小なり
あんなもんだった。封建的だとか独裁制だとか言われるが、
考えてみると、総代は、権力より義務の方が重かったように思う。
良いこと悪いこと・・の全てに責任を負っていたのだ。
それ故、受ける方も、選ぶ方も大変だった。一応選挙で決まっても
なかなか承諾してもらえず、全員、一言もものも言わずに、
真冬の板敷で夜明かししたことも一度や二度ではなかった。
全員が『お願い』をしたのが確認できるまでは返事をしなかったのである。
決まった以上、総代は全員で『お願い』をした代表なのだから、
今、流行りのリコールなどは思いも及ばなかった。
また、総代を受けることができる人(家)も、十戸に一戸位しかなかった。
その他の者は、只黙って総代に選ばれた人が承諾してくれるのを待っていた。
自分などは、昨年、何とか区長を務めたが、当時は、一生涯総代(区長)を
やることはないと思っていたのである。
その代わりに、総代を務めた人(家)は、総代様と様付けで呼ばれて、
皆に一目置かれ尊敬された。
『出沢を守るために、まず自分の出来る義務を果たす』
果たした義務の分だけ世間から認められる・・。声高に地域自治区制度が
叫ばれているが、本来自治は与えられるものではない。自分たちで考え行動
することだ。
法律より慣習との掟が優先した時代。皆に願われた総代が、責任を持って
を纏め守っていた時代。あれも民主主義の一つの形だったかと懐かしむのは、
私だけだろうか。