8月9日は、「はり(鍼)・きゅう(灸)・マッサージの日 」
社団法人全日本鍼灸(しんきゅう)マッサージ師会が、鍼灸マッサージの普及のために制定。(記念日登録平成15年11月4日)。
記念日にあわせて全国各地で無料体験、健康相談などを行っているそうだ。日付は、はり(8)きゅう(9)の語呂合わせから。
冒頭の全日本鍼灸マッサージ師会は、戦後間もない1947(昭和22)年6月、全国の鍼灸マッサージ団体の代表が結集し、本会の前身である「全鍼連」を結成したのが始まり。同年12月20日には、「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」(法律217号)が制定され翌年施行されている。
同法は、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資質を向上し、もって医療及び公衆衛生の普及向上を図ることを目的とする法律である。 1964(昭和39)年には、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律が制定されるが、1970(昭和45)年に、柔道整復師法が単独法となったので、現在の名称となった。
医業類似行為(いぎょうるいじこうい)とは医師の行う医療行為(医業)に類似した行為のことである。本法律の文言上、あん摩マッサージ、指圧、鍼灸、柔道整復等、国家資格を持つ者が施術所において行う行為をいう。あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師は国家資格であり、当該国家資格なしに医業類似行為を行うことは認められていない。医師は、医師法によって医業類似行為を含む医療行為全般を行うことが認められている。柔道整復師は、柔道整復師法によって、医業類似行為である柔道整復を行う事が認められている。他方、カイロプラクティック、整体等では、資格を有するとしても民間資格であって、医業類似行為を行える国家資格ではない(国家資格を持たないという意味で、無資格者とも呼ばれる)ため、医業類似行為を行うことは禁止されている。これら無資格者による医業に類似した行為も含めて医業類似行為と呼称する場合もあるが、この場合、法的には、刑事罰の対象となる無資格診療にあたる。(・詳しくは医業類似行為を参照のこと。 ・無資格者の行う施術については、代替医療一覧を参照のこと。 )
はり(鍼)・きゅう(灸)・マッサージ等の医業類似行為は基本的には、経穴 (けいけつ)の部位にはり師は、鍼を刺し、きゅう師は、艾(もぐさ)などで灸をすえ、あん摩マッサージ指圧師は、指圧をするのが基本的になっている。経穴 とは、「気と血」のエネルギーの通り道である経絡上に点在し、その経絡をつなぐ点のこと。一般的にはツボと呼ばれる。鍼灸で施術することにより様々な作用を表わす。
今日は「はり(鍼)・きゅう(灸)・マッサージの日 」であるが、以下は、テーマーを今日の語呂合わせ「はり(8)ときゅう(9)」(鍼灸)に絞って書くことにう。
鍼灸(しんきゅう)とは、身体の特定の部位に鍼(はり)や灸を用いて皮膚または経絡に刺激を与えることで、病気を直す東洋医学の治療法をいう。診断は、機械や採血を用いず、四診によって行われている。
鍼灸の発生起源は詳しくは分かっていないが、中国の戦国時代には灸はすでに用いられていたようで、馬王堆(まおうたい)から発見された医書(以下参考に記載の「馬王堆医書」参照)は、灸に基づいており、鍼による治療法はない。一方、現存最古の医書『黄帝内経』では鍼治療にもとづいて書かれており、前漢中期頃に灸から鍼への理論的確立がなされたと考えられているそうだ。鍼灸の初期は疼痛部に対する処置であったが、陰陽五行思想と融合し、また経絡学説(経絡学説参照)や臓象学(五臓六腑奇恒の腑参照)などと結びつき、経穴に対して施術を行う形になっていった。鍼灸は湯液や外科手術などと共に医家と呼ばれる人々が行っていた。
日本では、鍼灸は遣隋使や遣唐使の伝来と共に伝わったと言われている。鍼灸の伝来と共に鍼灸は律令制度に取り入れられて針博士が任命され、日本の医療の一部として浸透し始める。平安時代の医家丹波康頼の『医心方』には鍼灸の条文が記載されているが、鍼の使用法については外科的なものばかりであり、現代のような金元明医学(韓医学 参照)の鍼法とは大きく異なり、灸法についても、現在のような経脈(経絡)を意識したツボ(経穴)の使用法ではなく、特効穴(以下参考に記載の【特効穴一覧】参照)的な選穴か、鍼と同じく外科的な使用法であったそうで、日本の鍼灸は室町時代から江戸時代に入って大きく発展したそうだ。御薗夢分斎、打鍼術を発明した息子の御の薗意斎。『鍼道秘訣集』『素問諺解』『難経本義諺解』『十四経発揮和語抄』など中国の文献の解釈本を多く出版した岡本一抱など、この時代は多くの人物を輩出したが、特に杉山和一の功績は大きく、杉山和一の考案した管鍼法は日本の主流の技法となっており、又、盲人であった和一は盲人の鍼灸術修得のため鍼治学問所を設立したそうだ。また、灸は律令制度や仏教と共に日本に伝来したが、江戸時代に「弘法大師が持ち帰った灸法」として新たな流行となり、現在も各地に弘法の灸と呼ばれて伝わっている。鍼とは異なって、『奥の細道』序文にも『三里に灸すゆるより』(序文参照)とあるように、旅路での足の疲れを癒したり、吉田兼好の徒然草148段に「四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば上気の事あり。必ず灸すべし。」とあるように三里に灸をすると、のぼせ(高血圧)を引き下げる(第148段参照)効果があるともいわれ、灸をすることは庶民へ民間療法的側面を強くしながら伝わっていった。
明治時代になると、近代西洋文化の流入に従って、明治政府が西洋医学の導入と共に漢方医学の排斥を進めた。鍼灸もその例に漏れず、明治時代から大正時代にかけて鍼灸は衰退をたどった。昭和に入ってから第二次世界大戦やGHQの統制で鍼灸の存続が危ぶまれたが、医学博士石川日出鶴丸(以下参考の「石川日出鶴丸・参考資料」参照)や全国の鍼灸師の働きにより1947(昭和22)年12月20日身分法として「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布されるに至ったそうだ。
そういえば、第二次世界大戦後のころまでは 、子供などを強く叱る意味の言葉として「灸を据える」「やいとを据える」という言葉があった。言葉通り指頭大の灸を四肢や背部、臀部などに据えて我慢をさせるしつけであるが、私も良くお灸をすえられたものだ。しかし、私の場合は、子供の頃胃腸が弱かったらしい。それで、単に折檻のためだけでは、へその横とか横っ腹にお灸を据えられたらしい。今でも大きなお灸の跡が残っている。今の時代はそんな火傷の跡が残るような熱い灸は鍼灸院でも家庭でもしなくなっているが、この当時のお灸は本当に熱いものものであったし、お灸好きの老人などの中にはその汗を流しながら熱さを我慢して得意になっているものさえいた。このように、昔の熱い「お灸を据える」と言う言葉には、「お仕置き」、あるいは「制裁」という意味の隠喩(いんゆ、メタファー)としても用いられてきた。
1990(平成 2)年頃までは新聞記事などにも、「汚職公務員に厳しいおキュウ」などと書かれたことがあるが、お灸は、東アジアの伝統的な優れた医療であり、こうした意味に使われるのは好ましくないと、日本鍼灸師会が主張し、現在は使われなくなったという。そう言えば、この頃そんな記事を見なくなったよね~。
とかく、この頃は、やれ差別に繋がるとか何とかとととかくうるさい時代になったが、「お灸を据える」と言う言葉にまでとやかく言うとは、少々つまらぬ事へのこだわりが過ぎると思うのだが、その筋の人にはそれが我慢できないのだろう。ここでは、あえて昔の・・・と断った上で一言言わしてもらおう。今の厚生省のお役人や政治資金の使い道の不透明な政治家などには、一度昔の熱い熱いお灸をすえてやりたいね~・・・・と。
(画像は、灸。Wikipediaより)
参考:
灸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B8
社団法人全日本鍼灸マッサージ師会
http://www.zensin.or.jp/
馬王堆医書
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper03/mawangtui.html
馬王堆漢墓
http://tikurikn.hp.infoseek.co.jp/maoutai.html
ようこそ、漢方ワールドへ(^_^)V
http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/index/index.html
経絡学説
http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/theory/keiraku.htm
五臓六腑奇恒の腑
http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/theory/gozo.htm
韓医学 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%8C%BB%E5%AD%A6
【特効穴一覧】鍼灸専門治療院≪喜らく≫
http://www15.ocn.ne.jp/~kiraku88/ki38-2.html
石川日出鶴丸・参考資料(松田鍼灸整骨院HP)
http://www.ztv.ne.jp/w5r37i27/isikawa.html
奥の細道(芭蕉DB)
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuindex.htm
徒然草
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure_index.htm
社団法人全日本鍼灸(しんきゅう)マッサージ師会が、鍼灸マッサージの普及のために制定。(記念日登録平成15年11月4日)。
記念日にあわせて全国各地で無料体験、健康相談などを行っているそうだ。日付は、はり(8)きゅう(9)の語呂合わせから。
冒頭の全日本鍼灸マッサージ師会は、戦後間もない1947(昭和22)年6月、全国の鍼灸マッサージ団体の代表が結集し、本会の前身である「全鍼連」を結成したのが始まり。同年12月20日には、「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」(法律217号)が制定され翌年施行されている。
同法は、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資質を向上し、もって医療及び公衆衛生の普及向上を図ることを目的とする法律である。 1964(昭和39)年には、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律が制定されるが、1970(昭和45)年に、柔道整復師法が単独法となったので、現在の名称となった。
医業類似行為(いぎょうるいじこうい)とは医師の行う医療行為(医業)に類似した行為のことである。本法律の文言上、あん摩マッサージ、指圧、鍼灸、柔道整復等、国家資格を持つ者が施術所において行う行為をいう。あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師は国家資格であり、当該国家資格なしに医業類似行為を行うことは認められていない。医師は、医師法によって医業類似行為を含む医療行為全般を行うことが認められている。柔道整復師は、柔道整復師法によって、医業類似行為である柔道整復を行う事が認められている。他方、カイロプラクティック、整体等では、資格を有するとしても民間資格であって、医業類似行為を行える国家資格ではない(国家資格を持たないという意味で、無資格者とも呼ばれる)ため、医業類似行為を行うことは禁止されている。これら無資格者による医業に類似した行為も含めて医業類似行為と呼称する場合もあるが、この場合、法的には、刑事罰の対象となる無資格診療にあたる。(・詳しくは医業類似行為を参照のこと。 ・無資格者の行う施術については、代替医療一覧を参照のこと。 )
はり(鍼)・きゅう(灸)・マッサージ等の医業類似行為は基本的には、経穴 (けいけつ)の部位にはり師は、鍼を刺し、きゅう師は、艾(もぐさ)などで灸をすえ、あん摩マッサージ指圧師は、指圧をするのが基本的になっている。経穴 とは、「気と血」のエネルギーの通り道である経絡上に点在し、その経絡をつなぐ点のこと。一般的にはツボと呼ばれる。鍼灸で施術することにより様々な作用を表わす。
今日は「はり(鍼)・きゅう(灸)・マッサージの日 」であるが、以下は、テーマーを今日の語呂合わせ「はり(8)ときゅう(9)」(鍼灸)に絞って書くことにう。
鍼灸(しんきゅう)とは、身体の特定の部位に鍼(はり)や灸を用いて皮膚または経絡に刺激を与えることで、病気を直す東洋医学の治療法をいう。診断は、機械や採血を用いず、四診によって行われている。
鍼灸の発生起源は詳しくは分かっていないが、中国の戦国時代には灸はすでに用いられていたようで、馬王堆(まおうたい)から発見された医書(以下参考に記載の「馬王堆医書」参照)は、灸に基づいており、鍼による治療法はない。一方、現存最古の医書『黄帝内経』では鍼治療にもとづいて書かれており、前漢中期頃に灸から鍼への理論的確立がなされたと考えられているそうだ。鍼灸の初期は疼痛部に対する処置であったが、陰陽五行思想と融合し、また経絡学説(経絡学説参照)や臓象学(五臓六腑奇恒の腑参照)などと結びつき、経穴に対して施術を行う形になっていった。鍼灸は湯液や外科手術などと共に医家と呼ばれる人々が行っていた。
日本では、鍼灸は遣隋使や遣唐使の伝来と共に伝わったと言われている。鍼灸の伝来と共に鍼灸は律令制度に取り入れられて針博士が任命され、日本の医療の一部として浸透し始める。平安時代の医家丹波康頼の『医心方』には鍼灸の条文が記載されているが、鍼の使用法については外科的なものばかりであり、現代のような金元明医学(韓医学 参照)の鍼法とは大きく異なり、灸法についても、現在のような経脈(経絡)を意識したツボ(経穴)の使用法ではなく、特効穴(以下参考に記載の【特効穴一覧】参照)的な選穴か、鍼と同じく外科的な使用法であったそうで、日本の鍼灸は室町時代から江戸時代に入って大きく発展したそうだ。御薗夢分斎、打鍼術を発明した息子の御の薗意斎。『鍼道秘訣集』『素問諺解』『難経本義諺解』『十四経発揮和語抄』など中国の文献の解釈本を多く出版した岡本一抱など、この時代は多くの人物を輩出したが、特に杉山和一の功績は大きく、杉山和一の考案した管鍼法は日本の主流の技法となっており、又、盲人であった和一は盲人の鍼灸術修得のため鍼治学問所を設立したそうだ。また、灸は律令制度や仏教と共に日本に伝来したが、江戸時代に「弘法大師が持ち帰った灸法」として新たな流行となり、現在も各地に弘法の灸と呼ばれて伝わっている。鍼とは異なって、『奥の細道』序文にも『三里に灸すゆるより』(序文参照)とあるように、旅路での足の疲れを癒したり、吉田兼好の徒然草148段に「四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば上気の事あり。必ず灸すべし。」とあるように三里に灸をすると、のぼせ(高血圧)を引き下げる(第148段参照)効果があるともいわれ、灸をすることは庶民へ民間療法的側面を強くしながら伝わっていった。
明治時代になると、近代西洋文化の流入に従って、明治政府が西洋医学の導入と共に漢方医学の排斥を進めた。鍼灸もその例に漏れず、明治時代から大正時代にかけて鍼灸は衰退をたどった。昭和に入ってから第二次世界大戦やGHQの統制で鍼灸の存続が危ぶまれたが、医学博士石川日出鶴丸(以下参考の「石川日出鶴丸・参考資料」参照)や全国の鍼灸師の働きにより1947(昭和22)年12月20日身分法として「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布されるに至ったそうだ。
そういえば、第二次世界大戦後のころまでは 、子供などを強く叱る意味の言葉として「灸を据える」「やいとを据える」という言葉があった。言葉通り指頭大の灸を四肢や背部、臀部などに据えて我慢をさせるしつけであるが、私も良くお灸をすえられたものだ。しかし、私の場合は、子供の頃胃腸が弱かったらしい。それで、単に折檻のためだけでは、へその横とか横っ腹にお灸を据えられたらしい。今でも大きなお灸の跡が残っている。今の時代はそんな火傷の跡が残るような熱い灸は鍼灸院でも家庭でもしなくなっているが、この当時のお灸は本当に熱いものものであったし、お灸好きの老人などの中にはその汗を流しながら熱さを我慢して得意になっているものさえいた。このように、昔の熱い「お灸を据える」と言う言葉には、「お仕置き」、あるいは「制裁」という意味の隠喩(いんゆ、メタファー)としても用いられてきた。
1990(平成 2)年頃までは新聞記事などにも、「汚職公務員に厳しいおキュウ」などと書かれたことがあるが、お灸は、東アジアの伝統的な優れた医療であり、こうした意味に使われるのは好ましくないと、日本鍼灸師会が主張し、現在は使われなくなったという。そう言えば、この頃そんな記事を見なくなったよね~。
とかく、この頃は、やれ差別に繋がるとか何とかとととかくうるさい時代になったが、「お灸を据える」と言う言葉にまでとやかく言うとは、少々つまらぬ事へのこだわりが過ぎると思うのだが、その筋の人にはそれが我慢できないのだろう。ここでは、あえて昔の・・・と断った上で一言言わしてもらおう。今の厚生省のお役人や政治資金の使い道の不透明な政治家などには、一度昔の熱い熱いお灸をすえてやりたいね~・・・・と。
(画像は、灸。Wikipediaより)
参考:
灸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B8
社団法人全日本鍼灸マッサージ師会
http://www.zensin.or.jp/
馬王堆医書
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper03/mawangtui.html
馬王堆漢墓
http://tikurikn.hp.infoseek.co.jp/maoutai.html
ようこそ、漢方ワールドへ(^_^)V
http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/index/index.html
経絡学説
http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/theory/keiraku.htm
五臓六腑奇恒の腑
http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/theory/gozo.htm
韓医学 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%8C%BB%E5%AD%A6
【特効穴一覧】鍼灸専門治療院≪喜らく≫
http://www15.ocn.ne.jp/~kiraku88/ki38-2.html
石川日出鶴丸・参考資料(松田鍼灸整骨院HP)
http://www.ztv.ne.jp/w5r37i27/isikawa.html
奥の細道(芭蕉DB)
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuindex.htm
徒然草
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure_index.htm