今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

日記の日

2005-06-12 | 記念日
今日(6月12日)は、「日記の日」
1942(昭和17)年、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。
アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、オランダのアムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記は、隠れ家に入る少し前の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。
今も残るこの最初の日記には、冒頭にこう記されている・・。
「あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、
なにもかもお話できそうです。どうかわたしのために、
大きな心の支えと慰めになってくださいね。」
1942年年6月12日のこの文面からもわかるように、アンネは自分自身に当てた手紙のように日記を書き続けていく。
1944(昭和19)年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られた。日記は、この日の記述で終わっている。その後、1945(昭和20)年3月31日にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死。15歳の短い生涯を終えた。それは、収容所が開放される1ヶ月前のことであった。彼女が隠れ家で書き続けたこの日記は、自ら冒頭に書いているように、当初は、私的な記録として思春期の少女らしい心のたけをぶちまける場だったが、1944年春からは、いずれ戦争が終わったら、この手記を発表したいと考えるようになり、それまでに書いた日記の書き直しを始める。彼女等が連行された後、《隠れ家》の床に散乱していたこれら2種類の手記は、潜行生活を助けてきたオランダ女性ミープ・ヒースの手で救われ、戦後、強制収用所からただ一人生還した父親のオットーに渡され、オットーは、1946年6月、この手記を当時の社会情勢にあわせて、適宜、縮約・編集して「後ろの家」(邦訳では「光のほかに」後、「アンネの日記)の題で出版した。初版は、わずかに1500部だったというが、たちまち評判を呼んで各国で翻訳本が出版され、のちに、オランダ語で書かれた本でもっとも多くの言語に翻訳された本となった。そして、60年以上たった今日でも世界中の人々に読みつがれ、感動を与え続けている。
当初、この手記が「後ろの家」と題して出版されたのは、オランダは、ナチスドイツの占領下にあり、ユダヤ人への締めつけが日増しに厳しくなって来たため、アンネ一家が急遽、市内の隠れ家に移ったが、この家は、同市プリンセンフラハト263番地、アンネの父オットーの経営する会社の裏側、オランダ独特の建築様式である”後ろの家”にあったためである。この独特の建築様式である”後ろの家”は、外部からは目に付かない仕組みになっていたそうだ。それで、手記のタイトルに隠れ家である「後ろの家」の題がつけられたようである。そして、ついに秘密が発覚して連行され強制収容所で病死したというのだが・・・。
このようにナチスに連行されて犠牲者となった人たちは600万人に及ぶといわれている。また、これらの犠牲者はあの有名なアウシュビッツなどでの毒殺のようにいわれているが、実際には、餓死とか病死(特にチフス)で死んだのだそうである、だから、犠牲者の写真を見ると皆、痩せこけているのだという。毒殺ではなく、連行された人たちは、食事も与えず餓死や病死で死ぬまで放置されていたとすれば、これらの人たちは、毎日がどのような思いであったろうか・・・。又、このような強制収容所はアウシュビッツだけでなく、他に5箇所もあったという。アウシュビッツが有名になったのは、他の殆どすべてがナチスによって完全に破壊、証拠隠滅されたのに対して、そこだけが撤収時に破壊されなかったことによる。また、アウシュビッツも本来の収容所に加えて、ビルケナウ、モノビッツという2ヶ所があり、都合3ヶ所の収容所で構成されていたのだという。本当に惨いことをしたものだ。最近、小泉首相の靖国神社参拝問題から、日本の戦争責任問題がドイツと比較して隣国からとやかく言われているが、日本は、こんな酷いことはしていない。色々と日本側にも、言い分はあるものの、大陸への侵略は事実としてあったのだし、それによって、戦争の結果としての多くの犠牲者が出たことも事実であろう。だからといって、ドイツと比較して語られてはたまったものではない。
(画像は、「アンネの日記」米国版、チラシ)
参考:
回想のアンネ・フランク・ハウス(大越哲仁)
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/ohkoshitetsuji02.html
マイクロライフ :Anne Frank の隠れ家
http://plaza.rakuten.co.jp/wageningen/diary/200505210000/
アウシュビッツ平和博物館
http://www.am-j.or.jp/exhibition/002_auschuwitz.htm


・・・・・・・・・・・・・