今日(6月1日)は気候に合わせて、衣服を夏服に替える「衣更え(更衣・衣替え)」の日。
衣替えは、平安時代に始った習慣で、当時は中国の風習にならって4月1日および10月1日に夏服と冬服を着替えると定め、これを「更衣」と言った。しかし、天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も「更衣」といい、後に天皇の寝所に奉仕する女官で女御に次ぐ者を指すようになったので、民間では更衣とは言わず「衣替え」と言うようになったっそうだ。 江戸時代ごろから、衣替えは6月1日と10月1日に行うようになり、明治期になると、開国日本の服装についてどうあるべきかが激しく論じられ、1872(明治5)年の太政官布告により、今の国家公務員にあたる人達の制服が定められ、夏服と冬服の衣替の時期も制定された。このころには新暦が採用され、現在のように夏服が6月1日~9月30日、冬服が10月1日~5月31日と定められた。やがて、これが学生服にも及び、さらに一般の人たちにも定着していった。
その後、戦中戦後の一時期を除いて、この湿気が多くて蒸し暑い、日本で、真夏に長袖シャツを着てネクタイを締め、スーツを着るなどと言う異常な慣習が続いてきた。
しかし、先日来、テレビなどで、細田官房長官や小池環境相などが地球温暖化や省エネルギー対策の一環として、ノーネクタイでの軽装での執務を推進するため、 沖縄の「かりゆしウエア」の展示販売会の視察に訪れ、試着するなどのパフォーマンスをしていたが、いよいよ、今日から、閣僚や官僚などがネクタイなしの勤務を始めるらしい。
日本では明治になって官僚などが、洋服を着るようになっても、庶民は和服が多かったが、大正末から昭和初期にかけて、洋装が一般的になる。そして、男性の間では1934(昭和9)年頃、湿度の高い日本の夏に適した「開襟シャツ」が大流行した。
戦後、私が、商社へ入社した昭和30年代前半では、商社マンでも、まだ、外部の人と接する人はマナーとして、ネクタイにスーツ姿であったが、室内での勤務では、開襟シャツを着ていた。私も営業マンだったので、スーツやシャツ、ネクタイなどは、会社のロッカーに置いておき、通勤には、開襟シャツを利用していた。当時、会社には、冷房装置があったものの、当時の冷房では、クーラーの設置してある近くでは、水しぶきが飛んでくるくらいで寒く、少し離れると冷房が効かないといった状態であり、解禁シャツ姿でも真夏にはうだる状態であった。それが、30年代後半からの高度経済成長とともに、冷房設備も完備され、通勤の電車なども冷房化され、いつの間にか、スーツにネクタイが普通になってしまった。しかし、そのため、電車内、事務所内ともに冷房が効きすぎて、冷房病の人さえも現れるようになっていた。政府が主導的にノーネクタイを勧めると民間も後を追うだろう。日本は日本の気候にあった文化を作れば良いのだ。何でもかでも西洋の真似をすればよいのではない。本当に、良いことだと思う。
(画像はコレクションの20世紀デザイン切手第6集より「ハンドバックを持つ女性と開襟シャツの男性」。切手説明:大正末から昭和初期にかけて、洋装が一般的になると、女性の間では「ハンドバック」を持つことが流行し、必需品になっていた。1930(昭和5)年頃に、布製のものだけではなく皮革製のものも登場。又、男性の間では1934(昭和9)年頃、湿度の高い日本の夏に適した「開襟シャツ」が流行した。)
参考:
衣替え(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A3%E6%9B%BF%E3%81%88
大臣お似合いです 霞ヶ関で初のかりゆしウエア販売: 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-2514-storytopic-1.html
衣替えの季節
http://www.mycal.co.jp/saty/3_weekly/0226/
衣替えは、平安時代に始った習慣で、当時は中国の風習にならって4月1日および10月1日に夏服と冬服を着替えると定め、これを「更衣」と言った。しかし、天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も「更衣」といい、後に天皇の寝所に奉仕する女官で女御に次ぐ者を指すようになったので、民間では更衣とは言わず「衣替え」と言うようになったっそうだ。 江戸時代ごろから、衣替えは6月1日と10月1日に行うようになり、明治期になると、開国日本の服装についてどうあるべきかが激しく論じられ、1872(明治5)年の太政官布告により、今の国家公務員にあたる人達の制服が定められ、夏服と冬服の衣替の時期も制定された。このころには新暦が採用され、現在のように夏服が6月1日~9月30日、冬服が10月1日~5月31日と定められた。やがて、これが学生服にも及び、さらに一般の人たちにも定着していった。
その後、戦中戦後の一時期を除いて、この湿気が多くて蒸し暑い、日本で、真夏に長袖シャツを着てネクタイを締め、スーツを着るなどと言う異常な慣習が続いてきた。
しかし、先日来、テレビなどで、細田官房長官や小池環境相などが地球温暖化や省エネルギー対策の一環として、ノーネクタイでの軽装での執務を推進するため、 沖縄の「かりゆしウエア」の展示販売会の視察に訪れ、試着するなどのパフォーマンスをしていたが、いよいよ、今日から、閣僚や官僚などがネクタイなしの勤務を始めるらしい。
日本では明治になって官僚などが、洋服を着るようになっても、庶民は和服が多かったが、大正末から昭和初期にかけて、洋装が一般的になる。そして、男性の間では1934(昭和9)年頃、湿度の高い日本の夏に適した「開襟シャツ」が大流行した。
戦後、私が、商社へ入社した昭和30年代前半では、商社マンでも、まだ、外部の人と接する人はマナーとして、ネクタイにスーツ姿であったが、室内での勤務では、開襟シャツを着ていた。私も営業マンだったので、スーツやシャツ、ネクタイなどは、会社のロッカーに置いておき、通勤には、開襟シャツを利用していた。当時、会社には、冷房装置があったものの、当時の冷房では、クーラーの設置してある近くでは、水しぶきが飛んでくるくらいで寒く、少し離れると冷房が効かないといった状態であり、解禁シャツ姿でも真夏にはうだる状態であった。それが、30年代後半からの高度経済成長とともに、冷房設備も完備され、通勤の電車なども冷房化され、いつの間にか、スーツにネクタイが普通になってしまった。しかし、そのため、電車内、事務所内ともに冷房が効きすぎて、冷房病の人さえも現れるようになっていた。政府が主導的にノーネクタイを勧めると民間も後を追うだろう。日本は日本の気候にあった文化を作れば良いのだ。何でもかでも西洋の真似をすればよいのではない。本当に、良いことだと思う。
(画像はコレクションの20世紀デザイン切手第6集より「ハンドバックを持つ女性と開襟シャツの男性」。切手説明:大正末から昭和初期にかけて、洋装が一般的になると、女性の間では「ハンドバック」を持つことが流行し、必需品になっていた。1930(昭和5)年頃に、布製のものだけではなく皮革製のものも登場。又、男性の間では1934(昭和9)年頃、湿度の高い日本の夏に適した「開襟シャツ」が流行した。)
参考:
衣替え(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A3%E6%9B%BF%E3%81%88
大臣お似合いです 霞ヶ関で初のかりゆしウエア販売: 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-2514-storytopic-1.html
衣替えの季節
http://www.mycal.co.jp/saty/3_weekly/0226/