今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「菜の花忌」・・司馬遼太郎の忌日。

2005-02-12 | 人物
今日(2月12日)は、「菜の花忌」。小説家・司馬遼太郎の1996(平成8)年の忌日。
司馬遼太郎(しば りょうたろう):小説家のちエッセイスト。1923年(大正12)年8月7日、大阪に生まれる。本名・福田定一。大阪外語学校(現・大阪外国語大学)卒業。学徒出陣で卒業後、陸軍に入る。復員後、新日本新聞社をへて産業経済新聞社入社。1961(昭和36)年退社。1960(昭和35)年、「梟の城」で第42回直木賞受賞以降、41年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞以降数々の受賞をしている。1991(平成3)年には、文化功労賞。1993(平成5)年、文化勲章受賞。日本の大衆文学の巨匠・中心とされている作家である。1996年(平成8年)2月12日没。
ペンネームは、「司馬遷に遼 (はるか) に及ばず」と言う謙遜の意味から。命日は、氏が愛した野の花に因んで『菜の花忌』と名づけられている。
司馬遼太郎は1964(昭和39)年、東大阪市の中小阪に居を構えその後、1979(昭和54)年に下小阪に移り、以後この大阪の下町で30年以上に及ぶ 執筆活動を続けてきた。素朴な菜の花を好んだように、住いも、芦屋のような上品な街より、人と人とが触れ合う雑踏のような街大阪が好きだったようだ。
生前の自宅の隣接地には、建築家・安藤忠雄氏設計による「司馬遼太郎記念館」(東大阪市下小阪3)が建設されており、毎年、命日には、ボランティアらが記念館の敷地内に司馬さんの好んだ菜の花の植わった鉢やプランターを並べるイベントが行われているという。
司馬遼太郎の本は、NHK大河ドラマでは「竜馬がゆく」「国盗り物語」「花神」「翔ぶが如」「徳川慶喜(原作「最後の将軍」) 」など、又映画でも「梟の城」「暗殺(原作「幕末」) 」「風の武士」「城取り」「尻啖え孫市」「御法度」など数多く放映されているのでこれらは殆ど見ている。
司馬遼太郎は歴史小説に関する大家であり、私も歴史には興味を持っているので数多く知ってるような気になっているが、意外に、この作家の小説(本)は、読んでいるものが少ないのだが、これらのテレビドラマや映画を数多く見ているからかもしれない。実際に、読んだ本とといえば、「竜馬がゆく」や、氏の作品としては数少ない中国を舞台にした小説「項羽と劉邦」など数冊である。
思い起こせば、これらの本は当時、会社などでは、よく話題になっていたのを思いだす。
私心を去って自分をむなしくして大仕事をすすめた竜馬の行動力。秦の始皇帝亡き後、劉邦と項羽の2人が天下統一へ向けて軍を起こす。司馬遼太郎はこの物語を通じて信頼される人物像を克明に描き出している。現代にも通じるリーダーシップとは何か・・・このようなテーマーのものは、まさに、経営者のバイブルともなる本であったからだ。
私が現役時代いた会社は、非常に社員教育に熱心なことでは有名な会社であったが、上級試験の課題図書には、実務書だけでなく、その時代に話題になった歴史本も沢山選ばれている。又、部長職以上の者が集まる年に一度の幹部研修会などでは、その時代の話題になった本の作家などを講師に招き講演をしてもらっていた。よく、賢者は「歴史に学ぶ」というが、歴史本には、非常に教訓が多い。司馬遼太郎は、新しい視点と斬新な描写で「司馬史観」と呼ばれる歴史観をもって、日本の歴史を描いたものが多く、特定の時代を題材にするのではなく様々な時代・人物を描いていることも特色と言えるが、反面、作品中の人物像が若干浅薄。また思索風の記述が多い割には思想性は薄いなどと評価している人もいる。私も、どちらかというと、梅原猛のような、哲学的に、ぐっと、掘り下げた思想性の高いものの方が好きではあるが。
※同じ「菜の花忌」(3月12日)、諫早が生んだ詩人・伊東静雄忌がある。
(画像は小説「項羽と劉邦」)
参考:
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
司馬遼太郎
司馬遼太郎の風景
司馬遼太郎氏のライフワーク的な作品「街道がゆく」を辿ってみませんか・・
http://www.ne.jp/asahi/oda/kaze/asiba.htm