今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

映画『何が彼女をさうさせたか』

2005-02-06 | 歴史
1930年2月6日、映画『何が彼女をさうさせたか』が封切られれた。映画のタイトルは流行語に もなる。映画監督・鈴木重吉には、生涯で50本を超える作品があるが、佳作と呼ぶべきものは少なく、ただこの1本の作品によって日本映画史上に不滅の名を残したといえる。1976(昭和51)年76歳で死亡。
1930(昭和5)年には、ルンペン、銀ブラ、アチャラカ、エロ・グロ、ナンセンスといった言葉が流行ったという。この1930年代を、エロ・グロ、ナンセンスの時代と称する。日本では関東大震災(1923=大正12年)以降にモダニズムの時代が始まるが、1929年のニューヨーク・ウオール街の大暴落に端を発した世界恐慌は、日本にも押し寄せた。そして、1930年代の日本は、急激に戦争へと傾斜をしてゆく。国内では、首切りが相次ぎ、失業者が続出。労働争議や小作争議も続発し、自殺者も急増するなど、灰色の日々が続いた上、宰相浜口雄吉が東京駅で右翼に撃たれる事件まで発生している。
この時代は、左翼思想も蔓延し真剣に革命を考える共産党員のほか、マルクスやエンゲルスの本を小脇にかかえて盛り場を闊歩し、“進歩的文化人”を気取っているマルクス主義者も多かったと同時に、共産党の大弾圧や満州事変・上海事変の勃発など右傾化・軍国化も進んでいたときである。
そんな中のエロ・グロ、ナンセンスは、不景気と軍国主義によって押しつぶされる直前のやけくその空騒ぎであったのだろう。
このような時代を反映して、内田吐夢監督(「生ける人形」)を皮切りに、溝口健二(「都会交響楽」)、辻吉郎(「傘張剣法」)、伊藤大輔「(斬人斬馬剣」)などが続々と、傾向映画と呼ばれるものを製作したが、その代表作といわれる映画、鈴木重吉監督、『何が彼女をさうさせたか』(帝国キネマ)が封切切られたのが、1930年2月6日である。
この映画を私自身は見ていないので良くは知らないが、藤森成吉原作のベストセラー同盟小説を映画化したもので、高津慶子という女優が扮した貧農の娘が、孤児院、曲馬団、宗教団体の養護施設などを転々とたらい回しされ、ついには、社会を憎むようになって、最後には教会に放火をするという不幸な少女の悲劇的な話を描くことによって、資本主義社会がいかにひどい社会であるかをイメージさせようとしたものである。
このような映画が、大ヒットとし、1930年度キネマ旬報ベストテン第1位にあげられ、映画のタイトルは、当時、流行語にもなったという。
1991年末のソ連崩壊で、旧ソ連と東欧諸国は共産主義を放棄し、資本主義の対極にあった、共産主義が消え、資本主義社会が勝ち残ったかに見えるが、その資本主義も、自由競争の名の下に貧富の格差が極度に広がりはじめ、いつ崩壊するかもしれない危うさが見え始めた。
今、競争社会から落ちこぼれた行き場のない者も増え始めている。そして、昔は考えられなかったような、狂気とも思える、とんでもない犯罪も蔓延し始めている。
犯人が捕まって裁判になると、犯罪者の精神状態が問題視され、刑が軽くなるなど・・・犯罪者の人権が守られ、被害者やその被害者の家族たちの気持ちが救われないといった事が起こっている。
たしかに、これらの狂気的犯罪を犯した憎むべき犯罪者であってもオギャーと生まれたときには、真っ白で、なんの穢れももっていなかったのであろう。
では、憎むべき犯罪を犯した、彼らがそこまで狂気に満ちた犯罪を犯すのは、何故・・『何が彼らをそうさせたか』・・・???この悲しい現実をどうすればよいのか・・いつも考えさえられる。
(画像は、「何が彼女をそうさせたか」昭和5年映画ポスター。「日本映画100年」アサヒグラフより)
参考:
ロシアで発見された幻の邦画「何が彼女をそうさせたか」
http://www.bcap.co.jp/s-hochi/01-05/n010501.html#2
スチール集6
http://www1.odn.ne.jp/~ccf10780/new_page_103.htm
高津慶子ってどんな俳優?「二人は若い」に出ているよ・・・。懐かしいメロディーを聴きながら当時のスターたちのスチール写真を見るのもいいよ。