今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

哲学の道・・・「西田幾多郎」の忌日

2005-06-07 | 人物
今日(6月7日)は、「西田幾多郎」の忌日。
1945(昭和20年)年6月7日、 哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)没。別名寸心先生とも言われていたことから、その命日は哲学者や、弟子、彼に私淑する学者などからは「寸心忌」とも呼ばれているらしい。
西田 幾多郎は、1870年5月19日(明治3年4月19日)生まれの日本を代表する哲学者。出身地に石川県・西田幾多郎記念哲学館がある。
私は、彼のことをよく知らないないので、記念哲学館や彼を紹介している本などに書かれていることなどによると、明治時代の学問は、なにもかもが西洋の学問中心で、皆が西洋哲学を輸入し分析する中、彼は、みずからの禅経験とヘーゲル的な哲学観を基礎に、東洋思想と西洋思想をより根本的な地点から融合させようとした。そして、西田哲学・京都学派と呼ばれる独自の哲学を打ち出したそうで、もっとも著名な著書『善の研究』(弘道館、1911年1月)などは、当時のインテリたちを驚かせ、旧制高等学校の生徒にとっての必読書であったという。また、“京都大学に西田幾多郎教授有り”と東京の学生たちが、聴講に赴いたというエピソードまで残っているそうだ。
京都市左京区には「哲学の道」というちょっと洒落た名前の石畳の小道がある。この小道は銀閣寺参道に架かる銀閣寺橋から、南へ琵琶湖疏水の支流に沿って上り、若王子町までの全長 1.8kmの散策路として、市民や観光客らに親しまれている。 疏水べりの道沿いには様々な花が植えられ、特に桜の季節は素晴らしく、大勢の観光客が訪れており、1986(昭和61)年には、「日本の道百選」にも選定されている。
しかし、哲学の道は、戦後ずいぶん荒廃していたそうで、1970(昭和45)年に整備・開通されるまでは、名もないただの道だったとか。ところが、京都市によって取り壊されそうになったとき、地元の人々が一丸となって守り抜いたそうで、京都市がそれに応え、現在の散策路が完成。京大生や哲学者・西田幾多郎らがこの道を思索にふけりながら歩いたことや、ドイツにある「哲学者の道」にちなんで「哲学の道」と名付けられたのだそうだ。しかし土の道だったため、雨の日はぬかるんで歩きにくいのが難点で、京都市が市電廃止で余っていた市電の敷石を地元住民にプレゼントし、今のような石畳と調和した美しい緑のプロムナードが誕生したという。
西田幾多郎は次のような歌を残している。
「人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾はゆくなり」
彼は、生きることが、そのまま思索であるような人であったという。晩年は鎌倉に住み、研究に専念し、1940(昭和15)年に文化勲章を得ている。
(画像は哲学の道)
参考:
石川県・西田幾多郎記念哲学館公式HP
http://www.city.kahoku.ishikawa.jp/nishida-museum/
Kyoto Shimbun 京都を歩こう・哲学の道
http://www.kyoto-np.jp/kp/koto/kyotoaruku/kyo09.html
京都新発見伝:石畳と市電の知られざる関係(大阪ガスHP)
http://wwwe1.osakagas.co.jp/pr/dnkyoto/ha010.htm