今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

朗読の日

2005-06-19 | 記念日
今日(6月19日)は、「朗読の日」
日本朗読文化協会が制定。「ろう(6)ど(十)く(9)」の語呂合せ。
NPO日本朗読文化協会は、「人間の声による朗読」を文化・文芸活動として復権させ、一般参加型の文化事業に育て、社会に認知させる。 既存の枠にとらわれず自由な発想のもとに、教育・人材育成、エンターテイメント、朗読ライブラリーなどのさまざまなプロジェクトを立ち上げ、多岐にわたる朗読活動を支援し、朗読の活性化と振興、地域社会や福祉への貢献を推進することを目的として設立されたそうだ。初代名誉会長は瀬戸内寂聴さん。
現日本朗読文化協会会長の小田久榮門 さんは、「いま、なぜ、朗読か」について、以下のようなことを言っておられる。
現代という時代では、人は映像文化の中に生まれ、育ち、成長する。映像は、空気のように、現代人にとって不可欠の養分、それなしには生きられない最大の文化的栄養素であるという確信があった。しかし、かって、ラジオしかなく、音質の良くないラジオにかじりついて、スピーカーから流れ出す、さまざまな文化的情報をむさぼるように吸収しつつ成長した、そんな時代への回帰現象が、今、起きつつあるのではないかという。それは、昔の方がよかったというのではなく、今の文化的状況は、どこかしら、原点を見失い、座標軸が曖昧になっている。現在の文化的状況は、映像文化をも含めて、全体的に言葉を失った状態が続いている。そして、最近、日本語を見直す本が売れ、朗読に人々の関心が集まっている。それもこれも、失われつつある言葉を恢複したいという、文化の自立的運動なのではなかろうか・・・と。そして、名文を声に出して読み、聞かせることによってコトバの持つ深い力を改めて知ろうと言うのである。
私も、本当にそうだと思う。今の世の中は映像中心の世の中になっており、次第に、良い言葉が失われている。若者言葉に始まる日本語の乱れは、酷いと思う。中には、それも時代の流れなどと悟ったような評論をしている人たちも多いが、良い文章、いい言葉は、心を癒し、健康的にしてくれる。
そういえば、ここ2~3年前より、新聞でも、よく、文学や民話、詩を吹き込んだ朗読CDの広告が掲載されており、よく売れているようだ。静かな「朗読ブーム」が起こっているのではないか。
書物(文章、詩文など)を声を出して読む(音読)。そしてさらに人間の複雑な感情表現を付加して、そこにドラマティックな世界を創る・・・それが「朗読」であるが、この朗読ブームがきっかけとなり、日本人の日常生活の中に朗読が溶け込み、他の人の朗読を聞いたり、他の人に読んで聞かせたりして楽しむことが、映画や演劇・音楽と同じレベルで楽しめる朗読文化が出来ると本当にすばらしいと思う。
そういえば、洋画などでは劇中よく詩の朗読場面がでてくるし、特に、洋画などの劇中劇などで、詩人が舞台に立ち大勢の前で、シェークスピアの一説などを朗々と朗読している場面では、その映画以上の感動を受けたことを思い出す。又、最近、テレビなどで、吉永小百合やその他映画俳優などの朗読シーンを見ることがあるが、プロの俳優達の豊かな表現による朗読には本当に感動させられる。
フランスやイギリス、ロシアなどの国々では朗読が、普通の習慣になっているという。そして、これらの国々では文化として、朗読をとおして国語を大切にする教育が行われているそうだ。日本では、どこかの劇団の駄洒落などは知らない人がいないほど認知されたりしているが、もし、日本に、朗読文化が定着し、素敵な詩や文章の一説が、日常の会話の中で交わされるようになったりすると、どんなに心豊かな社会が実現するだろう。「朗読の日」を機会に、先ずは、自分の家庭で、小さなお子様相手に、楽しい、夢のある「絵本」など感情をこめて読んで聞かせることから始めるのも良いのではないだろうか。若い人なら、愛の詩を彼氏、彼女を相手に朗読してみるのも一興だと思いませんか・・・?
(画像は、朗読力―心に伝わる「ポエトリー・リーディング」 PHPエル新書)
参考:
日本朗読文化協会
http://www.rodoku.org/
音読・朗読・表現読みの学校
ここには、各学年教材もあるよ・・・。
http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/index.html
[PDF] 日本語ブックレット 2002
http://www.kokken.go.jp/katsudo/kanko/nihongo_bt/nihongo-bt.pdf