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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

クレオパトラが毒蛇に胸を噛ませて自殺した日

2007-08-01 | 歴史
BC31年の今日(8月1日 )、クレオパトラが毒蛇に胸を噛ませて自殺。プトレマイオス王朝が滅亡 した。
絶世の美女として有名なあのクレオパトラ(正確には、クレオパトラ7世)は、古代エジプトプトレマイオス朝最後のファラオである。プトレマイオス朝は、アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の死後、部下であったプトレマイオスマケドニア地方出身のギリシア人)が征服し創始した王朝である。プトレマイオス12世アウレテスの次女である彼女は、マケドニア系ギリシャ人の血を引いており、「クレオパトラ」の名はギリシャ語で「父の栄光」を意味している。
古代ローマ時代の歴史家プルタルコスは、クレオパトラ7世を、複数の言語に通じた政治・軍事・外交に長けた高貴で知的な女性として伝えており、中国の楊貴妃と並べ称せられる美女の典型としても有名であり、またその美貌と色香で、古代ローマの有力者カエサル(英語読みではシーザー)やアントニウスなどを次々と籠絡するクレオパトラは、フランスの哲学者パスカルの『パンセ』における「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら(※正確には、短かったら)歴史が変わっていた」と評したことはよく知られている。ただし、これは誤解に基づくものであり夫の浮気に悩んでいたカエサルの妻は、クレオパトラの鼻が高すぎるのを見て、(不美人であるとして)溜飲を下げたとも伝えられる。フランス人にとっては、高い鼻は普通の鼻であって、美人の条件でもないらしい。プルタルコスも容貌については「美貌も若さもオクタウィアに適うものではなかった」と評しているそうだ。彼女は魅力的であったが、それは雰囲気や優雅で穏やかな話し方によるものであったとも言われている。美の基準は人、地域、時代などによって異なることに注意が必要だが、少なくとも同時代人による評価では、絶世の美女ではなかったようだ。 このことは、以前に8月7日「鼻の日」で書いたので参照ください。
クレオパトラ7世は、エジプト王家の伝統に従い、弟プトレマイオス13世と結婚して、共同統治をしていた。
紀元前60年、民衆派として民衆から絶大な支持を誇るカエサル・元軍団総司令官として軍事力を背景に持つポンペイウス・経済力を有するクラッススの3人の実力者がローマの内乱を鎮め、第1回三頭政治を行っていたが、パルティア王国攻略に出ていたクラッススが戦死した後、三頭政治は崩壊し、 元老院派に取り込まれたポンペイウスとカエサルとの対立が顕在化していた。エジプトでは、共同統治に不満を持つプトレマイオス13世がクレオパトラをアレキサンドリアから追放した。そこにポンペイウスを追ってカエサルがやってくる。彼女はさっそくカエサルに取り入り、彼を虜にした。何でも、彼女は自らを絨毯にくるませカエサルへの贈り物として届けさせたという。絨毯に高位の人物への贈り物、つまり賄賂を包むのは、当時のエジプトの風習であったそうだ。この絨毯の中からカエサルの前へ現れるクレオパトラの図はジャン=レオン・ジェロームによって描かれている。(画像参照)
カエサルは女王の側に立ってプトレマイオス13世派を打ち破り、女王の位に復してやるが、その後、クレオパトラの美しさに惹かれたカエサルは、彼女を元老院の反対を押し切ってローマに連れ帰り妻とする。ライバル、ポンペイウスを討って天下を掌握したカエサルは、ついに独裁者となるが、それもつかのま、権力集中に反感を買ったカエサルは暗殺されてしまう。 クレオパトラはカエサルとの間に出来たとされるカエサリオンを連れてエジプトに帰国した。その後、後継は、カエサリオンではなく、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)アントニウスレピドゥスによる第2回三頭政治が成立していた。後継者としてカエサルが選んだのはの養子のオクタウィアヌスであるが、彼には全く軍事的な才能がなく、誰と戦っても負けてばかりいた。そして、人気も実力も、アントニウスの方が遥かに優っていた。オクタヴィアヌスとアントニウスの間に権力闘争が開始されるとクレオパトラはこの前途洋々たるアントニウスを虜にしてしまった。
クレオパトラが登場する作品としては、シェイクスピアの戯曲「アントニーとクレオパトラ 」 が有名。これは、『ジュリアス・シーザー』に次いで古代ローマに題材をとり、恋に身を滅ぼすアントニウスとクレオパトラを描いたもの。
アントニウスはクレオパトラと熱烈な恋愛に陥り、人生を狂わしてしまう。クレオパトラにより骨抜きにされ、まるでエジプト人のように振舞っているアントニウスに失望したローマ市民は、アントニウスとの決戦を望んでいた。前31年、遂に、オクタウィアヌス率いるローマ軍とクレオパトラ・アントニウス連合軍との決戦(アクティウムの海戦)が始まる。この戦いで陸戦を得意とするアントニウスが海戦を主張するクレオパトラに従って戦ったが、勢力伯仲のなか、クレオパトラは戦線を離脱してエジプトに逃亡、アントニウスも部下を置き去りにし彼女の後を追った。敗走の中でクレオパトラ死去の誤報に接したアントニウスは、自殺を図り、瀕死の状態でクレオパトラの元に送られ、息を引き取った。クレオパトラ自らは、オクタウィアヌスに屈することを拒み、墓の中でコブラに胸を噛ませて自殺したと伝えられている。自殺したと日は、アクティウムの海戦の翌年8月1日のことだったという。彼女の死によって、プトレマイオス朝エジプトは滅亡、ローマ領となった。 そして、オクタヴィアヌスは「アウグストゥス」と称し、事実上の初代ローマ皇帝となるのである。
クレオパトラは、何度か映画化されているが、1963(昭和38)年のアメリカ映画「クレオパトラ」が印象に残っている。ハリウッドの黄金時代を象徴する、豪華絢爛なスペクタクル史劇で、クレオパトラを演じていたのは、あの絶世の美人女優エリザベス・テーラ。本当に綺麗だった。彼女は、8度の結婚と7回の離婚(三度目の夫マイク・トッドとは死別)を経験し私生活でも話題に事欠かなかったが、男なら誰でもあんな魅力的な女性の虜になってみたいよね~(^0^)。
この映画『クレオパトラ』を観ると、彼女がいかにシーザーやアントニーといった男どもを虜にして振り回していたかがよくわかるが、アントニーの死を知った彼女は、毒蛇に胸を噛ませて命を落とす!・・・如何にもショッキングだよね。だから画家にとっては興味のある題材であるのだろう多くの画家がこの時の情況を描いている(絵:クレオパトラの死1892 : レジナルド・アーサー画)。
以下に記載の≪ クレオパトラ CLEOPATRA の絵画集 ≫ではクレオパトラの政略的な恋愛から毒蛇による自殺までを画家の描いた絵画によって綴っている。非常に見ごたえがあるので是非御覧になると良い。
≪ クレオパトラ CLEOPATRA の絵画集 ≫
http://www.abaxjp.com/cleopatra/cleopatra.html
(画像は映画「クレオパトラ」のエリザベス・テイラー。 Wikipediaより)
クレオパトラ7世 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%A97%E4%B8%96
ハイパーリンク世界史事典
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/index.html
8月7日「鼻の日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/605edc896c7d5fd8be263006cb3b677e
世界史ノート(古代編)
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/mokuji.html
グイド・カニャッチ-TOPページ
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/cagnacci.html
クレオパトラ~世界を夢みた悲劇の女王の素顔~
http://members.jcom.home.ne.jp/fw190/works/works_13_b.html
ジャン=レオン・ジェローム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0