今日(8月5日)は、「タクシーの日 」
1912(大正元)年の今日(8月5日)は、東京・数寄屋橋の「タクシー自動車株式会社」が日本で初めてのタクシーの営業を開始した日であることから、東京乗用旅客自動車協会(東旅協)が1984(昭和59)年に、「タクシーの日 」に制定し、翌1985(昭和60)年から実施。現在は、全国乗用自動車連合会(全乗連)が全国統一キャンペーンとして実施しているそうだ。
各種のイベントにより利用者とのコミュニケーションを促進して、タクシー事業に対する理解と認識を深めてもらう日だという。
タクシー(taxi)とは、旅客が指定した目的地まで旅客を輸送する営業用自動車である。経営形態の差異により、主に複数の運転者・複数の車両により経営許可を受けた法人(企業)により運営される、いわゆる法人タクシーと、運転者自身が1両の車両のみを用いて運行する個人タクシーに分類される。
タクシーの始まりはイギリス。17世紀に発達した辻馬車が自動車時代を迎えて辻自動車となった。(ハックニー・キャリッジ参照)
日本では1912(明治45)年7月10日、東京市・数寄屋橋(現在の有楽町マリオン)に「タクシー自働車株式会社」が設立され、8月5日から本社前でT型フォードを6台使用して旅客営業を開始した。これが日本における、自動車を使用したタクシーの最初の営業であった。このタクシーは料金メーターを搭載して「辻待ち自動車」と呼ばれており、上野駅と新橋駅を拠点に営業していた。営業時間は午前5時から午後11時。料金は最初の1マイルが60銭、以後1マイル毎に10銭増しであったそうだ。
車両は木製のスポーク、ヘッドライトはカーバイト。屋根はほろ仕立て。人力車の方がかっこいいといわれたとか。流しはなく、電話の注文だけ。大正に入って暫くは利用者は金持ちに階級に限られていた。ほとんどの客は乗車賃のほかに多額のチップを出したという。月収50円の運転手もおり、大学出にひけをとらなかったという。(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)
1923(大正12)年の関東大震災で、自動車は唯一動ける交通機関として注目をあつめ、その流れに乗ってタクシーも飛躍的に発展。しかし、この頃は料金がまちまちで70種類にもなっていたため、混乱も多く、乗客からの苦情も絶えなかったという。そこで登場したのが、市内一円均一で走る「円タク」が、1925(大正14)年に大阪で登場したのを皮切りに、、東京など全国主要都市に広がっていった。しかし、実際は乗客と運転手の掛け合いで料金が決まることが多く、50銭、30銭と値切るのが常識だったという。戦時体制が整うにつれて、最も心配されたのは石油資源であり、1937(昭和12)年にはタクシーの流し営業が禁止になり、その翌年にはガソリンが切符制になるなど少しずつ規制が強化されていった。そして、太平洋戦争の始まった1941(昭和16)年、ついにハイヤー・タクシーおよびバスのガソリン使用が全面的に禁止され、木炭、薪などの代用燃料に使用した木炭タクシー が登場するがこれら、代用燃料車はガス発生炉の取り付けに費用がかかるうえ馬力もなく、業界にとっては大きな痛手となり、戦火が激しくなるにつれて、タクシー会社の統合が進んでいった。
終戦で焼け残ったのはわずか1565台だったという。しかし、1949(昭和24)年に戦後統制令が解かれるとタクシー会社数、台数はアッというまに増え、さらに1950(昭和25)年の朝鮮動乱による特需ブーム、ガソリン統制解除などの好条件を背景にまた勢いを取り戻していった。1953(昭和28)年10月13日:札幌にて日本初のタクシー無線が運用開始。
1959(昭和28)年12月3日:東京都区部で個人タクシー営業が許可され173人に初免許交付された。また、日本で初めての女性ドライバーが登場した。1960(昭和35)年1月15日には大阪市、同3月1日名古屋市へと全国に免許区域拡大。1960年代にになるとモータリゼーションの進行に伴い道路渋滞もおき始めた。収入を増やすためには距離を増すしかないと、速度制限無視、急停車、急発進、信号無視、強引な追い越しなどを行って早く客を拾い、あるいは一瞬でも早く目的地につけようと無謀な運転を行うタクシーが増えた。これらのタクシーは無謀・無益な作戦であった神風特別攻撃隊になぞらえて神風タクシー」と呼ばれ、問題となり、マスコミ、国会でも取り上げられた。そこで、1960(昭和35)年には「東京乗用旅客自動車協会」という、業界の一本化団体ができた。そしてさらなるタクシーのサービスの向上のため、1970(昭和45)年には東京タクシー近代化センター(現東京タクシーセンター)が誕生、時間距離メーターと深夜早朝割り増し料金を盛り込んだ料金改定を実現させると、まず人身事故が激減した。こうして、今の安全なタクシーへの道を歩き始めた。
タクシーの運賃はかつては同一地域同一運賃の原則に従い、同じ地域では会社を問わず同じ運賃が原則であったが、1993(平成5)年にこの制度が廃止されている。現在では運賃は地域ごとに上限値があり、一定の範囲内で、各社の裁量により自由に決めることができる。
そして、2002(平成14)年2月1日に道路運送法・タクシー業務適正化臨時措置法(羽化参考に記載のタクシー業務適正化特別措置法参照)の一部が改正施行され、事業はこれまでの免許制から許可制とし、事業者の車両数増減も届出のみで自由に可能になった。いわゆる「タクシー業の規制緩和」である。この規制の緩和により、利用者の利便性を高めるための、ワゴンタクシー、寝台タクシー、福祉タクシーなど新しい形のタクシーも生まれている。しかし、規制の緩和により大都市では新規参入事業者が増加している反面、既存の中小事業者は地方・大都市の別を問わず、マイカーの普及や公共交通網の拡充、社会事情の変化などによる乗客の減少に加え、業務の性質そのものが収入を増やせず支出を減らせないため、構造的な業績不良に陥り、経営の苦しいところが多いという。また、売り上げを上げるため労働者に過大な負担がかかるようになって来ていることも問題視されているとも・・。
2007(平成18)年3月末現在の事業者数及び車両台数は、法人事業者は1万445社、法人車両数22万7,252台で、個人タクシー4万5,929台を含め、総車両数は27万3,181台だという。(全国乗用自動車連合会 )
これが、多いのか少ないのかはよく知らないが、ただ、いつも思うのは、どこへ行っても客待ちのタクシーで溢れている。昔と違って、誰でもが車の運転を出来る時代、不況などにより、仕事がなくなるとタクシーの運転手になる人が多くなるように思うのだが、そのためか、いつも過当競争があるようだ。
以下に記載の「タクシーを語る」を見ると、国土交通省は13日、日本と欧米の主要都市の交通機関の旅客運賃を比較した内外価格差調査の結果を発表し、欧米4カ国の主要都市の平均より割高だったのは、国内航空の最低運賃とタクシー(走行距離5キロメートル)。国内航空の普通運賃や鉄道、地下鉄、バス、タクシー(走行距離2キロメートル)は割安だったという。
「タクシーを語る」→http://footcall.blog24.fc2.com/
私は もう、現役を退いたこともあり最近は、タクシーに乗る機会も少なくなったが、いつも、安いとは思ったことが無い。地域によっては半額くらいの料金のところも見られるが、どこかおかしいのではないか。
(画像は、1912年日本で初めて誕生したタクシー。新橋駅で客待ちをしている。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
タクシー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
9月27日「女性ドライバーの日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/72a40c4684b6cffaed69eab3320ee32a
全国乗用自動車連合会
http://www.taxi-japan.or.jp/
東京乗用旅客自動車協会
http://www.taxi-tokyo.or.jp/
東京タクシーセンター
http://www.tokyo-tc.or.jp/index.cfm
数寄屋橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AF%84%E5%B1%8B%E6%A9%8B
「月給百円」サラリーマン 戦前日本の「平和」な生活(岩瀬彰)
http://nyanko001.blog.ocn.ne.jp/kabu/2007/01/post_9f01.html
タクシー業務適正化特別措置法
http://www.houko.com/00/01/S45/075.HTM
タクシーサイト
http://www.taxisite.com/
タクシーを語る
http://footcall.blog24.fc2.com/
1 規制緩和の実施状況と効果
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/heisei09/index112/910121.html
1912(大正元)年の今日(8月5日)は、東京・数寄屋橋の「タクシー自動車株式会社」が日本で初めてのタクシーの営業を開始した日であることから、東京乗用旅客自動車協会(東旅協)が1984(昭和59)年に、「タクシーの日 」に制定し、翌1985(昭和60)年から実施。現在は、全国乗用自動車連合会(全乗連)が全国統一キャンペーンとして実施しているそうだ。
各種のイベントにより利用者とのコミュニケーションを促進して、タクシー事業に対する理解と認識を深めてもらう日だという。
タクシー(taxi)とは、旅客が指定した目的地まで旅客を輸送する営業用自動車である。経営形態の差異により、主に複数の運転者・複数の車両により経営許可を受けた法人(企業)により運営される、いわゆる法人タクシーと、運転者自身が1両の車両のみを用いて運行する個人タクシーに分類される。
タクシーの始まりはイギリス。17世紀に発達した辻馬車が自動車時代を迎えて辻自動車となった。(ハックニー・キャリッジ参照)
日本では1912(明治45)年7月10日、東京市・数寄屋橋(現在の有楽町マリオン)に「タクシー自働車株式会社」が設立され、8月5日から本社前でT型フォードを6台使用して旅客営業を開始した。これが日本における、自動車を使用したタクシーの最初の営業であった。このタクシーは料金メーターを搭載して「辻待ち自動車」と呼ばれており、上野駅と新橋駅を拠点に営業していた。営業時間は午前5時から午後11時。料金は最初の1マイルが60銭、以後1マイル毎に10銭増しであったそうだ。
車両は木製のスポーク、ヘッドライトはカーバイト。屋根はほろ仕立て。人力車の方がかっこいいといわれたとか。流しはなく、電話の注文だけ。大正に入って暫くは利用者は金持ちに階級に限られていた。ほとんどの客は乗車賃のほかに多額のチップを出したという。月収50円の運転手もおり、大学出にひけをとらなかったという。(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)
1923(大正12)年の関東大震災で、自動車は唯一動ける交通機関として注目をあつめ、その流れに乗ってタクシーも飛躍的に発展。しかし、この頃は料金がまちまちで70種類にもなっていたため、混乱も多く、乗客からの苦情も絶えなかったという。そこで登場したのが、市内一円均一で走る「円タク」が、1925(大正14)年に大阪で登場したのを皮切りに、、東京など全国主要都市に広がっていった。しかし、実際は乗客と運転手の掛け合いで料金が決まることが多く、50銭、30銭と値切るのが常識だったという。戦時体制が整うにつれて、最も心配されたのは石油資源であり、1937(昭和12)年にはタクシーの流し営業が禁止になり、その翌年にはガソリンが切符制になるなど少しずつ規制が強化されていった。そして、太平洋戦争の始まった1941(昭和16)年、ついにハイヤー・タクシーおよびバスのガソリン使用が全面的に禁止され、木炭、薪などの代用燃料に使用した木炭タクシー が登場するがこれら、代用燃料車はガス発生炉の取り付けに費用がかかるうえ馬力もなく、業界にとっては大きな痛手となり、戦火が激しくなるにつれて、タクシー会社の統合が進んでいった。
終戦で焼け残ったのはわずか1565台だったという。しかし、1949(昭和24)年に戦後統制令が解かれるとタクシー会社数、台数はアッというまに増え、さらに1950(昭和25)年の朝鮮動乱による特需ブーム、ガソリン統制解除などの好条件を背景にまた勢いを取り戻していった。1953(昭和28)年10月13日:札幌にて日本初のタクシー無線が運用開始。
1959(昭和28)年12月3日:東京都区部で個人タクシー営業が許可され173人に初免許交付された。また、日本で初めての女性ドライバーが登場した。1960(昭和35)年1月15日には大阪市、同3月1日名古屋市へと全国に免許区域拡大。1960年代にになるとモータリゼーションの進行に伴い道路渋滞もおき始めた。収入を増やすためには距離を増すしかないと、速度制限無視、急停車、急発進、信号無視、強引な追い越しなどを行って早く客を拾い、あるいは一瞬でも早く目的地につけようと無謀な運転を行うタクシーが増えた。これらのタクシーは無謀・無益な作戦であった神風特別攻撃隊になぞらえて神風タクシー」と呼ばれ、問題となり、マスコミ、国会でも取り上げられた。そこで、1960(昭和35)年には「東京乗用旅客自動車協会」という、業界の一本化団体ができた。そしてさらなるタクシーのサービスの向上のため、1970(昭和45)年には東京タクシー近代化センター(現東京タクシーセンター)が誕生、時間距離メーターと深夜早朝割り増し料金を盛り込んだ料金改定を実現させると、まず人身事故が激減した。こうして、今の安全なタクシーへの道を歩き始めた。
タクシーの運賃はかつては同一地域同一運賃の原則に従い、同じ地域では会社を問わず同じ運賃が原則であったが、1993(平成5)年にこの制度が廃止されている。現在では運賃は地域ごとに上限値があり、一定の範囲内で、各社の裁量により自由に決めることができる。
そして、2002(平成14)年2月1日に道路運送法・タクシー業務適正化臨時措置法(羽化参考に記載のタクシー業務適正化特別措置法参照)の一部が改正施行され、事業はこれまでの免許制から許可制とし、事業者の車両数増減も届出のみで自由に可能になった。いわゆる「タクシー業の規制緩和」である。この規制の緩和により、利用者の利便性を高めるための、ワゴンタクシー、寝台タクシー、福祉タクシーなど新しい形のタクシーも生まれている。しかし、規制の緩和により大都市では新規参入事業者が増加している反面、既存の中小事業者は地方・大都市の別を問わず、マイカーの普及や公共交通網の拡充、社会事情の変化などによる乗客の減少に加え、業務の性質そのものが収入を増やせず支出を減らせないため、構造的な業績不良に陥り、経営の苦しいところが多いという。また、売り上げを上げるため労働者に過大な負担がかかるようになって来ていることも問題視されているとも・・。
2007(平成18)年3月末現在の事業者数及び車両台数は、法人事業者は1万445社、法人車両数22万7,252台で、個人タクシー4万5,929台を含め、総車両数は27万3,181台だという。(全国乗用自動車連合会 )
これが、多いのか少ないのかはよく知らないが、ただ、いつも思うのは、どこへ行っても客待ちのタクシーで溢れている。昔と違って、誰でもが車の運転を出来る時代、不況などにより、仕事がなくなるとタクシーの運転手になる人が多くなるように思うのだが、そのためか、いつも過当競争があるようだ。
以下に記載の「タクシーを語る」を見ると、国土交通省は13日、日本と欧米の主要都市の交通機関の旅客運賃を比較した内外価格差調査の結果を発表し、欧米4カ国の主要都市の平均より割高だったのは、国内航空の最低運賃とタクシー(走行距離5キロメートル)。国内航空の普通運賃や鉄道、地下鉄、バス、タクシー(走行距離2キロメートル)は割安だったという。
「タクシーを語る」→http://footcall.blog24.fc2.com/
私は もう、現役を退いたこともあり最近は、タクシーに乗る機会も少なくなったが、いつも、安いとは思ったことが無い。地域によっては半額くらいの料金のところも見られるが、どこかおかしいのではないか。
(画像は、1912年日本で初めて誕生したタクシー。新橋駅で客待ちをしている。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
タクシー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
9月27日「女性ドライバーの日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/72a40c4684b6cffaed69eab3320ee32a
全国乗用自動車連合会
http://www.taxi-japan.or.jp/
東京乗用旅客自動車協会
http://www.taxi-tokyo.or.jp/
東京タクシーセンター
http://www.tokyo-tc.or.jp/index.cfm
数寄屋橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AF%84%E5%B1%8B%E6%A9%8B
「月給百円」サラリーマン 戦前日本の「平和」な生活(岩瀬彰)
http://nyanko001.blog.ocn.ne.jp/kabu/2007/01/post_9f01.html
タクシー業務適正化特別措置法
http://www.houko.com/00/01/S45/075.HTM
タクシーサイト
http://www.taxisite.com/
タクシーを語る
http://footcall.blog24.fc2.com/
1 規制緩和の実施状況と効果
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/heisei09/index112/910121.html