今日(6月22日)は、「ボーリングの日」
日本ボウリング場協会 が1972(昭和47)年に制定。
日本で最初にボウリングが伝わったのは1861(文久元)年6月22日で、長崎だそうだ。当時長崎で発行された英字新聞"The Nagasaki Shoping List and Advertiser"紙の広告紙面に、社交サロン店主ヘンリーギブソンが新装開店を告知した広告を6月22日付で掲載した記録が残っており、これが日本で最初のボウリング場であるとされている。そのボウリング場は長崎出島の唐人屋敷波止場広馬場に「インターナショナル・ボウリングサロン」が開業、我が国初のボウリングレーン付社交サロンで、場内にはプレーの合間に軽飲食もできるスナックバー風の設備も整っていて、外国人達の社交とレクリェーションの場となっていたようである。そして、当時のボウルは大中小の3種類があり、ピンは9本。指穴はなく抱えるようにして投げていたそうだ。レーンの長さは現在の3分の2程度で、ボウルを投げ、倒れたピンをピンボーイが元の位置に並べ、ボウルを運んで返却したという。
「日本ボウリング史料館」の資料を見ると、 木で出来たボールとピン状のものが、紀元前3000~5000年と思われるエジプトの墳墓から発掘され、ロンドンの博物館に展示されており、ボウリングの原型と思われる柱を倒す遊びは、古代からあったものと推測されている。もともとは農耕儀礼に行われていたようで、中世のヨーロッパでは木柱を邪悪なものとみなしてそれを石を転がして退治する宗教的な儀式から発展し、ボウリングの前身といえる「九柱戯(ナインピンズ。木柱が9本)」が行われていたそうだ。
そのボウリングが、アメリカにに渡り、人々が九柱儀に夢中になり、賭博行為なども行われた為に、19世紀半ばには一部州で禁止令が出されたが、ジョセフ・サムという人が、9ピンでなく10ピンならば禁止令に反しないだろうと考え、現在のようなテンピン・ボウリングが生まれた、と言う説があると言う。
このボウリング、江戸幕府が鎖国政策をとるなど西洋文明を拒み続けてきたこともあり、世界に比べ日本における歴史は浅く、唯一海外の文化を受け入れた長崎出島に幕末の頃やっと、ボウリング場が初開場したわけである。
そして、文明開化の明治時代にはいると、ボウリングも着実に根づいていった。そして、1869(明治2)年4月20日には、神戸・外国人居留地に会員制クラブ「ユニオンクラブ」が誕生している。のちに「神戸クラブ」の名で親しまれたこのクラブにはボウリングレーンの設備があったそうだ。初物の多い神戸だが、ボーリングが出来たのは、日本で2番目と言うことになる。それが、その後、どうなったのかは、知らないが、最近、三宮(雲井通)によく似た名前の「神戸ボウリング倶楽部」が出来ている。あの、古きよきボウリングの魅力を、現代の感性にマッチした形で蘇らせたのだとか。ゲームの後、みんなで愉しめるパーティールームやビリヤード・ダーツコーナーもあるそうだ。我が家から、近ければ行くんだけどな~。
22日は毎月「夫婦の日」でもある。ボーリングは、歳をとった人でも、比較的簡単に出来るスポーツ。夫婦で、出かけてその後、ゆっくり昼食でもとりながらの団欒も良いね~。
そういえば、ボーリングブームの頃には、よく行ったが、その後、長いこと、ボーリングには行っていないな~。
(画像は、三宮東遊園地にあるボーリング発祥の地の碑|)
参考:
日本ボウリング振興協議会
http://www.bowling.or.jp/nbcj/index.html
長崎年表〈江戸時代(11)〉
http://www4.cncm.ne.jp/~makuramoto/01.nenpyo/02-11.e.html
日本ボウリング場協会 が1972(昭和47)年に制定。
日本で最初にボウリングが伝わったのは1861(文久元)年6月22日で、長崎だそうだ。当時長崎で発行された英字新聞"The Nagasaki Shoping List and Advertiser"紙の広告紙面に、社交サロン店主ヘンリーギブソンが新装開店を告知した広告を6月22日付で掲載した記録が残っており、これが日本で最初のボウリング場であるとされている。そのボウリング場は長崎出島の唐人屋敷波止場広馬場に「インターナショナル・ボウリングサロン」が開業、我が国初のボウリングレーン付社交サロンで、場内にはプレーの合間に軽飲食もできるスナックバー風の設備も整っていて、外国人達の社交とレクリェーションの場となっていたようである。そして、当時のボウルは大中小の3種類があり、ピンは9本。指穴はなく抱えるようにして投げていたそうだ。レーンの長さは現在の3分の2程度で、ボウルを投げ、倒れたピンをピンボーイが元の位置に並べ、ボウルを運んで返却したという。
「日本ボウリング史料館」の資料を見ると、 木で出来たボールとピン状のものが、紀元前3000~5000年と思われるエジプトの墳墓から発掘され、ロンドンの博物館に展示されており、ボウリングの原型と思われる柱を倒す遊びは、古代からあったものと推測されている。もともとは農耕儀礼に行われていたようで、中世のヨーロッパでは木柱を邪悪なものとみなしてそれを石を転がして退治する宗教的な儀式から発展し、ボウリングの前身といえる「九柱戯(ナインピンズ。木柱が9本)」が行われていたそうだ。
そのボウリングが、アメリカにに渡り、人々が九柱儀に夢中になり、賭博行為なども行われた為に、19世紀半ばには一部州で禁止令が出されたが、ジョセフ・サムという人が、9ピンでなく10ピンならば禁止令に反しないだろうと考え、現在のようなテンピン・ボウリングが生まれた、と言う説があると言う。
このボウリング、江戸幕府が鎖国政策をとるなど西洋文明を拒み続けてきたこともあり、世界に比べ日本における歴史は浅く、唯一海外の文化を受け入れた長崎出島に幕末の頃やっと、ボウリング場が初開場したわけである。
そして、文明開化の明治時代にはいると、ボウリングも着実に根づいていった。そして、1869(明治2)年4月20日には、神戸・外国人居留地に会員制クラブ「ユニオンクラブ」が誕生している。のちに「神戸クラブ」の名で親しまれたこのクラブにはボウリングレーンの設備があったそうだ。初物の多い神戸だが、ボーリングが出来たのは、日本で2番目と言うことになる。それが、その後、どうなったのかは、知らないが、最近、三宮(雲井通)によく似た名前の「神戸ボウリング倶楽部」が出来ている。あの、古きよきボウリングの魅力を、現代の感性にマッチした形で蘇らせたのだとか。ゲームの後、みんなで愉しめるパーティールームやビリヤード・ダーツコーナーもあるそうだ。我が家から、近ければ行くんだけどな~。
22日は毎月「夫婦の日」でもある。ボーリングは、歳をとった人でも、比較的簡単に出来るスポーツ。夫婦で、出かけてその後、ゆっくり昼食でもとりながらの団欒も良いね~。
そういえば、ボーリングブームの頃には、よく行ったが、その後、長いこと、ボーリングには行っていないな~。
(画像は、三宮東遊園地にあるボーリング発祥の地の碑|)
参考:
日本ボウリング振興協議会
http://www.bowling.or.jp/nbcj/index.html
長崎年表〈江戸時代(11)〉
http://www4.cncm.ne.jp/~makuramoto/01.nenpyo/02-11.e.html