今日(2月19)日は、「プロレスの日」
相撲界からプロレスラーに転向した力道山(本名:金信洛。朝鮮)がアメリカから帰国、1953(昭和28)年日本プロレス協会を設立。
翌、1954(昭和29)年、蔵前国技館で、日本で初めてプロレスの本格的な国際試合が開催された。柔道出身の木村政彦と組んでのシャープ兄弟とのNWA世界タッグ戦である。日本テレビ、NHKが二元中継を行った。しかし、前年の1953年(昭和28年)2月1日、NHKテレビ局が放送を開始し、続いて8月28日、NTV(日本テレビ)が放送を開始したばかりである。この頃は未だ、テレビが普及しておらず「街頭テレビ」と呼ばれるものが駅広場などに設置されていた。人々は高校野球の実況中継やプロ野球のナイター中継などを観ていた。
又、商店街にある喫茶店では、映画館のようにテレビを見せるためにテーブル席をテレビの方向に向けて設置しているところがあった。そして、相撲や野球の実況放送を見せたりしていた。家でテレビを見れない庶民はこのようなところでテレビを見ていた。
この放送で、外人レスラーを空手チョップで倒す力道山に人気が集まった。
外人レスラーが何度も反則をするのに、力道山は反則をせず、正々堂々と闘い外人レスラーを空手チョップで倒す・・・こういう演出効果は、戦後のアメリカンコンプレックスの強い日本人を奮い立たせ、熱狂させた。力道山は、以後、鉄人ルー・テーズとの試合などを通して、国民的英雄扱いを受けるようになった。
その後、1963(昭和38)年5月24日の日本テレビで放送された「WWA世界選手権 ザ・デストロイヤー対力道山」の試合は64.0%もの高視聴率(ビデオ・リサーチ社)をとり、いまだに歴代5位の視聴率を保っているという。ちなみに歴代1位は同年12月31日の第14回紅白歌合戦(司会江利チエミ&宮田輝)でその視聴率は81.4%だったそうだ。
おしくも、力道山は、同年12月、東京・赤坂のナイトクラブで暴力団員に登山ナイフで腹を刺され、1週間後の同15日に死亡した。(死亡年齢は39歳とも41歳とも)
私なんかは、家にテレビがなかったので、長い間、相撲や野球、プロレスの試合などは、商店街の喫茶店へテレビを見に行っていたよ。当時、喫茶店ではテレビを見せるだけでなく、そのスポーツの勝敗で、堂々と賭けをしていた。というよりも、喫茶店の目的は、テレビを見せることより、トトカルチョにあったように思う。私はまだ、子供だったので、一人では行かず、家の職人に連れて行ってもらってたので、その辺のことはよく分からないが、テーブルに着くと必ず賭けの用紙が配られていた。大人達はその用紙に自分の予想を書き店のものに提出し、熱くなって試合を見ていた。
そう言えば、私が社会人になったときも、職場内では、相撲や野球のトトカルチョが流行っていたな~。娯楽の少ない当時、トトカルチョはみんなの楽しみだったんだね~。賭けといっても大きな金額ではなく可愛い額の賭けだったよ。
去年暮れは、初めて紅白歌合戦を見ずにK1を見たが、思ったより、面白かったな~。昔のプロレスなどは、なんかやらせ的な面が強く感じられたが、K-1は、スポーツのイメージが強いね~。
(画像は:s32年、ルー・テーズ対戦日刊スポーツ)
相撲界からプロレスラーに転向した力道山(本名:金信洛。朝鮮)がアメリカから帰国、1953(昭和28)年日本プロレス協会を設立。
翌、1954(昭和29)年、蔵前国技館で、日本で初めてプロレスの本格的な国際試合が開催された。柔道出身の木村政彦と組んでのシャープ兄弟とのNWA世界タッグ戦である。日本テレビ、NHKが二元中継を行った。しかし、前年の1953年(昭和28年)2月1日、NHKテレビ局が放送を開始し、続いて8月28日、NTV(日本テレビ)が放送を開始したばかりである。この頃は未だ、テレビが普及しておらず「街頭テレビ」と呼ばれるものが駅広場などに設置されていた。人々は高校野球の実況中継やプロ野球のナイター中継などを観ていた。
又、商店街にある喫茶店では、映画館のようにテレビを見せるためにテーブル席をテレビの方向に向けて設置しているところがあった。そして、相撲や野球の実況放送を見せたりしていた。家でテレビを見れない庶民はこのようなところでテレビを見ていた。
この放送で、外人レスラーを空手チョップで倒す力道山に人気が集まった。
外人レスラーが何度も反則をするのに、力道山は反則をせず、正々堂々と闘い外人レスラーを空手チョップで倒す・・・こういう演出効果は、戦後のアメリカンコンプレックスの強い日本人を奮い立たせ、熱狂させた。力道山は、以後、鉄人ルー・テーズとの試合などを通して、国民的英雄扱いを受けるようになった。
その後、1963(昭和38)年5月24日の日本テレビで放送された「WWA世界選手権 ザ・デストロイヤー対力道山」の試合は64.0%もの高視聴率(ビデオ・リサーチ社)をとり、いまだに歴代5位の視聴率を保っているという。ちなみに歴代1位は同年12月31日の第14回紅白歌合戦(司会江利チエミ&宮田輝)でその視聴率は81.4%だったそうだ。
おしくも、力道山は、同年12月、東京・赤坂のナイトクラブで暴力団員に登山ナイフで腹を刺され、1週間後の同15日に死亡した。(死亡年齢は39歳とも41歳とも)
私なんかは、家にテレビがなかったので、長い間、相撲や野球、プロレスの試合などは、商店街の喫茶店へテレビを見に行っていたよ。当時、喫茶店ではテレビを見せるだけでなく、そのスポーツの勝敗で、堂々と賭けをしていた。というよりも、喫茶店の目的は、テレビを見せることより、トトカルチョにあったように思う。私はまだ、子供だったので、一人では行かず、家の職人に連れて行ってもらってたので、その辺のことはよく分からないが、テーブルに着くと必ず賭けの用紙が配られていた。大人達はその用紙に自分の予想を書き店のものに提出し、熱くなって試合を見ていた。
そう言えば、私が社会人になったときも、職場内では、相撲や野球のトトカルチョが流行っていたな~。娯楽の少ない当時、トトカルチョはみんなの楽しみだったんだね~。賭けといっても大きな金額ではなく可愛い額の賭けだったよ。
去年暮れは、初めて紅白歌合戦を見ずにK1を見たが、思ったより、面白かったな~。昔のプロレスなどは、なんかやらせ的な面が強く感じられたが、K-1は、スポーツのイメージが強いね~。
(画像は:s32年、ルー・テーズ対戦日刊スポーツ)