今日(2月14日)は「バレンタインデー」
バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味。
西暦269年、ローマでは、若者たちが自分の家族や愛する者たちを去りたくないとして、なかなか戦争に出たがらないことに、手を焼いてしまった皇帝が、とうとう結婚を禁止してしまった。この自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、ローマ皇帝の迫害により処刑された。それから、この日がバレンタイン司教の記念日としてキリスト教の行事に加えられ、恋人たちの愛の誓いの日になった。
欧米では、この日を「愛の日」として男女間だけでなく家族や友人にカードやプレゼントを贈る風習がる。 しかし日本では女性から男性へ愛の告白をする日、チョコレートを贈る日として定着しているが、この習慣は日本独自のもので、1958(昭和33)年にメリーチョコレートカムパニーが行った新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始りだそうだ。
欧米ではバレンタインカードの決まり文句とされている「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)という言葉をカードに添えたり、また「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりするらしい。これは、殉教者バレンティウスが恋人におくった愛の言葉だといわれているそうで、こんな言葉を書いたカードを添えて見るのも良いね~。
ところで、この日は、「 聖バレンタインデーの虐殺」の日としても有名。
1929年のこの日、シカゴでギャングの抗争により、7人が射殺された事件「セントバレンタインデイの虐殺」はアメリカ中に衝撃をあたえた。この事件は、密造酒業の独占権をめぐって、禁酒法を無視して暗躍していたアル・カポネの指示によるものとされている。
1920年に酒を造るな、売るな、運ぶな、という禁酒法が実施されるが、逆に、密造酒はギャングたちの大きな収入源となり、シカゴはギャングの勢力争いが絶えない街となっていた。
この事件の起こった1929年は、ニューヨーク株式市場が暴落し大不況とった時期である。そのため、これが禁酒法廃止の導火線となった。禁酒法のために逆に、法を無視したギャングなどの組織犯罪が横行し、腐敗、偽善の温床になっていたため、禁酒法を廃止すれば酒税も入ってきて、国の財政を潤し、産業も繁栄すると人々は考え始めた。そして、1931年脱税で摘発されたカポネが投獄され、禁酒法廃止を掲げ、不況克服をスローガンにしたルーズベルトが大統領になり、国民投票の70%以上の賛成を得て、1933年12月5日、禁酒法は廃止された。その意味では、「 聖バレンタインデーの虐殺」の日も記念すべき日なのである。
参考:
バレンタインデー|日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/04_vd.html
バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味。
西暦269年、ローマでは、若者たちが自分の家族や愛する者たちを去りたくないとして、なかなか戦争に出たがらないことに、手を焼いてしまった皇帝が、とうとう結婚を禁止してしまった。この自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、ローマ皇帝の迫害により処刑された。それから、この日がバレンタイン司教の記念日としてキリスト教の行事に加えられ、恋人たちの愛の誓いの日になった。
欧米では、この日を「愛の日」として男女間だけでなく家族や友人にカードやプレゼントを贈る風習がる。 しかし日本では女性から男性へ愛の告白をする日、チョコレートを贈る日として定着しているが、この習慣は日本独自のもので、1958(昭和33)年にメリーチョコレートカムパニーが行った新宿・伊勢丹でのチョコレートセールが始りだそうだ。
欧米ではバレンタインカードの決まり文句とされている「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)という言葉をカードに添えたり、また「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりするらしい。これは、殉教者バレンティウスが恋人におくった愛の言葉だといわれているそうで、こんな言葉を書いたカードを添えて見るのも良いね~。
ところで、この日は、「 聖バレンタインデーの虐殺」の日としても有名。
1929年のこの日、シカゴでギャングの抗争により、7人が射殺された事件「セントバレンタインデイの虐殺」はアメリカ中に衝撃をあたえた。この事件は、密造酒業の独占権をめぐって、禁酒法を無視して暗躍していたアル・カポネの指示によるものとされている。
1920年に酒を造るな、売るな、運ぶな、という禁酒法が実施されるが、逆に、密造酒はギャングたちの大きな収入源となり、シカゴはギャングの勢力争いが絶えない街となっていた。
この事件の起こった1929年は、ニューヨーク株式市場が暴落し大不況とった時期である。そのため、これが禁酒法廃止の導火線となった。禁酒法のために逆に、法を無視したギャングなどの組織犯罪が横行し、腐敗、偽善の温床になっていたため、禁酒法を廃止すれば酒税も入ってきて、国の財政を潤し、産業も繁栄すると人々は考え始めた。そして、1931年脱税で摘発されたカポネが投獄され、禁酒法廃止を掲げ、不況克服をスローガンにしたルーズベルトが大統領になり、国民投票の70%以上の賛成を得て、1933年12月5日、禁酒法は廃止された。その意味では、「 聖バレンタインデーの虐殺」の日も記念すべき日なのである。
参考:
バレンタインデー|日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/04_vd.html