今日(8月24日)は、「ラグビーの日」
ラグビー (Rugby) は、フットボールの一種であり、正式にはラグビー・フットボール (Rugby football) と呼ばれる。1823(文政6)年の今日(8月24日)、イングランドのパブリックスクール・ラグビー校 (Rugby School) で開かれたフットボールの試合中に、興奮した生徒・ウィリアム・エリスがルールを無視してボールを抱えて相手チームのゴールへ突進した。これがラグビーの発祥であるとされていることから、この日を「ラグビーの日」としていたようだ。
しかし、今では、このラグビーの起源説は、日本では「フットボールの試合中」というところを「サッカーの試合中」と誤訳したことからきたものだと言われている。当時、英国では一般的に「フットボール」(football)という言葉はサッカーを表すので、英語の文献で“Football”となっているところを、翻訳者が「サッカー」と誤訳したのだろう。因みに、辞書を見ても、英語の「Football Association 」は 「(the ~) サッカー協会 (略FA)」、「Football League」は「サッカー連盟」となっている。
当時はまだサッカーとラグビーは未分化であったので、正確には「サッカー」ではなく「フットボール」か「原始フットボール」となるべきものであった。この「原始フットボール」とは中世イングランドに起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って町と町の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。
この原始的な「フットボール」がどんなものであったかは、以下参考に記載の「教えて!goo フットボールの起源」を参照されるとよい。
エリス少年自体は実在の人物で、オックスフォード大学を卒業して神父となり、フランスで没したことが確認されており、ラグビーの発明者として扱われている。
だが、フットボールでは手を使うこと自体はそれ以前でも許されていたものであり、当時のルールではボールを持って後ろに走るか、ボールをプレースする(味方に蹴ってもらう)かしても前に走ることは禁じられていることが多かったようだ。兎に角、当時のフットボールには明文化された公式のルールというものはなく、それぞれの学校や主催団体ごとにある程度独自にルールを定めることが通例化していたようであり、エリス少年が、フットボールの試合中にボールを手で持って走り出したという話が「ランニングイン」だとしたら、ルールに反したことになるようだが、そのような事実であったとしても、それは、エリス少年の所属していたラグビー校が独自に定めたルールに基づいてプレーしていたものかもしれない?ので、あながち、ルール違反ともいえないのかもしれないよね~。この当時フットボールは学校毎にルールが異なり、他校との試合の際はその都度ルール調整をしなければならなかった。そのため、しばしばルール統一を目指した協議が行われていた。こうして1850年代までにはイートン・カレッジを中心とする「手を使うことを禁止するルール」と、ラグビー・スクールを中心とする「手を使うことを許可するルール」との二大勢力に収束していったが、両者の間には依然として大きな隔たりがあった。1863(文久2)年、長きにわたる対立を解消しようと、ロンドンで最終的なルール統一を目指した協議が開催されたが、この協議も物別れに終わり、遂に2つの競技(サッカーとラグビー)の決別が図られた。そして、同年に、「手を使う事を禁止する」ルールを主張していたパブリックスクールの代表者らによって、フットボール・アソシエーション( Football Association =FA)が設立された。
また、1871(明治 4)年、サッカーのFAに対抗して、ロンドンでラグビー協会(RFU:ラグビー・フットボール・ユニオン)が設立された。
日本で「ラグビー」といわれるものはラグビーユニオンであり、1899(明治32)、慶応義塾大学の英語教師として新任したイギリス人、E.B.クラーク(Edward Bramwell Clarke)がケンブリッジ大学で自ら体験したラグビーを、同じく同大学で学んだ田中銀之助の協力のもとに塾生に伝えたのが最初だと言われている。以来日本のラグビーは同志社大学、早稲田大学、明治大学など大学ラグビーの伝統校によって発展してきた。他の球技スポーツと異なる最大の特徴は、守る側は自分の体をぶつけて相手の進行を防ぎ、体当たりをして相手を引き倒すこともできる点にある。
日本へのサッカーの伝来は、1872(明治 5)神戸市の外国人居留地で行われた試合が最初とされる。この後も神戸、横浜を中心とした外国との交易港のある街ではイギリス人を中心とする外国人によるサッカークラブが創設され、サッカーが行われていた。1870年代末になってようやく富国強兵の一環として国民の健康な身体の維持、軍事教練の一環として「体育」、「体操」という概念で見られるようになった。この時、体育伝習所の坪井玄道は1885(明治28)年に著した『戸外遊戯法』の中でアソシエーション式フットボールを「フートボール」として紹介している。
最初の日本人のチームは、1889(明治22)年、神戸市の兵庫県尋常師範学校(後の御影師範学校、現在の神戸大学)にサッカーチームが創設された。日本で最初の日本人だけのチームである。 関東地方では、1896(明治29)年には高等師範学校(1902年東京高等師範学校に改称、現在の筑波大学、以下東京高師とする)に「フートボール部」が創設された。
ラグビーが1899(明治32)年、慶応義塾大学に紹介されて依頼、伝統のスポーツとして広まった割りには、それよりも早くサッカーが日本の学校に伝えられながら、なぜラグビーほどに広く伝わらなかったのだろうか。そこには、ラグビーが最初からスポーツとして伝えられたのに対して、サッカーは「フートボール」として紹介され、漢字としては「蹴球」などが当てられている。これは、蹴鞠からヒントを得ているが、実際サッカーが日本にもたらされた当初は、このスポーツは西洋人が行う蹴鞠の一種であるとみなされていたようだ。(以下参考に記載の「日本サッカー・ブックガイド - 明治・大正・昭和戦前期、、また、中島敦「斗南先生」〔青空文庫 〕参照)サッカーという呼び方は、新しく、文献上では1930(昭和 5)年代ごろからやっと確認できるようになるという。このことからやっとスポーツとしての認識が出てくるのではないだろうか。
日本では野球と共にラグビーの盛んな時代が続いたが、プロフェッショナルリーグとしてJリーグ誕生以来、最もスポーツらしいスポーツと言えるかもしれないラグビーの人気に翳りが出始めたのは残念なことだ。
(画像は、ラグビーの試合中、スクラムを組んでいるところ。Wikipediaより)
ラグビー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%93%E3%83%BC
日本ラグビーフットボール協会
http://www.rugby-japan.jp/
Oval Aerie Rugby!
http://members2.jcom.home.ne.jp/ovalaerie/rug_top.html
[PDF] ウィリアム・ウェッブ・エリス神話と『ラグビー・フットボールの起源 ...
http://www.taiiku.tsukuba.ac.jp/inst-hss/bulletin_pdf/30/003.pdf
教えて!goo フットボールの起源
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3025495.html
RugbyEye 日本ラグビー年表
http://rugby.m78.com/data/history.html
日本のサッカー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC
「日本サッカー・ブックガイド - 明治・大正・昭和戦前期
http://fukuju3.hp.infoseek.co.jp/book1.htm
中島敦「斗南先生」(青空文庫 )
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1741_17364.html
ラグビー (Rugby) は、フットボールの一種であり、正式にはラグビー・フットボール (Rugby football) と呼ばれる。1823(文政6)年の今日(8月24日)、イングランドのパブリックスクール・ラグビー校 (Rugby School) で開かれたフットボールの試合中に、興奮した生徒・ウィリアム・エリスがルールを無視してボールを抱えて相手チームのゴールへ突進した。これがラグビーの発祥であるとされていることから、この日を「ラグビーの日」としていたようだ。
しかし、今では、このラグビーの起源説は、日本では「フットボールの試合中」というところを「サッカーの試合中」と誤訳したことからきたものだと言われている。当時、英国では一般的に「フットボール」(football)という言葉はサッカーを表すので、英語の文献で“Football”となっているところを、翻訳者が「サッカー」と誤訳したのだろう。因みに、辞書を見ても、英語の「Football Association 」は 「(the ~) サッカー協会 (略FA)」、「Football League」は「サッカー連盟」となっている。
当時はまだサッカーとラグビーは未分化であったので、正確には「サッカー」ではなく「フットボール」か「原始フットボール」となるべきものであった。この「原始フットボール」とは中世イングランドに起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って町と町の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。
この原始的な「フットボール」がどんなものであったかは、以下参考に記載の「教えて!goo フットボールの起源」を参照されるとよい。
エリス少年自体は実在の人物で、オックスフォード大学を卒業して神父となり、フランスで没したことが確認されており、ラグビーの発明者として扱われている。
だが、フットボールでは手を使うこと自体はそれ以前でも許されていたものであり、当時のルールではボールを持って後ろに走るか、ボールをプレースする(味方に蹴ってもらう)かしても前に走ることは禁じられていることが多かったようだ。兎に角、当時のフットボールには明文化された公式のルールというものはなく、それぞれの学校や主催団体ごとにある程度独自にルールを定めることが通例化していたようであり、エリス少年が、フットボールの試合中にボールを手で持って走り出したという話が「ランニングイン」だとしたら、ルールに反したことになるようだが、そのような事実であったとしても、それは、エリス少年の所属していたラグビー校が独自に定めたルールに基づいてプレーしていたものかもしれない?ので、あながち、ルール違反ともいえないのかもしれないよね~。この当時フットボールは学校毎にルールが異なり、他校との試合の際はその都度ルール調整をしなければならなかった。そのため、しばしばルール統一を目指した協議が行われていた。こうして1850年代までにはイートン・カレッジを中心とする「手を使うことを禁止するルール」と、ラグビー・スクールを中心とする「手を使うことを許可するルール」との二大勢力に収束していったが、両者の間には依然として大きな隔たりがあった。1863(文久2)年、長きにわたる対立を解消しようと、ロンドンで最終的なルール統一を目指した協議が開催されたが、この協議も物別れに終わり、遂に2つの競技(サッカーとラグビー)の決別が図られた。そして、同年に、「手を使う事を禁止する」ルールを主張していたパブリックスクールの代表者らによって、フットボール・アソシエーション( Football Association =FA)が設立された。
また、1871(明治 4)年、サッカーのFAに対抗して、ロンドンでラグビー協会(RFU:ラグビー・フットボール・ユニオン)が設立された。
日本で「ラグビー」といわれるものはラグビーユニオンであり、1899(明治32)、慶応義塾大学の英語教師として新任したイギリス人、E.B.クラーク(Edward Bramwell Clarke)がケンブリッジ大学で自ら体験したラグビーを、同じく同大学で学んだ田中銀之助の協力のもとに塾生に伝えたのが最初だと言われている。以来日本のラグビーは同志社大学、早稲田大学、明治大学など大学ラグビーの伝統校によって発展してきた。他の球技スポーツと異なる最大の特徴は、守る側は自分の体をぶつけて相手の進行を防ぎ、体当たりをして相手を引き倒すこともできる点にある。
日本へのサッカーの伝来は、1872(明治 5)神戸市の外国人居留地で行われた試合が最初とされる。この後も神戸、横浜を中心とした外国との交易港のある街ではイギリス人を中心とする外国人によるサッカークラブが創設され、サッカーが行われていた。1870年代末になってようやく富国強兵の一環として国民の健康な身体の維持、軍事教練の一環として「体育」、「体操」という概念で見られるようになった。この時、体育伝習所の坪井玄道は1885(明治28)年に著した『戸外遊戯法』の中でアソシエーション式フットボールを「フートボール」として紹介している。
最初の日本人のチームは、1889(明治22)年、神戸市の兵庫県尋常師範学校(後の御影師範学校、現在の神戸大学)にサッカーチームが創設された。日本で最初の日本人だけのチームである。 関東地方では、1896(明治29)年には高等師範学校(1902年東京高等師範学校に改称、現在の筑波大学、以下東京高師とする)に「フートボール部」が創設された。
ラグビーが1899(明治32)年、慶応義塾大学に紹介されて依頼、伝統のスポーツとして広まった割りには、それよりも早くサッカーが日本の学校に伝えられながら、なぜラグビーほどに広く伝わらなかったのだろうか。そこには、ラグビーが最初からスポーツとして伝えられたのに対して、サッカーは「フートボール」として紹介され、漢字としては「蹴球」などが当てられている。これは、蹴鞠からヒントを得ているが、実際サッカーが日本にもたらされた当初は、このスポーツは西洋人が行う蹴鞠の一種であるとみなされていたようだ。(以下参考に記載の「日本サッカー・ブックガイド - 明治・大正・昭和戦前期、、また、中島敦「斗南先生」〔青空文庫 〕参照)サッカーという呼び方は、新しく、文献上では1930(昭和 5)年代ごろからやっと確認できるようになるという。このことからやっとスポーツとしての認識が出てくるのではないだろうか。
日本では野球と共にラグビーの盛んな時代が続いたが、プロフェッショナルリーグとしてJリーグ誕生以来、最もスポーツらしいスポーツと言えるかもしれないラグビーの人気に翳りが出始めたのは残念なことだ。
(画像は、ラグビーの試合中、スクラムを組んでいるところ。Wikipediaより)
ラグビー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%93%E3%83%BC
日本ラグビーフットボール協会
http://www.rugby-japan.jp/
Oval Aerie Rugby!
http://members2.jcom.home.ne.jp/ovalaerie/rug_top.html
[PDF] ウィリアム・ウェッブ・エリス神話と『ラグビー・フットボールの起源 ...
http://www.taiiku.tsukuba.ac.jp/inst-hss/bulletin_pdf/30/003.pdf
教えて!goo フットボールの起源
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3025495.html
RugbyEye 日本ラグビー年表
http://rugby.m78.com/data/history.html
日本のサッカー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC
「日本サッカー・ブックガイド - 明治・大正・昭和戦前期
http://fukuju3.hp.infoseek.co.jp/book1.htm
中島敦「斗南先生」(青空文庫 )
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1741_17364.html