今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

女性雑誌の日

2005-06-27 | 記念日
今日(6月27日)は、「女性雑誌の日」。
1693(元禄6)年に、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディース・マーキュリー』が創刊されたことによるそうだ。
ところで、日本初の女性雑誌はなんだろうとちょっと調べてみたら、それは、どうやら、平塚らいてう、本名平塚明(はる)等が、1911(明治44)年に創刊した『青鞜(せいとう)』のようだ。この頃の女性は、民法他の法律により、家父長制に従属させられ、政治活動も禁止されていたが、その反面この時代には、女子大学や専門学校が増設され、女性の知的水準も向上し、社会に出て働く女性も増えてきた。そして、自分が置かれている立場に不満を抱き、自ら表現の場を求める女性も出てきた。そうした女性だけで作られた雑誌がこの『青鞜』である。
「青鞜」はその名前からして「女らしからぬ」名前であった。18世紀のイギリスのサロンで芸術や化学を論じ女権を声高く唱えた新しい女性達が、黒い靴下が常識とされた当時青い靴下(ブルーストッキング)をはいていた故事に倣ったものである。この創刊の辞に揚げられた平塚らいてうの「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である…」という言葉は、当時の女性たちに大きな衝撃を与えた。
平塚らいちょうは『青鞜』の創刊にあたって与謝野晶子に原稿を依頼したが、「女は男にはかないません」と言われ、ショックを受けたという。しかし、一番最初に原稿を送って来たのはその与謝野晶子であり、平塚を感激させたという。次は『青鞜』創刊にあたって晶子がよせた詩である。
山の動く日きたる、かく云へど、人これを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ、その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。
されど、そは信ぜずともよし、人よ、ああ、唯だこれを信ぜよ、
すべて眠りし女、今ぞ目覚めて動くなる。
与謝野晶子は情熱的な女性であるが、平塚らいちょうも負けてはいない。彼女は「新しい女」と呼ばれて、夏目漱石『三四郎』の美奈子のモデルとも言われており、漱石の弟子・森田草平(もりたそうへい)との雪の塩原逃避行、心中未遂事件で世を騒がせもしている。
『青鞜』は、当初は詩歌が中心の女流文学集団であったが、やがて伊藤野枝が中心になり婦人解放運動に発展していった。
しかし、『青鞜』とそのメンバーは“良妻賢母”を主張する人々の痛烈な批判を浴び、1916(大正5)年に廃刊に追い込まれることになる。
女性による女性のための文学雑誌として登場したのが『青鞜』であるが、では、現在、どんな女性雑誌があるのか又、どんな内容なのかなどは、私は男性でもありよく知らない。私が女性誌を目にするのは、病院や銀行などの待合所に置いている雑誌や週刊誌くらいのものだ。そのような場所に置いてある、雑誌や週刊誌は、時間待ちの為に気軽に読めるものが置かれているせいでもあろうが、旅行か、ファッションか、食べるもののことか、芸能スキャンダル、といった内容であり、殆どは、読むというより、見て流す程度のものが殆ど。それで、ネットで、女性の雑誌をどう見ているかをちょっと、調べてみると、昔と比べて「現在の女性雑誌は、確実に質が落ちている」という意見や、最近は女性誌に限らず、「手間ヒマをはぶいて作った」というように、安易な作りの雑誌が増えているという。これは、別に、女性雑誌だけに限った話ではなく、男性の雑誌も含めてそうなっているのだろう。今では、幅広い読者層を満足させるものとしては、取り上げられるテーマーも決まってくるのだろう。質の高いものにしようと思えば、限られた層をターゲットにした専門誌にならざるを得ないのだろうね。
(画像は、雑誌『青鞜』表紙)
参考:
青鞜社(せいとうしゃ)
http://www.tabiken.com/history/doc/K/K081C100.HTM
書評・『青鞜』を読む
http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/seitoh.html
平塚らいてう(ちょう)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hiratukaraityou.htm
森田草平・平塚らいてう心中未遂 (煤煙事件)
http://www.c20.jp/1908/03baien.html
『person』編集長 林るみさんが問いかける最近、女性誌買ってる?
http://www.ewoman.co.jp/report_db/pages/10_010723_4.html