大河ドラマ真田丸が人気のようです。そこで、真田丸発祥の地を巡ってみましょうと久しぶりの
上田に向かいます。白樺湖を越え、大門街道が少し心配だったのですが流石に今年は雪が少なく
凍結の心配も無く上田入りです。
先ず向かった先は「真田歴史館」 戦いの足跡や武具・甲冑など戦国の激動の世を生き抜いた真田三代の
足跡を辿り真田三代に想いを馳せられる場所となります。 館内は撮影NGなので無しです。私の来た時
にはバスが2台程来ていました。入場料200円も安いですね
次に向かったのが「真田歴史館」より歩いても5分ほどの場所にある「真田氏館跡」と言う「上田城」
を築城するまで暮らしたと言われる場所です。地元では「お屋敷」と言われ、現在は「御屋敷公園」
として整備されツツジの名所として知られています。 さて次に向かうのは車で移動です
「真田氏本城跡」 真田の里のほぼ中心部の少し小高い山の上にあり、城址からは「砥石城」や「矢沢城」
を一望できる景観の良い場所にあり、自然の地形を生かした巧みな築城技術が忍ばれます。この場所は
観光バスは入れそうもない場所ですからバスの方は少し下から歩いて登るのかな?ここから又、車で移動です。
次に向かったのが「長谷寺(ちょうこくじ)」思わず『はせでら』と読みそうですが違うそうです。
駐車場から入った場所にあり、境内の桜・・・ん、見事だな・・今年は・・と思う気まぐれ親父です
真田家の祖と言われる真田 幸隆公夫妻・真田昌幸公の菩提所で真田墓所があります。
親子3人が揃って眠っている珍しいお墓でもありますし、今回の真田の里「発祥の里巡り」の一つの
メインでもあります。 そしてお参りの際・・解るかな~
6文銭を見立てた並べ方真田墓所にお参りする方は皆さん小銭を『六文銭』に見立て写真のように
並べてお参りする方が多いようです。因みに私も調べてあったのでその様にお参りさせて頂きましたよ。
ん~ここに来る前にお豆腐屋さんがあったが妙に気になった・・・やはりこの春の桜巡りは・・・
おっと~話がそれた!
次に向かったのが「山家神社」古くからこの地域の守り神として崇められ、神川沿岸に暮らす人々の
水分の神(みくまり)として崇拝されたそうです。
真田氏も幸隆の代より氏神として崇め、上田城落成後は鬼門除けの神として崇拝されました
そして勘違いしている方が多いのですが上田城内にある真田神社は本来「松平神社」なんですね~
上田城内にある真田神社は上田城=真田となり、それでは改修の時に神社の名前も「真田」にした方がと
言う事でなっているそうです。故に、この山家神社内にある 「真田神社」が本当の真田神社なんですよ!
地元の方でも間違えて覚えている位ですからしょうがないですね~ さてさて次は・・と
思ったら一軒のお土産屋さんが
来た時から気さくにお声を掛けて頂いて居たので帰りに少し覗いてみようかな~と思い寄ってみました。
本当に気さくな女性店主さんで話も弾み意外なことも聞けました。以外??それは・・・現在いらっしゃる
こちら『山家神社』の宮司さん!!なんと・・・なんと・・なんと・・(ってどっかの司会者じゃ無いん
だから引っ張るな!!)昨年まで『諏訪大社 上社』にいらっしゃったとか、え~上社に居たの~
私も上社の氏子ですよ~ そうか~などとの会話も弾みさらに、桜の話もこちらの境内にも結構見事な桜が
情報発信してくれるそうです ☆ゆざっく☆ゆきこ☆のブログ 春、また伺うと思います(多分(笑))
さてさて、最後に向かったのが 『信綱寺』 文禄3年の昌幸氏の文書によると兄、信綱の位牌所として
建立され信綱夫妻の墓や墓前の桜と言われる樹齢400年の古木桜があり(やはり決まりだな!!今年の
桜巡りは・・・)宝物館には長篠の合戦で討ち死にした信綱の首級を包んだとされる血染めの陣羽織が
伝えられています。今回はお墓にもと、思ったのですが・・・雪が・・・次回にします。
今回「砥石城址」・「陽泰寺」「ゆきむら夢工房」も回りたかったのですが、砥石城址は雪で一寸無理
がありそうなのでパスしました。次回と言う事でと、そんな訳で「発祥の地巡り」を終わらせ「戦国ルート
外回り」を巡りに向かいたいと思います。 あ~もう、お昼大分過ぎてるし・・・