今日(8月6日)は、「太陽熱発電の日 」
1981(昭和56)年の今日(8月6日)、香川県三豊郡仁尾町の電源開発・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の太陽熱発電が行われ1000キロワットの発電に成功した。 しかし、この場所は日照量が少なく、最大出力が2000kWと、実用になる程度の大規模な発電ができなかったため、この発電所での実験は1985(昭和60)年に中止されたそうだ。
通商産業省に1948(昭和23)年設置された工業技術庁は1952(昭和27)年に工業技術院と改称され、多くの技術開発を進める中で、原子力関連の研究を実施。同工業技術院では、新エネルギー技術については1974(昭和49)年に「サンシャイン計画」を、省エネルギー技術については1978(昭和53)年に「ムーンライト計画」をそれぞれ発足させ、産官学の連携の下、長期的な視点の下にエネルギー関連技術の研究開発を推進してきた。1981(昭和56)年8月5日世界初の太陽熱発電がおこなわれた仁尾太陽熱試験発電所もこの「サンシャイン計画」の実験施設の1つである。
太陽エネルギーの利用に関する研究は、1955(昭和30)年の国際太陽エネルギー利用の国際会議が出発点であり、資源問題でエネルギーと言う言葉が使われだしたのもこの頃からであろう。
太陽は約 46 億年以上にもわたり光り輝いてきた巨大な天然の 核融合炉といえる。太陽では、わずか 1 秒間の間に全人類が1年間に使うエネルギーの 100 万倍もの核融合エネルギーが生まれている。
核融合反応により解放されるエネルギーが太陽や恒星のエネルギーの源であることを最初に予言したのは、ドイツ生まれのハンス・ベーテであり1939(昭和14)年のことであった(それは 原子爆弾の最初の概略を説明したものであった)。
核融合炉開発への取り組み核融合開発は 1940 年代に始まり、はじめは米、英、ソ連などで秘密裏に行われていた。そして、核融合反応が実際に起こることが実験室で検証されると、原子力は第二次世界大戦中に軍事利用のために研究が始められ、米国のマンハッタン計画によって最初の原子爆弾が製造され、これが1945年に日本の広島 ・長崎で、人類による最初の原子力の実用化となった。しかし、戦時中には我が国も原子力の研究はしていたようである。
第二次世界大戦終結後の1947(昭和22) 年、極東委員会は、日本の原子力分野における研究および活動の禁止を決定 した。そして、第2次世界大戦終結後原子力の商業的利用に対する関心の増大とともに、核兵器の拡散に対する懸念が強まり、原子力は国際的に管理すべきであるとの考えが広まり、1953(昭和28)年の国連総会における米国大統領による演説「アトムス・フォア・ピース(Atoms for Peace」を受けて、「原子力の平和利用」を目的として、国際原子力機関(IAEA)が、1957(昭和32)年に永久中立国であるオーストリアの首都ウイーンに設立された。そのような中で、日本の原子力関係の取り組みを見ていくと、1949(昭和24)年 1月 日本学術会議発足 。
1951(昭和26)年 5月1日、日本放射性同位元素協会設立 。1953(昭和28)年1月16日原子力問題検討のために委員会(第39委員会)第1回会合 。
1954年3月3日、昭和29年度追加予算として2億5,000万円の原子力予算を提出(3/4衆院通過)。同年04月3日、日本学術会議、核兵器研究の拒否と、原子力研究に関する自主、民主、公開の3原則を声明 。5月11日、 内閣の諮問機関、原子力利用準備調査会発足(第39委員会解消)。6月27日 ソ連で世界初の原子力発電所運転開始 。8月3日、 米、原子力法を改正、平和利用への途を開く。12月25日、日本最初の海外原子力調査団出発 。
1955(昭和30) 年の国際太陽エネルギー利用の国際会議が開かれた年の1月11日には 米国は、濃縮ウランの供与など対日原子力研究援助の意志を表示 。4月29日 経済団体連合会、原子力平和利用懇談会を設置 。6月18日 電力経済研究所、原子力平和利用調査会をつくる(のちに日本原子力産業会議に統合) 7月1日 東大原子核研究所設立 。11月14日、 日米原子力研究協定調印(12/16成立)。 12月19日、 原子力3法(原子力基本法、原子力委員会設置法、総理府設置法 一部改正一原子力局の設置)公布(1956/1/1施行)。 1956(昭和31)年 1月1 日。原子力委員会発足、 総理府原子力局設置 。そして、1957(昭和32)年8月27日、日本で最初の原子炉JJR-1が東海村に運転を開始した。(以下参考に記載の「電気事連合会・日本の原子力・原子力への取り組み 原子力年表」参照)。日本の原子力への対応は非常に早いと言える。
石油や石炭のような化石燃料に代わる代替エネルギーを最も効率よく得る手段として、米国が原子炉で発電実験を行ったのは、1951(昭和26)年であるが、英国が3年後の1954(昭和39)年に最初の商用の原子力発電を開始して原子力の平和利用が始まった。日本は1966(昭和41)年に東海発電所において原子力発電が開始された。エネルギー自給率の低い日本は増大する国内エネルギー需要をまかなうためにも、原子力発電は欠かせないものとなっており、1973(昭和48)年には日本の発電は約73%が石油に依存していたが、2004(平成16)年は原子力が28%になり、石油は10%だけとなっている。その他が石炭やLNG(液化石油ガス)、再生可能エネルギーや新エネルギーなどによっている。このように、原子力発電は重要な位置を占めている。しかし、核反応を利用する以上、運転に伴う放射線や放射能、放射性廃棄物の発生が避けられず、発生した放射線はその強度によっては人体に限らず生物にとって有害であるため、その扱いに関しては技術的側面に困難さがある。現行技術では一定の安全性があるものの、一度問題が起きれば原子力事故として社会問題として扱われるなど運用の難しさがある。(#運用の難しさ参照)
現に、地震大国日本では、この7月16日に発生した新潟県中越沖地震に伴い、東京電力柏崎刈羽原子力発電所は建物などに多くの被害を受け、使用済み核燃料を貯蔵している全7基のプールから放射性物質を含む水漏れが確認されているなどその安全性に問題があるとして操業停止となっている。
その点、太陽エネルギーは、石油や石炭のような化石燃料とは違って、使っても減らないので、太陽がある限り、手に入る恒久的エネルギーであり、さらにクリーンである。化石燃料や原子力で発電するとそれに伴って二酸化炭素を排出による大気汚染や放射性廃棄物、さらに地球温暖化現象などの問題に直面するが、太陽エネルギーにはそのような心配もいらない。そのようなことから、石油ショック以降、「サンシャインプロジェクト」等によって太陽エネルギーの利用を考えてきたが、太陽のエネルギーを直接利用する方法は基本的に「太陽光発電方式」と「太陽熱発電方式」がある。その「太陽熱発電方式」が効率が悪いというので、主として、近年は「太陽光発電」システムの技術開発を中心に進められて来た。
ところが、東北大学大学院環境科学研究科の齋藤武雄教授らの研究チームが、「太陽光発電の2倍の効率」の「太陽熱発電」を実現したと、2004(平成16)年8月に発表したことから、最近は、また「太陽熱発電」が注目を集めているのだという。私は、このような分野のことはよく判らないのだが、タービンの形に改良を加え、高効率のシステムを作ることに成功し、小型化しても効率が落ちないので自動車エンジンや家庭用の小型発電機など幅広い用途で実用化が期待されているそうだ。
人間がこの地球上で活動を行なうには、食料とならび、エネルギー資源の確保が重要である。現在主力となっているエネルギー資源は、いずれは枯渇する有限の資源である。また環境への影響から石油資源利用の継続に、またその管理の難しさなどから原子力の利用の継続に一部懸念があり、新エネルギーの開発は重要な課題である。新エネルギーの開発は費用や効率面で、原子力発電に変わるエネルギー供給源になるまでにはまだ、相当時間を要することであろうが、危険と隣合わせの原子力発電に何時までも、頼らないでもやってゆけるように早くなって欲しいものだね。
今日、広島は被爆から62年となる「原爆の日」を迎えている。世界では今、北朝鮮までもが核を保有している。世界で唯一の被爆国日本は、もっと核廃絶問題に真剣に取り組んでゆかねばならないだろう。
(画像は、東海村、日本原子力研究所全景。1957年。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
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1981(昭和56)年の今日(8月6日)、香川県三豊郡仁尾町の電源開発・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の太陽熱発電が行われ1000キロワットの発電に成功した。 しかし、この場所は日照量が少なく、最大出力が2000kWと、実用になる程度の大規模な発電ができなかったため、この発電所での実験は1985(昭和60)年に中止されたそうだ。
通商産業省に1948(昭和23)年設置された工業技術庁は1952(昭和27)年に工業技術院と改称され、多くの技術開発を進める中で、原子力関連の研究を実施。同工業技術院では、新エネルギー技術については1974(昭和49)年に「サンシャイン計画」を、省エネルギー技術については1978(昭和53)年に「ムーンライト計画」をそれぞれ発足させ、産官学の連携の下、長期的な視点の下にエネルギー関連技術の研究開発を推進してきた。1981(昭和56)年8月5日世界初の太陽熱発電がおこなわれた仁尾太陽熱試験発電所もこの「サンシャイン計画」の実験施設の1つである。
太陽エネルギーの利用に関する研究は、1955(昭和30)年の国際太陽エネルギー利用の国際会議が出発点であり、資源問題でエネルギーと言う言葉が使われだしたのもこの頃からであろう。
太陽は約 46 億年以上にもわたり光り輝いてきた巨大な天然の 核融合炉といえる。太陽では、わずか 1 秒間の間に全人類が1年間に使うエネルギーの 100 万倍もの核融合エネルギーが生まれている。
核融合反応により解放されるエネルギーが太陽や恒星のエネルギーの源であることを最初に予言したのは、ドイツ生まれのハンス・ベーテであり1939(昭和14)年のことであった(それは 原子爆弾の最初の概略を説明したものであった)。
核融合炉開発への取り組み核融合開発は 1940 年代に始まり、はじめは米、英、ソ連などで秘密裏に行われていた。そして、核融合反応が実際に起こることが実験室で検証されると、原子力は第二次世界大戦中に軍事利用のために研究が始められ、米国のマンハッタン計画によって最初の原子爆弾が製造され、これが1945年に日本の広島 ・長崎で、人類による最初の原子力の実用化となった。しかし、戦時中には我が国も原子力の研究はしていたようである。
第二次世界大戦終結後の1947(昭和22) 年、極東委員会は、日本の原子力分野における研究および活動の禁止を決定 した。そして、第2次世界大戦終結後原子力の商業的利用に対する関心の増大とともに、核兵器の拡散に対する懸念が強まり、原子力は国際的に管理すべきであるとの考えが広まり、1953(昭和28)年の国連総会における米国大統領による演説「アトムス・フォア・ピース(Atoms for Peace」を受けて、「原子力の平和利用」を目的として、国際原子力機関(IAEA)が、1957(昭和32)年に永久中立国であるオーストリアの首都ウイーンに設立された。そのような中で、日本の原子力関係の取り組みを見ていくと、1949(昭和24)年 1月 日本学術会議発足 。
1951(昭和26)年 5月1日、日本放射性同位元素協会設立 。1953(昭和28)年1月16日原子力問題検討のために委員会(第39委員会)第1回会合 。
1954年3月3日、昭和29年度追加予算として2億5,000万円の原子力予算を提出(3/4衆院通過)。同年04月3日、日本学術会議、核兵器研究の拒否と、原子力研究に関する自主、民主、公開の3原則を声明 。5月11日、 内閣の諮問機関、原子力利用準備調査会発足(第39委員会解消)。6月27日 ソ連で世界初の原子力発電所運転開始 。8月3日、 米、原子力法を改正、平和利用への途を開く。12月25日、日本最初の海外原子力調査団出発 。
1955(昭和30) 年の国際太陽エネルギー利用の国際会議が開かれた年の1月11日には 米国は、濃縮ウランの供与など対日原子力研究援助の意志を表示 。4月29日 経済団体連合会、原子力平和利用懇談会を設置 。6月18日 電力経済研究所、原子力平和利用調査会をつくる(のちに日本原子力産業会議に統合) 7月1日 東大原子核研究所設立 。11月14日、 日米原子力研究協定調印(12/16成立)。 12月19日、 原子力3法(原子力基本法、原子力委員会設置法、総理府設置法 一部改正一原子力局の設置)公布(1956/1/1施行)。 1956(昭和31)年 1月1 日。原子力委員会発足、 総理府原子力局設置 。そして、1957(昭和32)年8月27日、日本で最初の原子炉JJR-1が東海村に運転を開始した。(以下参考に記載の「電気事連合会・日本の原子力・原子力への取り組み 原子力年表」参照)。日本の原子力への対応は非常に早いと言える。
石油や石炭のような化石燃料に代わる代替エネルギーを最も効率よく得る手段として、米国が原子炉で発電実験を行ったのは、1951(昭和26)年であるが、英国が3年後の1954(昭和39)年に最初の商用の原子力発電を開始して原子力の平和利用が始まった。日本は1966(昭和41)年に東海発電所において原子力発電が開始された。エネルギー自給率の低い日本は増大する国内エネルギー需要をまかなうためにも、原子力発電は欠かせないものとなっており、1973(昭和48)年には日本の発電は約73%が石油に依存していたが、2004(平成16)年は原子力が28%になり、石油は10%だけとなっている。その他が石炭やLNG(液化石油ガス)、再生可能エネルギーや新エネルギーなどによっている。このように、原子力発電は重要な位置を占めている。しかし、核反応を利用する以上、運転に伴う放射線や放射能、放射性廃棄物の発生が避けられず、発生した放射線はその強度によっては人体に限らず生物にとって有害であるため、その扱いに関しては技術的側面に困難さがある。現行技術では一定の安全性があるものの、一度問題が起きれば原子力事故として社会問題として扱われるなど運用の難しさがある。(#運用の難しさ参照)
現に、地震大国日本では、この7月16日に発生した新潟県中越沖地震に伴い、東京電力柏崎刈羽原子力発電所は建物などに多くの被害を受け、使用済み核燃料を貯蔵している全7基のプールから放射性物質を含む水漏れが確認されているなどその安全性に問題があるとして操業停止となっている。
その点、太陽エネルギーは、石油や石炭のような化石燃料とは違って、使っても減らないので、太陽がある限り、手に入る恒久的エネルギーであり、さらにクリーンである。化石燃料や原子力で発電するとそれに伴って二酸化炭素を排出による大気汚染や放射性廃棄物、さらに地球温暖化現象などの問題に直面するが、太陽エネルギーにはそのような心配もいらない。そのようなことから、石油ショック以降、「サンシャインプロジェクト」等によって太陽エネルギーの利用を考えてきたが、太陽のエネルギーを直接利用する方法は基本的に「太陽光発電方式」と「太陽熱発電方式」がある。その「太陽熱発電方式」が効率が悪いというので、主として、近年は「太陽光発電」システムの技術開発を中心に進められて来た。
ところが、東北大学大学院環境科学研究科の齋藤武雄教授らの研究チームが、「太陽光発電の2倍の効率」の「太陽熱発電」を実現したと、2004(平成16)年8月に発表したことから、最近は、また「太陽熱発電」が注目を集めているのだという。私は、このような分野のことはよく判らないのだが、タービンの形に改良を加え、高効率のシステムを作ることに成功し、小型化しても効率が落ちないので自動車エンジンや家庭用の小型発電機など幅広い用途で実用化が期待されているそうだ。
人間がこの地球上で活動を行なうには、食料とならび、エネルギー資源の確保が重要である。現在主力となっているエネルギー資源は、いずれは枯渇する有限の資源である。また環境への影響から石油資源利用の継続に、またその管理の難しさなどから原子力の利用の継続に一部懸念があり、新エネルギーの開発は重要な課題である。新エネルギーの開発は費用や効率面で、原子力発電に変わるエネルギー供給源になるまでにはまだ、相当時間を要することであろうが、危険と隣合わせの原子力発電に何時までも、頼らないでもやってゆけるように早くなって欲しいものだね。
今日、広島は被爆から62年となる「原爆の日」を迎えている。世界では今、北朝鮮までもが核を保有している。世界で唯一の被爆国日本は、もっと核廃絶問題に真剣に取り組んでゆかねばならないだろう。
(画像は、東海村、日本原子力研究所全景。1957年。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
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